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朝、いつものように配達に出掛け、それが終わり帰宅し、送りの商品の到着を待っていた。

ドライバーによって配達される時間は違うが、早い時は9時頃には着いているし、あるメガネのドラーバーはいつも11時過ぎに来る。

先日も11時過ぎに来たので、嫌味を言ったが、今日もこの時間に来ないと言う事は、嫌味が効いていなかったのだろう・・・そしてきっと彼の当番なのだろう・・・。

暇にかこつけてネットサーフィンをしていたら、「泣ける話」で母への思いが綴られているページにたどり着いた。


俺は母子家庭で育った

中学生になったある日、母が俺の部屋に来て今日のごはんについて聞いて来た「たけし 今日ご飯何が食べたい?」

唐揚げが食べたかったが、素直に「唐揚げが食べたい」と言えなかったので「なんでもいい!」と答えた
「なんでもいいが1番困るのよ~、ねえ何がいい?」
母があまりにしつこいのでついつい言葉を荒げてしまった
「うるっせーな!何でもいいって言ってるだろ!」

母はすこし悲しそうな顔で台所に向かった

しばらくして母に呼ばれた「たけしー ご飯よー」

が、すぐには向かわなかった。少し照れ臭かったのだ

呼ばれてからかなり後に食卓に向かうと、そこで母は待っていた

母が作ってくれたのは、俺が食べたかった唐揚げだった・・・

本当は、アツアツの唐揚げを俺に食べさせたかったのだろう

なんだかとても嬉しかったし、申し訳なかったので 洗物をしている母の後姿に「ごちそうさま、美味しかったよ」と言った

すると母は今まで見たことのないくらいの笑顔で「今日はどうしたの?気持ち悪いわね」と言った
久々に見た母の笑顔だった

嬉しかったが、今まで「ごちそうさま」の、こんな当たり前の言葉も言えなかった自分が恥ずかしかった

今度機会があったら、母に「ありがとう」と伝えようと思う・・・

母さん、いつもありがとう



母への感謝の思いは、万国共通、永遠のカテゴリーのようだ・・・

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今日は叔母の四十九日の法要。

朝方ひどい土砂降りだったが、何とか大雨にならずに過ぎそうな感じ。

写真は、一昨日ベランダへ出てホタル族をしていた時に、うっすら浮かんだ月を撮りたくなった一枚。

この月が満月になるのは何日後の事だろうか・・・


10月の最後の週に京都旅行が決まりそう。

11月になると、急に新幹線とホテルのセットが5000円程高くなる。

紅葉シーズンで需要が増えるのだろう。

5年前の11月に京都へ行ったが、市内の高級ホテル、高級旅館、例えば、炭屋旅館、柊屋旅館など…今では星の屋旅館かな? それらの旅館が早いうちから予約が詰まっていた。一泊4~5万円するのにねぇ・・・

