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数日前の朝。
我が家のリビングから東を見ると、愛知県と静岡県を県境とする湖西連峰が見える。
たった数キロ東へ向かうと、そこには遠州地方の風習があり、その何倍もの距離を北へ、西へ行ってもそこには東三河の風習と言葉がある。 考えてみても当たり前の話なのだが、欧州などは、これが国と国との境界になり、習慣、言葉などがまるっと違ってくるのである。
平和な景色が続いている分にはのどかで結構なのだが、ともすればこう言った境界が民族戦争の境目に・・・・など想像すると空恐ろしい。。
どんなに人々が平和を望もうと、文明、文化、科学が発達しようと、こう言ったゴタゴタは永遠にあり続けるのだ・・・とある本で読んだことがある。
現に今でも、”戦争”と呼ばないにしても数十箇国の国境線で小さな紛争があると言う。
そう言えば、この日本でも近隣同士が騒音を出したり、嫌がらせをしたりして裁判になったり、自分の土地だからって屋敷をゴミに占拠させ、警察沙汰になった例は一杯あるなぁ・・・・。
人間が「我」を持ってる以上、、、、、何年経っても、こう言った問題はなくならないのだろうか・・・。。。
昨日のランチ。
「海老おろしそば」
新居へ移る前の半年の間、事務所を息子の部屋に改装し、そこを仮設事務所&寝室としても使っていた。
トイレと洗面はあったもののキッチンはない。 ゆえに昼食は全て外食。(夜は、お局の実家へ風呂と食事を取りに行ってました。。すごいよなぁ~・・・半年も。。。と思っております。 はい。)
新居へ移ってからも昼食を外で食べる機会が多くなった。 女性の多い店は遠慮するが(席が空いてないのだ)食べ歩きも結構楽しい。
その代わり、夜の外食がめっきり減った。寿司、イタリアン、中華、しゃぶしゃぶ、焼肉など美味しい店を探しては行っていたが、今では一ヶ月に一度行くかどうかでになってしまった。
巷では、「チョコボ死んだ」とか「50過ぎてからマイホームパパになったらしい」とか噂されているらしいが、とにかく面倒臭いのだ。とりわけ酒を飲むチョコボにとって、酒の飲めない食事は、ディナーをインスタントラーメンで済ませるのと同じくらい味気ない。
食べたい物を近くの新鮮さが売りのスーパーへ買い出しに行き、つまみと夕食材を買って来る。 これがいい!! コップ一杯の冷えたビールが旨いのだ。
しかし、寿司屋で「いいトロが入っていますよ」と言われ、一切れ千円はするであろう大トロやアワビやらの刺身を当たり前のように注文していたのだが、家で食べれば家族全員が美味しく食べられるであろう、一冊(サク)3000円前後の大トロのブロックを、買い物かごの中に入れる勇気がないのは、何故なんだろう・・・・??
町内会の会合があった。
去年一年区長を仰せつかったのだが、今年に副総代の方が総代になると言うことでそのポストが空いてしまい、一本釣りのような形で受ける羽目になってしまった。
町内の大きなイベントとして、盆踊り、町内体育祭、敬老会、秋季大祭の4ツがあるのだが、そのうちの2ツは終わった。あとは敬老会と祭りを残すだけとなった。
敬老会は、75歳以上のお年寄りを呼び、食事、余興などで楽しんでもらおう。と言う趣旨なのでなんら問題なく進行して行くだろう。
今我々が進めているのが、町内の有志を募り、能登太鼓をルーツとする大太鼓、小太鼓で演じる同好会。去年の秋から30代、40代の主婦の方、(男性は集まらないんだな・・・・これが。。)小中学生。町内のもう一人の役員の方と私を会長、副会長とし総勢20名で練習が始まった。
まず始めに、盆踊りの休憩の合間に初披露をしたのだが、周りを多くの人達が取り囲み大盛況であった。 このグループ、町内の冠を付けると、色々なしがらみが出てくるであろうし、中にはうるさいのが居るかも知れないと言う事で、町内がバックアップするという形でスタートした。
しかし、太鼓の修理、法被の新調等予算が必要となって来る。会費を集めて運営しているものの、それだけでは、法被どころか鉢巻すら買えそうに無い。
で、総代に頼み、一回1万円の出演料を出して貰う様交渉した。(実際山車には太鼓の先生と言う肩書きの二人がいて、それぞれ2万円づつの寸志を出している。)我々太鼓グループのリーダーは、元プロの陣太鼓集団の出身である。
