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明後日の日曜日に行くつもりだった「イ・マエストリ無二の市」

あいにく空模様が怪しい・・・

で、結局明日の土曜日に行く事にした。

色々な作家さん達のブースがあったり、食べ物も豊富で楽しい。

明日は、お局・・・何を購入するのだろうか。

で、時間があれば、帰りにコロナワールドへ行って、明日公開の三谷幸喜監督の「清州会議」を見て来ようと思う。



歴史好きのチョコボ、もちろん大体は分かっているつもり。

「清州会議」と言えば、織田信長亡き後の後継者争いで清州城に於いて柴田勝家VS豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)の図式で、当時の重臣だった「丹羽長秀」「池田恒興」が同席していた。(織田家の関係者は誰も出席出来なかった)

織田家の後継ぎ候補三男の「織田信孝」を後継ぎにしようとした柴田勝家に対し、本能寺の変で討ち死にした長男「織田信忠」の長男「三法師」(まだ三歳)を担ぎ上げて後継ぎにしようとした秀吉。

会社で言えば”筆頭専務”の「柴田勝家」。

中途採用で、トントン拍子で急に常務まで出世して来た「秀吉」、柴田勝家にとっては驚異でうざとい存在だっただろう。

織田信長の敵(かたき)明智光秀を、姫路から取って返して打ち取った秀吉に、「御苦労だった、褒美を充分に取らすぞ」で済まそうと思った柴田勝家・・・。

ところが、そうは問屋は卸さず、結局秀吉の押す「三法師」を後継ぎにし、三男の「織田信孝」を後見人にする事に折れた。
時代の流れは、もう秀吉にあった。

が、、、これがのちの「賤ヶ岳の戦い」につながる。

柴田勝家が負け、お市の方も殉死。
その後、勝家の推した三男の信孝は秀吉によって切腹させられた。

辞世の句「昔より 主をうつみの野間ならば やがて報いん 羽柴筑前」

と恨みつらみの辞世の句である。

物心が付いた頃から父親の部下であり、いつも父親にへつらっていた秀吉に対し、「何だ!えらそ~に!!」と思っていたのは間違いない。
(この辺が世襲の弊害が出ているところだろう・・・)

切腹時には、自分の臓物を引っ張り出し床の間に投げつけたと言う逸話と、血糊の付いた掛軸が残されている。

三男と言っても、本当は次男の「織田信雄」よりも早く生まれたが、母の身分が「信雄」の母より低かったため三男になったと言う。

次男の「信雄」もたまに歴史上に名前は出て来るが、最後は秀吉の太鼓持ちのような地位だったし、後継者候補にも名が出てない事から、やっぱり出来は悪かったのだろう・・・

この辺を三谷監督がどのように表現しているか楽しみ。

まさか、まさかと思うけど、、全編パロディ、って事はないよなぁ・・・・。。

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