優雅でリッチな奥様方が予約を入れるのだろう。

チョコボ家では新幹線(ちょっと贅沢にグリーン車)&ホテル(朝食付き)で¥20,000のお得旅。

今度はちゃんと段取りをするつもり・・・

どうか、ドタキャンになりませんように・・・。


毎週水曜日の夜中に放送される「中居のとびら」というバラエティー番組がある。

確か、1時か1時半頃の放送で、生では見られないから毎週録画して見ている。

先週の放送での話。

陣内智則のマネージャーが、とんでもないボケ男でいつもイラつく事ばかり仕出かすと言う話をしていた。

例えば、ある2時間の特番のオファーがあり、内容も知らされないまま現場へ行くと、陣内はその番組のMCだった。

怒った陣内は、自分の立ち位置(役割)は、ひな壇芸人の扱いなのか、MCのメインなのかをテレビ局に聞いて、せめてそれをちゃんと報告せよ、と叱ったそうだ。

そして、ある日の事、テレビ局へ移動中のタクシーの中で、マネージャーに番組出演のオファーがあった。

快く了解して電話を切ったマネージャーは、陣内の顔を見て、はっ!と思ったのだろう。再びテレビ局に電話をしたそうだ。

「あの~・・・その番組の陣内の立ち位置ですが、MCではなく、ゲストと言う事で宜しいでしょうか?」と・・・

電話を切った後、陣内がマネージャーに何と言う番組からオファーがあったか聞いた。

マネージャー、「ええ!世界ふしぎ発見です!」と堂々と胸を張って報告したそうだ。

陣内曰く、「今度テレビ局で草野さんに会ったら、なんて挨拶をしたら良いのだろう・・・」だそうな。

それを聞いていた中居くん、「昔付いていた僕のマネージャーだってひどいもんですよ。」と・・・。

局へ移動中に、コンビニへ寄る事になった。喉が渇いた中居くん、「缶ジュースを買って来て。炭酸系が良いかな」と伝えたそうだ。

数分後に戻って来たマネージャー、缶ジュースを渡してくれない。

「俺が頼んだの、忘れたの?」と聞くと、「ちゃんと買って来ましたよ・・・はい!単三の乾電池!」と言って渡してくれたそうだ。

「あれにはズッコケたなぁ・・・今彼は、吾郎君のマネージャーやっていますけどね・・・」に爆笑だった。


天然には、イラつく天然と、可愛い天然がある。

チョコボの周りの天然は、可愛い天然ばかりだけどね・・・。



先日、テレビのWOWOWで「トーマス・クラウン・アフェアー」と言う映画を観た。

主演は、007でお馴染みのピアース・ブロスナン。

久し振りに、面白く痛快に観られた映画だった。

この映画を調べていたら、1968年にスティーブ・マックイーンが主演した「華麗なる賭け」のリメイク版だった事が分かった。

そして、なんとその「華麗なる賭け」が、今日放映されていた。

早速録画をして見る事に・・・

う~~ん、なるほど・・・。

大富豪が、趣味で銀行強盗を仕出かすのと、同じく大富豪がトリックを使って美術館から有名な絵画を盗み出すところは、ちと違ったが、保険会社の調査員の綺麗な女性と駆け引きをしながら恋に落ちて行くところは同じ。

最後はワクワク感満載。

チョコボは、最初に見たのが「トーマス・クラウン・アフェアー」だったせいか、この方が面白かったが(起承転結がはっきりしていたから)映画評論家やら、一般視聴者のプレビューは、圧倒的に「華麗なる賭け」の方を絶賛していた。
そっか・・・もう一度見てみよう。


朝夕はめっきり秋の訪れ。

読書の秋、芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋・・・

最近はまっているのが、日本画家。

特に「竹内栖鳳」、「伊藤若冲」。

後は、お馴染みの「円山応挙」、「酒井抱一」、「尾形光琳」、「鈴木 其一」の群鶴図。

京都や東京の博物館で展示会が開催されているようだが、見たい!行きたい!病に掛かっている。

暇を見つけて、日帰りで良いから行って来ようかな・・・。

2020年の東京オリンピックの開催が決まった。

前評判はイスタンブールと半々だっただけに大差をつけての決定が以外でもあった。

そして、翌日のYAHOOニュースでも、トルコのネットユーザーからの「日本おめでとう!」の多くの書き込みが話題となっていた。 もちろん美談として・・・。

そしてその翌日、日本の若い女性観光客2人が、トルコの若い男から刺され、一人は重傷、一人は死亡と言う痛ましい事件が起こった。

動機はまだ解明されていないが、オリンピック開催を巡っての逆恨みと考えても不思議ではない。

民主主義(多数決)での決定事・・・・49対51で決まる一つの事柄・・・。

そしてそこには49もの反論者がいる。

韓国、中国での東京オリンピック開催反対のネガティブキャンペーンと嫌がらせに近いロビー活動。

仕方がない事・・・と言って済ますには心が重いのだが、かと言ってそれを否定する良い方法も見当たらない・・・。

この悔しさを7年間も引きずって行かねばならないと言う事だけで、気が重いし、韓国&中国への思いも、より嫌なものになって行く。。

それより7年後に、元気で、オリンピックをテレビで、又は現地東京で見られる事を楽しみに、より節制した生活を送ろう・・・。

でも何だか、切ないなぁ・・・


先日見付けた”ちょっといい話”。


もう10年も前の話。
妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。
妻がいなくなった事をまだ理解出来ないでいる息子に対して、
私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。

実際私も、妻の面影を追う毎日であった。
寂しさが家中を包み込んでいるようだった。
そんな時、私は仕事の都合、出張で家を空けることになり、
実家の母にしばらく来てもらうことになった。