で、盆踊りが終り、予算の提出時にその出演料が入っていない。
それを問いただすと、“彼らは、披露の場所を欲しがっている。出演させてやっただけでもありがたいのに、金など出せぬ。あてにしてもらったら困る”と言う。。。 唖然とした。
そして、昨日の打ち合わせ・・・・
山車の後に着飾った稚児を乗せる為ワゴン車を出すのだが、当たり前のように「では、車はチョコボさんに任せて・・・」と言って来た。“冗談じゃぁない!”ビール、ジュースを冷す氷を大量に作り、町内の人の笑顔を見るのが好きだった。餅投げをし、“楽しかったね”の言葉にどれだけ癒されたか・・・。
キッパリと「今年は、仕事で使いますので・・・。」と断った。
“あてにされては、困る!”と思いながら・・。
私利私欲のないボランティアを上から見下ろし、自分の意見をふんぞり返って通す。
こういう輩には、へつらわず、堂々と渡り合わなければ駄目だ。
それを日本国民はよく知っている。
キッチンカウンターと、ダイニングテーブルとお揃いで買ったウォルナットのカウンターチェアー。
このカウンターの幅は1m程ある。 長い方だと言う。
朝食など簡単な食事にはここが便利である。
先日も、今冬の結婚を機に家を新築すると言う息子の友人が来て、このカウンターを見て、急遽我が家と同じカウンターの幅に変えたそうだ。
何せ片づけが便利である。 食べ終えた皿を、前のシンクに入れるだけ。そして、テーブルをサッと拭くだけだけで良い。
そして、キッチン内の幅・・・カウンターとカップボードとの間が1m30cmある。
これは以前のキッチンが90cm程で、料理をチョコマカとしているチョコボと、洗い物をしているお局がすれ違う時に、横になって通らなければならなかったのである。余裕を持って行き来するには、この位のスペースが欲しかったのだろう。
(本当は、以前すれ違う度に、「今触ったでしょ!!」とか言って怒ってるお局が、”冗談ではなく、本当に怒ってるんだよ。”との意思表示をここに表したのかな。。。と思っているが。。)
とにかく、このフロアに続くL&Dが、我が家全員が(猫も含む)一番長く居る、団欒の場所である。
母を亡くし1年半が過ぎた。
最初の数ヶ月は何の気力も無く、ただメソメソしていた親父だった。
今では、大した用の無い外出は嫌がるものの、本を読んだり、町内の友人の誘いには出掛けているらしい。
去年の秋に我が家の解体が始まり、飼っている金魚数十匹とプラ船(左官さんがモルタルを練っている、四角い樹脂の箱)数個を預かってもらった。
”金魚でも飼えば?”と言うと、”そんな面倒臭い事・・・・”との事であった。
今年の3月、引越しも無事終え、金魚を引き取りに行くと、”何だ、、、全部持って行っちゃうと寂しくなるなぁ・・・。”と言った。
今では、置いてきたランチュウの仔引きをし、その稚魚を近所の方に分けたりして、結構な趣味になっているようだ。
5年程前から姉が、隣接する土地に家を新築し面倒を見てくれている。
しかし、週に1~2度は顔を出すようにしている。 それが、今出来る唯一の親孝行かも知れない。。
母が生前、私に突然こんな事を言い出した。
「ねぇ、、、私も若い時にはねぇ・・・”あのくそ親父!絶対に許さないぞ!”なんて思った事も一杯あったけど、こうやって病に倒れてからは、”足が痛い。腰が痛い。”って言うと、もういいよ。。。って言うまで、一時間でも2時間でも、ずーっと足やら腰を揉んでくれるんだよ。。。本当に夫婦っていいよ・・・・。」
とポツリと言った。
きっと、我々が喧嘩でもしていないかと心配してたのだと思う。
いつも姉に、母親に対しての小言を言われていた父だが、この母の言葉を知らない。
ある日、感謝の気持ちと、頑張って。のエールの気持ちを込めた手紙を父親に書いた。 きっと母は、最期は父に”ありがとう”って気持ちだったんだよ。との言葉と 、母が私に言った言葉を添えて・・・・。
2日後、照れ臭さそうに電話をしてきた父は「おまえ・・・・あんな手紙をくれるから、昨晩は、ずーっと泣きっぱなしで、眠れなかったじゃないか・・・。」 と電話口で涙ぐみながら言っていた。
