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「親の心子知らず」
親と子のエピソードは古今、東西を問わず限りない。
そして、成長するに従って接点がずれて行くのが父親と子。。
その昔、親爺が酒を飲みながらテレビから流れる島倉千代子の「東京だよおっかさん」という歌に聞き入り涙ぐんでいる姿を見て頭の中の疑問符が取れなかった。
時おりしもロックンロールが全盛の頃、「へぇ~・・・ジェネレーションギャップってこう言う事を言うのだ・・・こんな歌が良いんだ・・・。」と純粋に思っていた。
時が過ぎ、自分も親爺が涙ぐんでいた年齢を上回る歳になった。
今流行りの歌がどんな曲調なのか知らないが、耳にして心地良いのは、バラードとかジャズ、歌詞の場面が目に浮かぶスローな曲(演歌もしかり)になった。
お袋が親爺と同じ事をしても「へぇ~~」などと思わなかったのに、やはり同じ親でも父親と母親の距離と言うのは、所詮違うものなのだろう。
そう言えば、猫でも犬でも、成長してから父親と寄り添う姿など見た事がない。。あったとしても、それは親と子、としてではなく友達・仲間感覚なのだろう。
こんな話がある。
”自分には5歳年上の兄がいる。
自分が物心付いた頃には兄は小学校へ上がっており、父親から厳しく躾けられている姿が鮮明に残っている。
親爺は怖い人だと思っていたが、自分は次男のせいか、それほど怖い・嫌だと思うような教育は受けなかった。
兄貴も成人するに従い親爺との確執が生まれた。
そしてそのわだかまりが取れぬまま親爺は他界した。
時が経ち、兄貴も結婚をし子どもを授かった。
それはもう異常なほどの可愛がりようで、「目の中に入れても痛くない」と言うのはこんな事を言うのだろう、と思うほどであった。
ある日兄貴に何気なく聞いてみた「なぁ兄貴、子を持って初めて親のありがたさを知る。と言うけど、これで兄貴も親父の気持ちがどんなだったか分かっただろ?」と・・・。
しばらくうつむいていた兄貴だったが、おもむろに顔を上げこう言った。
「う~~~ん・・・そうでもないな・・・・。だって、、親爺が俺をこんなに可愛がったかい?」”
親と子・・・所詮親子。
しかしその距離だけは、人類の永遠のテーマなのかも知れない。
(我が家は、、息子曰く”母子家庭”だそうだから、最初からあった距離は、そうは広がっていない気がするのだけど・・・。)
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