出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供達の声を聞いた。
2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのはいつも私のほうだった気がする。

そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。
“ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、
園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。
こんな時にそんなプログラムを・・・とは思ったが、幼稚園の運動会では当たり前のプログラムだった。

「正樹、行くよ♪」 娘だった。
息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走って行った。
一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。
隣に座っていた母がこう言った。

あなたがこの間、九州へ行っていた時に、
正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。
そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、
「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」
「本当はパパだってとっても淋しいの、」
「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」
「それはね、パパが男の子だからなんだよ。正樹も男の子だよね。」
「だから、だいじょうぶだよね?」
「お姉ちゃんが、パパと正樹のママになるから頑張りな。」
そう言っていたのよ。

何と言うことだ。
娘が私の変わりにこの家を守ろうとしている。
場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。

運動場の片隅で号泣した。

10年経った今、あの頃の事を思い出し、無性にまた涙が出て来る。
来年から一人上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?

君に今、どうしても伝えたいことがある。
支えてくれてありがとう。君は最高のママだったよ。
私にとっても、正樹にとっても。
ありがとう。最高の娘よ。


思わずもらい泣きしてしまった”ちょっといい話”


朝夕めっきり涼しくなり、秋を感ずる今日この頃。

たまに昔の事を思い出す時がある。

10代の高校時代の頃、20代、結婚した頃の事、30代、40代、50代、そして今に至るまでポツリポツリと思い出す。

高校時代の事は、未成年と言う事で何があっても、まぁまぁご勘弁を・・・と言う事にしている。

そして、今に至るまで思い出すのは、赤面したり、思わず顔を覆いたくなるような事ばかりである。

楽しい思い出、嬉しかった事や微笑ましく思う事も多々あったはずなのに、思い出すのは、やはり後悔する事ばかり・・・。

自分自身への後悔も、相手に対する謝罪も懺悔も多々多々ある。

20代30代にした過ちも、経年と共に又同じように犯し続けている。

これをしたら、きっと後悔するよ・・・と心の中で言い聞かせていて、やはりその道を進んでしまっていた。
そして、やはり後悔をする・・・。

きっと、”後悔の味”も、チョコボにとっては、忘れられない味なのだろう・・・

我が家の家系は、代々三ケ日の生まれの三ケ日育ち。

うちの親爺は長男。そしてチョコボも長男である。

そして、二人とも三ヶ日、牛久保と、実家を継がず出てしまっている。

三ケ日にある親爺の旧家は、住む人も後継ぎもなく、たまに、姉夫婦と、親爺の弟が家守をしている。

100年経った屋敷は、いずれ解体されるのだろうが、困ったのはお墓の問題だった。

7年前に亡くなった母の墓を飯村の高山霊園に作った。

それは良いのだが、三ケ日に残った先祖代々の墓をどうするかという問題が起こった。

親爺は、先祖代々の霊を永代供養にすると言う。(チョコボには違った考えがあった)

そして今年になって、話があると親爺に呼ばれた。

永代供養にするとは言ったが、はたしてそれで良いのだろうか・・・と言う懸念が老い先短い親爺の心配事だったらしい。

親爺は長男であるが、ミカン農家の百姓を継がず、国鉄マンとなった。

嫁に入った母は、親爺の代わりに百姓の嫁として働き、結局その家を追い出されてしまった・・・と言う思いが親爺にあり、母と一緒の墓には入れたくなかったらしい。

チョコボは、いずれ堤家の長男として墓は守って行かなければならないと考えていたから、親爺にその旨を伝えた。

結局は親爺も納得し喜んではいたが、先祖の戒名を母の為に作った墓石に彫らず、墓誌を作って祖霊を守って行く事にした。

とりあえず、墓誌に彫名するのは、曾祖父夫婦と祖父夫婦の4名。

三ケ日の役場へ行って除籍謄本で没年月日と享年を調べて来た。

曾祖父の生年月日・・・安政2年とある・・・。

安政??安政の大獄の安政?幕末だった。。

たかだか3代さかのぼると江戸時代に戻る事が衝撃だった。

10月に改葬(精抜き)をする。

長男として、代々守って行かなければならない物の一つとしてしっかりと祖霊を祀って行こうと思う。


今日で8月が終わる。

本当に時の流れは速い・・・。

7月の初めにあった出来事を今でも明確に覚えている。

つい先日の出来事かと思ったら、あれからもう2ヵ月も経とうとしているのか、と少しセンチになる。

昔、秋の初めに友人と飲んでいた「秋の夜は嫌いだ、寂しくなるから・・」と言うと、友人がこう言った、「あのな、秋の訪れが寂しいのではなく、あの華やかな夏が去って行ってしまった事が寂しいんだよ」と。