親父・・・・。お袋が”早くおいで”と天国の入り口で待ってるかも知れないけど、お袋の出来なかった、やり残した事を土産話にして頑張って長生きして欲しい。
又みんなで食事にでも行こうよ。
昔、あるTV番組で青森の片田舎のお年寄りに参加してもらい、方言の検証をする。と言う番組を見た。
それは、「地図」と「知事」の絵を見せて発音してもらうのだが、ディレクターが、あるおばあさんに「地図」を見せて、「これは何でしょう?」と聞くと、「ツズ」と答える。で、「知事」を指差し「この人は誰でしょう?」と聞くと、「ツズさん」と答えた。
我々にはまるっと同じ発音でしか聞こえないのだが、それを音声分析に掛けたら、全然違った声紋として現れたのである。
そして、同じ地方に住むおじいさんに、そのおばあさんの言っている意味を理解してもらうのだが、「ツズ」と言っているのを「地図」と言い。同じく「ツズ」と言っているのを「知事」と言い当てた。
思わず、唸ってしまった。
初めて博多へ行った時、前を歩く高校生の会話が「お前なんば言うとっとよ・・・」と聞こえた時、思わず「やった!」と心の中で叫ぶくらい嬉しかった。
『訛りは国(地方)の宝』。。。
正しくそうかも知れない。
全国で標準語が溢れないで欲しい。
週末パートⅡ。
デッキにて焼き鳥パーティをし、3時間ほどビール、焼酎を飲み、50本ばかりあった串も完食。 リビングにて飲み直すことに。。。
shigeo夫婦がワインをお土産に持って来てくれたので、そのワインを飲むことにする。(このワインが翌日効くんだよなぁ~~・・・と思いながら。。)
結構お腹も一杯だったのだが、何かワインに合うツマミはないかと冷蔵庫を物色する。 チーズと貝柱があった。
スモーク、ミモレット、ゴーダ、クリーム、カマンベール。右はカッテージチーズ。
ホタテはソティーし、ゴルゴンゾーラソースで食べる。
ブルーチーズの苦手な人にも、これは大好評。ペンネ系のパスタにもよく合う。
ソースを舐めるようにして完食。
う~ん。。。やはりワインが進みすぎて二日酔いの朝であった。
勝ち組とか負け組とか言われて久しい。
IT長者が誕生し、六本木ヒルズに居を構えることが、勝ち組の象徴と呼ばれている。
そもそも一般的な勝ち組の基準とは何なのだろうか・・・・・・。
4~5年前に、豊橋を拠点とするある飲食チェーン店の仕入れ担当部長と商談中だった時の事。
「うちは勝ち組だから、これを維持しないとね・・・」との話が出た。
「は?・・・・はぁ・・・・。」の言葉しか出なかった。。
利益を出すこと=勝ち組。だと思っているらしい。 しかも、負け組を意識したその言い方に、彼の器の浅さが見えた。。。(別にあなた自身が勝ち組でもないし、”私は勝ち組です。”と言って胸を張って言う事自体、もう負け組にしか見えなかったが。。。。)
それ以来、私は彼のことを好いていないし、その後メニュー改定があった時に、付き合いを止めた。
もし、勝ち組、負け組の定義があるとすれば・・・・
自分の人生を終える時、振り返って「あぁ・・・良い人生だったかな・・・。」と思える事が、勝ち組の条件である。
と私は思う。
昨日、久し振りにセキスイの我が家の営業君がやって来た。
実は、引渡しが済み半年が過ぎ、営業はとにかく、設計さん、コーディネーターさん等お世話になった方に住まいの様子を見てもらおうと思って営業に声をかけていたのだ。
その集まりが10月1日では?との訪問だった。 彼の上司も同席したいとのことだが、設計さん、コーディネーターさんは非常に喜んでいると言うことである。
さて、何を御馳走してもてなそうか。。
昨日住み易さに対しての話があった。
あるコミュニティで、”2Fリビングはどうでしょう?”の質問があり、そのやり取りを面白く見ていた。
我が家は2FがLDKの為興味深く見ていたが、やはり我が家のように2FにLDK+バス+洗面と言うケースは少なく、リビングから階下のダイニングへ行く動線の問題とか、リビングだけ2Fに持って来るケースが多いのである。
2FのLDKだと1Fに意識が行かない為、防犯対策云々・・・とあったが、我が家の場合1Fには防犯対策にはしっかりしてあるし、防犯サッシで、道路に面したガラスは割るのに30分くらい掛かるそうだし、あとはシャッターで対策している。 あとは泥棒君がどこを狙っているか考えてみよう。。。
