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京都にあり、豊臣秀吉を祭る神社。


しかし、現存する建物は、明治になってから新たに場所を変え明治政府が建てた物。


1598年秀吉が没した。そして翌年、京都の街を一望出来る阿弥陀ヶ峰の山頂に秀吉を祭る「豊国神社」が造られ、当時の後陽成天皇から「豊国大明神」と言う神名を貰い、ねねの命により盛大に葬儀が執り行われた。


しかし、1615年、豊臣家(秀頼、淀)が廃頽すると家康は、この神社を徹底的に取り壊し、「豊国大明神」の称号も剥奪し、廟さえも取り壊そうとしたが、ねねに懇願され廟だけはひっそりと遺構の中に残された。
その地は荒れ放題となり、誰も訪れる者はいなかったと言う。


明治になり明治天皇が、”豊臣家は天下統一したにもかかわらず、政府を置かなかったことは賞賛に値する”と言って褒め称え、豊国神社を再建した。
その折、廃坑と化した秀吉の棺を改めた所、装飾品に飾られた漆の棺と聞いていた棺が、調べてみると、一般人が使う桶の中に膝を立てて置かれていたそうである。
江戸時代初期に盗掘泥棒にあい、そのままになっていたのだ。


いつの世も同じだが、新政府が出来ると前の政府、幕府を徹底的に否定する事から始まる。
秀吉の子秀頼でさえ、徳川幕府は「あれは太閤の子ではなく、大野長治と言う淀君の警護をしていた人物の子である」と言う事を既成化しようとしていたそうである。
滅ぼした事の、正当性を訴えたそうだ。


明治天皇が、徳川政権を否定し、神になった家康を奉った東照宮を徹底的に取り壊し廃墟にするようなものである。


今の政権も、否定から始まっている。
そして、9月16日、新閣僚が国民の拍手喝采によって迎えられた。
しかし、年金問題、官僚の天下り問題、郵政の再官営化、普天間の基地、アフガンの給油、日米の安全保障問題にも発展しかねないグズグズの状態になって来た。。


言うは易し、行なうは難し。


否定する事より、これからのしかっりとした日本のピジョンを見せて欲しい。
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