そっか・・・去年の夏も、3年前の夏も、いやいや・・・ずっと夏の終わりはセンチになっていた。

来年の夏も、同じ気持ちでサヨナラを言うのだろうか・・・

いくつになっても、夏のセンチ病は治りそうにない・・・。


去年の春に植えたダイカンドラが密集して来た。

駐車場の目地に植えたのだが、元々あった玉龍が枯れてしまったので緑の補給で植えたつもりだったが、このダイカンドラがメインになってしまった。

でも、緑って良いね。

今週に入って、親爺の病院通いが続いている。(定期健診ですが・・・)

午前中の通院は姉が行ってくれるのだが、午後からの通院はこのチョコボの役。

火曜日に市民病院の腎臓科(定期検査)へ連れて行き、昨日の水曜日は、近所の整形外科で腰骨を強化する注射を打ってもらう。

そして今日は呼吸器科の検診。

だけど、どうして国立病院にしても市民病院にしても、あんなに診察時間を待たせるのだろう・・・。一時間はザラだし・・・

高速道路の自然渋滞の先頭と一緒で、段々段々と詰まって行くのかな・・・・?

イライラするのはチョコボだけ? 診察の本人はいたって冷静なのかも?

一昨日も、親爺を自宅へ連れて帰ると、隣の奥さんに会った。

「偉いねぇ・・・良君。中々面倒見は出来ない事だよ」と言う。そして「あと10年は頑張らないとね」と言う。「え~~っ!10年?」とおどけた様に言うと、「何言ってるの、向かいの〇〇さんちのおじいさん、今年で98歳だし、奥さんは95歳で、まだまだ元気でいるよ。お父さん、まだ90歳じゃない」と・・・。

え~~~・・・10年・・・

チョコボが先に体にガタが来そうだけどな・・・。。




豊橋から豊川へ抜ける道に、堤防の道路を走る所がある。

結構交通量はあるのだが、なぜかこの道にセンターラインが引かれていない。

しかも、ナビに誘導されるような堂々とした道路だと言うのに。。

中にはノロノロ運転だったり、もしセンターラインがあったら随分はみ出しているのだろうな・・・なんて危険な車もいる。(大体がお年寄りか、運転席を極端に前に出し、顔の前にハンドルがあるような女性が多いようですが・・・)

ある時にこのセンターラインの事が酒の席で話題となった。

「街中で、渋滞を起こすような予算消化の工事をするのなら、あそこへセンターラインを引けばいいのに・・・」と・・・。

するとある物知りの方がこう言った。

「あの道路はガードレールも無く、慎重に走らないと危ない。下手をすると路肩に落ちてしまうかも知れないし、すれ違う時に接触事故を起こす事もあるだろう。もしあそこのセンターラインを引いたら、人間心理として、すれ違う時だってスピードを上げて走ってしまう。だから慎重を期すために、あえてセンターラインを引かないのだよ」と・・・。

なぁ~~~るほど・・・

目から鱗の日だった・・・。。


昨日の事。

昼から私用で2件の用事を済ませに出掛けた。

一件目の用事を済ませ、次は電気屋へ向かった。

インターフォンの子機の充電式バッテリー電池が寿命だったみたい・・。

小さな電気屋さんでは取り扱いがないと思い、スーパーに併設されている全国区の電気屋さんへ行った。

一件目の用事を済ませた所から真っ直ぐ行けば、その店のある大通りに出るのだが、少しは近道かな?と思い、違う道、バイパスを走った。

ところが、そのバイパスから見ると、店は右手にある。

前方から来る車を通り過ごさせ、右に曲がるとお巡りさんが居た。

すっと近づいて来て「お父さん・・・ここ右折禁止なんですが・・・」と言う。

アッチャァ~~である。。

普段なら一言二言、いや、四言五言クレームを言うのだが、今回は何も言わなかった。

まだ若いお巡りさんだったし、まぁ言っても無駄かな・・・なんて事を思っていたから。。

でもなぁ・・・2回続いたゴールドカード免許とこれでお別れ・・・。

まぁ、模範運転をずっとしていた訳ではなく、ただ今まで見つからなかっただけ、と言うゴールド免許だから、チョコボがゴールドの免許を持っている自体がおかしいかったのだけどね・・・。。