まぁ、我々が新しい住まいに対して満足していることだけは、間違いない。
豊明OL拉致殺人事件。。。
又気分の悪い事件が起きた。 何か言葉を発する前に、そいつらを引きずり出しボコボコにして、なぶり殺しにしても足りないくらいの怒りを感ずる。
「死刑宣告が怖くて自首しました」。。
何を言ってやがる。。
即決で死刑を宣告しても良いと思う。
執行猶予が付き、数年の刑期を終え、”改心しました”とか言って、又世間に戻られては困るのだ。
そう言えばあの山口県光市の母子殺人事件。。。。。。
量刑の差戻審で弁護団が言っている”母胎回帰論”・・・・・。『あほか!!』
”頭を撫でて欲しかった” 乳のみ子を殺した後、押入れに放置したのは、”ドラえもんが何とかしてくれると思った”。。
終いには、こんな事を言うのは精神異常をきたしていたからで、強姦も、殺人も責任はなく、無罪だと言い出した。
あの安田弁護団長とやらの方が精神に異常をきたしているのではないのだろうか・・・。
そして反論に対しては「法律の事も知らないくせに」と のたまった。。
もし彼らの妻、娘、孫が同じような目に会っても、彼等の死刑廃止論にのっとって、その犯人の無罪を主張するのだろうか・・・・。 いや!当然そうするであろう。
そして、苦しんで欲しい。。 法律を知っている人達に。
街ですれ違った気に入った女性を尾行。そして水道整備員を装い、辱めんとし、騒がれ殺害。 その後、死姦。 己の欲求を満たす。
そばに居た泣き叫ぶ子供。 その子供を逆さにして頭から落とし殺害。
5年半前のその事件現場に、”少年”と言うお面を被ったその奥裏に、鬼のような形相をした犯人が居たのだ。
遺族としても、我々平和を望む一少市民にとっても、絶対に許す訳にはいくまい。
考えるだけで気分が悪くなってくる。。。。
私は、事件の風化を恐れている。
お洒落は足元から、 と言われるが、確かに男女を問わず靴と言うのはお洒落の大事なポイントかも知れない。
このチョコボ、職業柄、靴はレザースニーカーが多い。写真のような靴が他に5~6足。バックスキンの靴が5~6足。ドレスシューズが6~7足。都合20足くらいの靴がある。と言っても常に履くのは3~4足で他の靴は年に1~2度履く程度である。
この2足も、手前のハイカットシューズは一度も履いていないし、向こうのレザーシューズも年に2~3度履くだけ。
手前は「パパス」の靴。 これは夏には無理だし、冬にツイードのジャケット&マフラー&ニューヨークハットでも似合うようになったら履こう、、、、と思いながら7~8年経ってしまった。。このタグの裏に¥40,000の定価がある。これも「森伊蔵」と同じで、何だか、”もったいなくって手を付けられない。”たぐいなのかも・・・。
(きっと、これもチョコボの棺桶の中にタグ付きで入っているのだろう・・・・。。)
向こうは「サントーニ」のレザースニーカー。同じような形&色の靴は持っているのだが、何だか欲しくなった一品。「サントーニ」と言えば、「エルメス」の靴を作っているメーカーである。これと同じ素材、形でも「エルメス」と入っていれば10万円程の商品なのだ。
そりゃ、、、簡単には履き潰せないな。。。。。
(本当は、真の貧乏性なのかも知れない・・・。)
さてさて今日は午後からゴルフ・・・・・。 さぁ!何を履いて行こう・・・・・・。。。
この夏大活躍してくれた扇風機。
チョコボ宅は2FがLDKの為、冬の暖房の効きは良いのだが、夏は暖気が上がって来るためクーラーを点けていないとムンムン。。。
しかも、気密性の良い造りになっているため一度冷えてしまえば良いのだがそれまでが大変。
で、活躍してくれたのがこの扇風機。 ちょっと肥満体になったチョコボは、ちょっと暑い所へ出れば汗が滝のように流れ出して来る。(デブの割には自分より体脂肪が少ないチョコボを見てお局は、”あぁ~・・・汗っかきだから新陳代謝がいいんだ。。。”と訳の分からぬ負け惜しみを言っている・・。)
風呂上りにクーラーの前に立ち涼を取ることも多いのだが、熱った体に23~4℃の冷風は気持ちは良いのだが、当たり過ぎるとよろしくない。
風呂上りの湯気の出る体をこの扇風機の前に当てると、もう!最高!!!