先週の事、お嫁さんが友人の結婚式へ出席の為、昼から孫の世玲菜がやって来た。

いつものように、最初の10分くらいはモジモジしているが、あとははしゃぎ回っている。

世玲菜を見ながら、お局がいつも言うセリフ・・・

「口元がお爺ちゃんに似ちゃって可哀そうに・・・」

そうなの??・・・。 そんなに残念な事なの??

この世玲菜、目がクリクリしている訳でもないし、飛び抜けて可愛い女の子でもないだろうと思う。

でも、目はひと皮に見えて奥ふた皮だし、結構整った顔をしていると思う(親馬鹿?ジジ馬鹿なのか?)

高校へ行く頃には、近所、学校でも有名な美人になっているのではないかのかなぁ・・・なんて勝手に想像している。



そう言えば、以前友人が子供の写真を(5人の子持ちなのです)年賀状にして送ってくれた事があった。

大きな声では言えないが、お局と二人で「何だかオランウータンの子供達が並んでいるみたいだね」とこっそりと言った。。

数日後、その友人と会って、年賀状のお礼を言った。

すると、「子供達見ました? みんな可愛いでしょう」と言う。

そっか、、我が子、我が身内はこの世で一番可愛いに決まってる。


そう・・・世玲菜が世界で一番可愛いよ。







今日は68回目の終戦記念日。

以前のブログにも書いたが、チョコボが学生だった頃、我々世代は「戦争を知らない子供達」と呼ばれていた。

戦争は、我々の知らない遠い遠い世界の事だと思って育った。

戦争が終わって68年、我々が産まれて62年・・・

何の事はない、終戦に(戦争に)近い世代だった。

「戦争を知らない子供達」の名称は、20代、30代、せめて40代の世代の話だった。。

今考えても、我々が育った頃は、物資もまだ乏しく、今と比べれば、何もかも不自由だった。

小学校の頃は皆、ズボンの膝はほころび、布を当ててはいていた。シャツ&セータもしかり。

だが誰一人不思議に思わなかった。それが当たり前の世代だったのだ。

給食はコッペパン。牛乳は脱脂粉乳。それでも満足だった。

皆、あおタンを鼻から垂らし、洋服の袖でぬぐっていた。だから、洋服の袖はいつもテカテカ光っていた。

それでも、誰一人不思議に思う子供はいなかった。

今日もテレビで特攻隊員の特集をやっていた。

東大へ行くような優れた若者を選りすぐり、「お前は選ばれし人間なのだ。名誉に思え」と、片道だけの燃料を積んだゼロ戦に乗せ、戦場に向かわせた。

今でも不思議である。

何故、日本で一握りの優秀な男達が、その生きて帰る事が不可能な「特攻隊員」にならなければならなかったか、を考えると切なくて仕方がない。

以前、政治評論家の「三宅久幸」氏が、靖国に祭られている特攻隊員の遺影の前に綺麗な花嫁人形が置かれているのを見て号泣していた。

「十九や二十歳で、女性も知らず、もちろん家庭と言うものを知らず、ただただ、「天皇陛下万歳!」と言って散って行った若者の事を思うと、とてもとても・・・」と言って号泣した。

A級戦犯数十名が合祀されていると言うだけで、靖国参拝を全世界から非難される今・・・。

今一度、国の為に亡くなって行った若者の事を考えてみるべきだと思う。



連日の暑さで、金魚の鉢の水がすぐに緑色化してしまう。

デッキにあるメインの金魚さん達の鉢も水替えをしてやらなければ・・・。


先日、ある人がこんな事を言っていた。
”人生に於いて、やり直す事は出来ない。しかし、修正は出来る”と・・・。

う~~ん・・・分かっていて、納得するような、アホか!当たり前の事をしたり顔で言うな!と思ったり・・・。。


よく、物事に於いて「もし、あの時に〇〇だったら・・・」とか、「もし、これから〇〇になったら」とかの話をする。

すると決まって賢者と言われる大人達が「そんな話をしてもつまらないだろう・・・現実ではないのに、夢を追ってどうする・・・」と馬鹿にしたように言い放つ。


チョコボはこう思う・・・
「もし・・」と言う言葉があるから夢が広がる。
「もし、〇〇だったら」と言う言葉があるから、友人との話の中にも花が咲く。


皆が一度は思った事があるであろう「もし宝くじが当たったら・・・」もチョコボは思う。(買ってもいないのに・・・)
もしくは、「あの時に、あの事業をしていたら、もっと羽ばたいていたかな・・・」とも・・・。


「もし」の言葉には、夢も、懺悔も、後悔も含まれている・・・。



昨日&今日は、我が町内と両隣の町内の盆踊り大会と花火大会。

家で軽く飲み、7時から夏祭りが行われている公園へ行く。

生ビールを飲み、唐揚げを食べ、知人らと談笑し暑気払いをした。

8時半から餅投げが始まろうとした時、隣町の花火が上がった。

お局の友人も来ていた為、急いで家に帰った。

我が家のリビングから真正面にこの花火が見える。




決して”百花繚乱”と言う花火ではないが、定期的に上がる単発の花火も又オツな物。

夏祭りで御馳走になったビールと、花火を見ながら飲んだ焼酎で今日はすっかり二日酔。。

今日も氷の支給やら、ビアサーバーのセットやらで顔出しせねばならない・・・

今日は程々にしておこう・・・。。



パソコンのフォルダーに溜まった写真を整理していた。

残念ながら、去年の暮れにデジカメを買い替えた時に、インストールしていたら一部のフォルダーが削除されてしまった・・・。。

旅行の写真とか、お気に入りの写真もあったから、至極残念・・・。


で、こんな写真が出て来た。
友人の娘さんの結婚式の写真。

いつ頃だったかな?と思い確認してみたら、「2007年8月18日」とあった。
丁度6年前。

この写真を6年前に見た時、”うわっ・・・随分年を取ったなぁ・・”と思った。

しかし、今改めて見ると、、、、今よりずっと若い・・・。。(当たり前だけど、やっぱりショック)


写真は、もっぱら撮る方で、一人でのショット写真が少ない。

みんな70歳くらいになると葬儀の遺影の写真を考えて用意してると聞く。


チョコボ、何年後か、何十年後か分らないけど、この写真にしておこうかな・・・。



連日のあまりの暑さに変色した我が家のモミジ・・・。


昨日は叔母の通夜。
あまりの暑さに、喪服が辛いなぁ・・・と思っていた。


葬儀場に入るとクーラーが効いていて涼しい。
が、数分も経つと、そのクーラーの効きの良さに寒くなって来た。

隣に座っているお局などは、足が冷えると言い出した。

今日は葬儀。
昼間だから、丁度良い温度設定にしてくれるのだろうが・・・。


昨晩見ていたテレビでAKBの峰岸みなみが、業界で付き合ってはいけない男性(遊ばれてしまう)の事を語っていた。


「私達の間では、3Bは駄目だ・・・って事になっているのですけど、一にバンドマン、二に美容師、三にバーテンダーなんですけど・・・」と言っていた。

なるほど・・・
変に納得。


でも、男から言わせたら、付き合ってはいけない3Bの女性もあるはずだけど・・・


ん~~~・・・・まぁ、いっか!それは・・・・。。


最近、訃報が続く。

昨日は、母の姉が亡くなった。享年92歳だと言うから母の家系としては珍しく長寿だった。
大往生なのだが、やはり身内との別れは切ない。

先月は親しくしている友人の奥さんが亡くなり(享年50歳)あまりに若い死に、思わずもらい泣きで号泣した。泣きじゃくる友人の姿に我慢出来なかった。とても辛い葬儀に参列した。