そして、冷えたビールをグイっと飲む。
う~~ん・・・・・・幸せ!
この夏一番の贅沢。。。。。?。
一昨日の”あつみ夏祭り”のあと御馳走になった船盛り。
この伊勢海老が半端じゃぁなく大きい。 ちょっとした料亭とか、伊勢へ行ったときのお土産で伊勢海老は多々目にしているが、こんな大きな伊勢海老は初めて。。40cmはゆうにあろうかと言う代物。
しかも、まだ活きてて、目、触覚を動かしこちらを睨んでる。 構わずパクリと一口。。。
お~~~っ!プリプリ!!
その他、あわび、ミル貝、いか、鯛、まだか、茹でたてのたこ(これは荒塩で食べたのだが、いつも食べてる蛸とは別物。) その後、手のひら位ある夏牡蠣、大アサリ、新鮮な海鮮のフライと続き、最後は伊勢海老の味噌汁と御飯。
もうお腹一杯でそのままゴロリと寝転びたい!と思った次第。
いつもいつもお世話になります。今度は豊橋でこのチョコボが有名店貸切でご馳走しまっせ!
昨日息子のバンドが、”あつみ夏祭り”にゲスト出演をするという事で、渥美半島の先端まで行って来ました。
もう立秋を過ぎ、9月の声が聞こえると言うのにこの日の気温は35度を超える猛暑日。。。
それでもこの日を楽しみにしていた渥美の方は(去年田原市と合併になりましたが、このイベントは、渥美商工会が独自で行っているとの事)スーパーマーケットの駐車場を借り切って行われたこのイベント会場に各種出店はもちろんの事、訪れる人も一杯。 日が暮れる頃には、すれ違うことも困難なくらいの人の集まりになっていました。
ビールを飲み、枝豆をつまみながら”祭りっていいなぁ~”と過ぎ行く夏を偲びながら一人感傷に浸ったチョコボでした。
その後、家族ぐるみの付き合いのあるVo.三浦家の招待でご馳走になった船盛の豪華だった事。。。。
(明日アップします)
今年の夏も又、素晴しい56冊目のアルバムを心にしながら帰途に着いたチョコボです。
マーク!本当に楽しい時間をありがとう。
会場で見かけた昔ながらの「Glide」ファミリー
まだまだ残暑が厳しいが、朝夕はめっきり秋の訪れを感じる季節になった。
”食欲の秋” ”読書の秋” ”スポーツの秋”
夏の暑い盛りを過ぎ、さあ!活動をしましょう!!と言うことなのだが、同じような気温なのに、冬から春になった時にはニュアンスが違った言い方をする。
私の友人がある時に「秋の訪れが寂しいのではなく、夏の終りが寂しいのだ」と言ったが、まさしくそうかも知れない。
『文武両道』・・・・今では甲子園の高校野球でしか聞かなくなった言葉だ。
先日も町内パトロールで近辺を車で廻ったのだが、街の公園で遊んでいる子達を見かけない。
”よく遊び、よく学べ”を言われ続け、”よく遊び、よく遊んだ”のチョコボには耳が痛いが、今の子供達には”よく学び、よく学べ”の教育なのだろうか。
「どす馬」 「缶蹴り」 「三角けんちゃん」 「ビー玉」などで育ったチョコボにとって、
”竹馬の友”がパソコンでは、ちと寂しすぎる。。
写真は玄関アプローチに植えた「ツリバナ」
http://www.geocities.jp/ir5o_kjmt/kigi/turiban2.htm
我が家唯一の和室。
中々和室で生活する習慣がなくなってしまったが・・・。
どうしても欲しくて造った一室。
和室と言っても独立した部屋ではなく、LDKに続く一角に40cm立ち上げて造った。 ゆえに、襖、障子、鴨居など本来和室にあるものは一切造らず、いたってシンプルにした。
立ち上げの床の間も、床柱も作らず、3mX2mの珪藻土壁、50cm幅のリビングと同じ”タガヤサン”の床板にした。壺などを飾る時には共色の板を立ち上げてその上に飾るつもりでいたのだが、丁度お局の「車箪笥」の行き場所を考えていたところ、何とピッタリはまるし、違和感がない。
普段使うわけではないが、客室に、寝室に(大きいベッドである)腰掛に・・・。
と重宝している。今では”拘り”の一室である。
我が家には、食器棚、サイドボード、下駄箱などは無くした代わりに、収納棚、エスパースを多く造った。壁と一体化するように考えて設計士さんに伝えたつもりなのだが、我々は、満足しているがはたしてどうだろうか・・・。。
玄関も大きく。下駄箱は分けてシューズクロークを独立させた。
お客さんがいらした時に、靴やらスリッパが散乱しているのが嫌なのだ。
と言っても、これらはお局の意見なのだが・・。
八割方がお局の意向が入った家。。。
まぁ、逆鱗に触れてチョコボの部屋が無くならぬよう穏便に穏便に・・・・・・。。
リンク先にある『一景』さんに庭を造ってもらう際に一番迷ったのが、隣家との塀。
この写真の手前に倉庫がある為台車で表まで運ばなければならない。植樹だと枝が邪魔になる。 ブロックだと趣がない。
で、結局和風の庭に合わせ”穂垣”を造ってもらうことにした。 本当は奥まで(23m)施工してもらえば格好が良いのだが、いかんせん予算というものがある。。。
ウッドデッキを施工した際にちょっとしたミスで(本当は大きなミスかも・・・。)やり直しとなった。
その端材をもらい、DIYで玄関前のウッドフェンスを造ることにした。
最初は一面だけだったのだが、なんだか寂しい。 業者に頼み、追加で材料を手配してもらった。
で、出来たのがこれ。
「イペ」と言う材料を使ったのだがhttp://www.technogreen.jp/s_ipe.htm 素人が施工するには、余りにも大変。 実際、家の建築に携わった大工さん。そしてリフォーム、デッキを施工してくれた大工さん両方ともこの「イペ」での施工は経験がないと言われた。
まず下穴をドリルで開けるのだが、2cm程進むと煙が出てくる。ドリルの目が詰まってしまうため何度も繰り返しながら一つの穴を開ける。 そして、ドライバーでネジを押し込む時も中々入って行かない。下手に力を入れるとネジの頭が飛んでしまう。 友人に頼み込み、2人がかりでやっと完成!!
大工さんに造ってもらっらウッドデッキも居心地が良いが、自分で造ったウッドフェンスの前を通るのも、中々通り心地?がいいもんである。
巨峰が美味しいシーズンである。
思えば、今のこの巨峰にはほとんど種がない。
子供の頃に食べたそれには必ず種があり、口の中をモゴモゴしながら取ったものだ。
いつの間に”葡萄には種がない”ものになったのだろうか。。
そして、一般的に食べていた”房ブドウ”も我が家のデザートとして食卓にあがらなくなってしまった。
あの味も我が家にとっては、あと数年で”懐かしい味”となってしまうのだろう。
そう言えば、だいぶ昔にスイカの種無しが開発され、それを食べたことがあった。
味そのものは美味しかったのだが、あの種を取る仕草がないだけで何故だか違和感を覚えた。
その後その”種無しスイカ”が出廻ったという話は聞いていないから、きっとみんなもスイカに関しては、「タネを取って食べる美味しさ」が身についているのだろう。
さぁ、、、明日は何を食べよう?
ナシ、桃、みかん・・・・。 果物の美味しい季節になってきた。
昨日は友人の娘さんの結婚式に出席して来ました。
連日続いていた猛暑も少し安らぎ、とっても素敵な結婚式になりました。
思えば、うちの家族と彼の家族ともう一人仲の良い家族3家族で近くの河川敷へBBQへ行ったのを思い出します。 彼女がまだ、小学校の低学年の頃でした。
あれからもう20数年が経ったのですねぇ。。。
娘さんに腕を取られバージンロードを歩く彼の姿を、娘のいない私は、羨ましく見つめました。
そして彼の目に涙が浮かんで見えたのは、気のせいだったのでしょうか。。
幸せは、絶対に向こうからはやって来ない。
こちらから迎えに行かなければね。。
いつまでも、いつまでも幸せを探す努力を忘れずに。
オメデトウ。