そして、今月は、サラリーマン時代の後輩が逝った。
総合病院へ行った時には、末期の胃癌だったと言う。

単身赴任を続けていたが、3年前に地元に戻り、その挨拶を兼ねて我が家へ遊びに来て、夜更けまで飲んだ・・・。
 
定年を迎えたと聞いていたから”元気でいるかな?”と思っていた矢先だった。


人にはそれぞれの運命があり、それぞれの寿命がある。
それは充分に分かっている。

だがやはり、親しい人との別れは辛い・・・・。

合掌。。



今日のYAHOOのトップページにあった「どうしてこうなるの? みんなの珍回答」の中の一枚。


morningに対して「娘」・・・。
この答えも面白かったが、先生の「ナイス!」に拍手だった。


いいねぇ、こういう教師・・・。



夏になるとミョウガの需要が増える。

そうめんの具に、鰹のタタキの添えに、スライスしてカツオ節をかけツマミとして・・・etc

子供の頃は好んで口にしなかったはずなのに、歳を重ねるとミョウガの持つ苦味とか渋みが好きになって来る。山菜もそう。

そう言えば、”ミョウガを食べると物忘れをする”と言われていたのを思い出した。

何故そう言われていたのかは忘れたが、最近の子供達にもこの言い伝えは語り継がれているのだろうか・・・。

ミョウガを一杯食べて、嫌な事を忘れてみようかな・・・。



昨日は、豊橋の祇園祭の花火打ち上げの日。

子供の頃から、畑を下地にし、川を越え、その向こうに上がる花火に見入っていた。
縁台を持ち出し、数秒ごとに上がる花火に歓声を送った。

パッっと広がる花火、そして数秒後に「ドン・ドン・ドッド~ン」と響く音。
あれはもう、50年も前の事だった。


花火の絵と言えば、いつも山下清の貼り絵「長岡の花火」を思い出す。

ちょうど昨日、チョコボの好きな番組「美の巨人たち」で取り上げられたのが山下清だった。
残念ながら、”今日の一枚”は、花火でなく、ロンドンで見たタワーブリッジ。


この絵の深さを聞いているだけで興味が湧く。
山下清が、何故日本のルソー、日本のゴッホと呼ばれていたかを、この絵を通じ解説している。

番組内で紹介のあった「山下清・ヨーロッパぶらり旅」と言う本、早速アマゾンで中古本を取り寄せをした。(ちなみに300円)


来週は、この本で暇な時間を潰そう・・・。



夏になるといつもハイビスカスの花を思い出す。
この花も母が好きな花だった。


南側に面した部屋の、ガラス越しに置かれた真っ赤に咲いたハイビスカスの花を思い出す。


先日、いつも行く居酒屋で、久し振りに顔見知りと会った。
この人とは、数年前に又違った居酒屋で知り合ったのだが、物知りなのか、色々講釈が多い。
すぐに他人の話に入って来て、説教と言うか講釈を言いたがる。

結局、他の居酒屋2軒で嫌われ、一軒は出入り禁止、一軒は省けにされ店に来なくなったと聞いた。
で、最近チョコボが常連としている居酒屋へ顔を出すようになったようだ。


チョコボは友人と二人で飲んでいたのだが、目が合った瞬間、「あ~~!」と言いながら早速話しかけて来た。
話した事は、「最近の若い奴等は・・・云々」と言う、チョコボが一番嫌いなセリフ。。

確かに我々の子供時代、青春時代と比べたら今の若者が過ごしている環境が違うのは分かる。でも、我々世代を父親世代は同じような事を言って胸を反らしていた。 時代は進歩して、世代は繰り返しているだけなのに・・・。


好きな作家のこんな言葉がある。

”後輩が先輩に対する礼、生徒が先生に対する礼、子が親に対する礼、それらを嫌になるほど私達は教えられて来たし、また多少、それを(あがめたてまつるほどではないにしても)従順して来たつもりである。
しかし、先輩が後輩に対する礼、先生が生徒に対する礼、親が子に対する礼、それらを私達は一言も教えられた事はなかった。やはり民主革命は必要である”


やはり人前で、”上から目線”は見苦しい・・・。



気持ちの良い祝日。

デッキに出て、西の空をパチリ。


あ~~良い一日だった。


本棚の中に以前買った「ジワジワ来る〇〇」の本があった。


久し振りに見たけど面白い。


上の写真のタイトル。
(絶対そういってるしか見えない写真)「見ろ、あの星を!」



そしてもう一枚



タイトルは、「よっ!」


昔パラパラと見て、あ~面白かった・・・と思ったけど、改めて1年振りに見てみると再発見の面白さがある。



いいなぁ・・・こういう思考は。。



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