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以前、義母が(お局の母上です。今年80歳。背筋はピンとしているし、今でも大きな乗用車を乗り回している。正装でもしたらチョコボと同じ年回りに見えるかも知れない。)我が家へ来る途中にあった出来事。
豊橋の郊外にある我が家へ街中から来るには、途中国道一号線を横切らなければならない。 ある日、豊橋の東方面から我が家へ向かった義母は国道一号線を横切ろうとした。
あいにく、その交差点は、旧東海道と平行して走っており、交差点を超えるとすぐにそれと交わる十字路があるのだ。 一台の車が右折をすると、もうそれだけで渋滞がおきてしまうのである。
信号が赤に変わろうとしている時、前の2~3台の車が左に避けて行ったらしい。
それが近道(迂回路)だと思った大局は、その車の後について行ったと言う。
しかし、入って行った道路は、またまた渋滞であったそうだ。。
5~6分すると、右手に若いお嬢さんが来て、「いらっしゃいませ。御注文をお伺い致します」と言ったそうだ。 訳の分からない大局は、「はい。ありがとうございます。でも今日のところは結構です」と言ってそのまま出て来たらしい。
我が家へやって来た大局は、そんな話をしてくれた。
「ところで、あのお嬢さんは何だったのかねぇ~・・・。」とお局に聞きながら。。
そう。マクドナルドのドライブスルーに入ってしまったのである。。
このチョコボ、数分間笑いが止まらなかった。
今、思い出しても笑いが込み上げて来る。
いつまでも可愛い大局と、その血を引いたお局である。
チョコボの好きな言葉。
”子供叱るな、来た道ぞ。 年寄り笑うな、行く道ぞ。”
いつまでも長生きして欲しい。
色付き始めた黄千両と赤千両の実。
秋と言って思い浮かぶのが、食欲(味覚)、スポーツ、読書、旅、恋・・・等等
ちょっとネガティブに、紅葉、枯葉、落ち葉、ススキ、月、物思う、失恋、並木道。。
四季の移り変わりがハッキリとあり、それぞれの趣があるのは日本独特の文化なのだろうか。 他国の事を特別調べた事もないが、日本に生まれて良かった。と思う季節である。
そう言えば中学1年の冬。 何の研修なのか忘れたが、母に河口湖畔の研修所に行かされた事があった。 15名程の同世代の学生が集まり3日間程の研修であったと記憶している。 そこである晩、”今度生まれ変わったら。どこの国で生まれて来たいか?”の質問があり、ブレーンストーミングと言われる、要するに忌憚の無い意見交換をしましょう。と言う趣旨の研修での晩の事。
ほとんどが”アメリカ”、”フランス”、”イタリア”、”オーストラリア”と先進国と呼ばれる優雅な生活を想像させる国々を挙げていた。(もちろんこのチョコボもアメリカ!と答えていた。。) その中で、山梨県から来ていた同じ中学1年生が「僕は、生まれ変わっても、絶対に日本人として生まれて来ます。僕は日本が大好きですから。」と答えた。 素直に”カッコいい!”と思ったし、何だかミーハーな答えをした自分が恥ずかしかったのを覚えている。
ひょっとしたら彼は今、学者か政治家になっているのかも知れない。
方やチョコボは、今この歳になって、初めて「今度生まれ変わっても、日本人として生まれて来たい」と思えるようになった気がする。(愛国心はどこへ忘れた!と言う声が聞こえて来そうだ。。。)
話は違うが、冬のイメージ・・・・。特に”北の大地”などと言うと、冬ごもり、冬支度、大雪、など切ないイメージがあるが、積雪を待ち望み、ウインタースポーツ到来!と、スキー、スノボーへ行く事が学生、OLの楽しみの行事の一つになったのは、いつの時代からなのだろう・・・?
さぁ・・・そろそろセーターでも出そうか。。
金曜日の夜、映画を観て来ました。 タイトルは「幸せのレシピ」。
ちょっと前にテレビで予告編をみて気になっていたもので・・・。
感想? まあ良い映画でした。 思った通りの展開。思った通りのエンディング。
こう言った映画、嫌いではありません。
ただ、主演のキャサリン・ゼタ=ジョーンズの「シカゴ」の悪役ダンサーのイメージが強くって、あまりに素直で綺麗な(ちょっと勝気なところは一緒ですが・・・。)役所にちょっぴり違和感を感じました。 でも、”いい女”は何を演じても”いい女”なんですなぁ・・・・・・。
↓
今度は、「続・三丁目の夕日」を見に行かなくては。
ホロっと泣いて来よう。。。
本当は、小栗旬主演の「クローズ・ZERO」も観たいんだけどなぁ~。。。。
我が社の扱う”あんかけパスタソース”の「スパゲッ亭チャオ」へ久し振りに行って来た。
仕入先の部長と、客先の課長との打ち合わせ。。
皆さんは、エビフライ&チキンフライ&ウインナーが乗った「バイキングDX」。
チョコボは、豚肉のピカタが乗った「チャオ」。高校時代に初めて食べたメユーがこれ。 大学時代にも週に一度は通っていたのを思い出す。
愛知県人にとって”あんかけパスタ”は、クセになる味なのだと思う。
先日、豊橋出身のF1レーサー「山本左近」の15日付けのブログに、この「チャオ」の事が載っていた。
ここ→http://blog.moura.jp/faraway/
彼にとっても、この味は「忘れられない味」になっているようだ。
(今度ソースを送っておこうかな・・・。)
昨日から始まった日本シリーズで活躍してくれそうな「岩瀬投手」。
彼もまた豊橋の愛知大学の出身で、大学時代は良く食べていたようである。
先日も、アピタ店内にある「チャオ・向山アピタ店」でバイキングDXのLサイズを食べて行ったそうである。 スポーツマンは、バイキングDXのLサイズがお好みなのかな?
やっぱり岩瀬にもソースを送っておこうかな。。 そう言えば「光浦靖子」もテレビで「チャオ」の事を話してた。
早速送って、もっと宣伝してもらわなくっちゃ。。。。
秋を迎え、赤く実の熟した「ツリバナ」。
高校の同窓会の主催で、卒業15周年と30周年が当同窓生によって行われる。
30周年を7~8年前に行ったから我々も、もう、いい加減いい歳になったものである。
15周年を迎えた時、高校時代に担任だった教師とこんな話のやり取りがあった。
(ちなみにその教師は、当時もう教職を退職されており、開業医の息子の家で孫の面倒を見る日々だとおっしゃっていた。)
「ねぇ~チョコボ君・・・私が在職していた時には、”勉強の出来る子=良い子。
勉強の出来ない子=悪い子。と思っていましたが、社会に出てみると、決してそうではないんですよねぇ・・・。」 と真顔で真摯な顔をしてポツリと言った。
私が「先生。。そんな事を言ったら、我々の高校でまぁまぁ成績の”良い子”が、もっと偏差値の高い高校へ行ったとしたら、その”まぁまぁ良い子”が”悪い子”になってしまうし、その逆の場合だってあるじゃぁないですか・・・。」と返すと、「そうなんですよね・・・。在職中は、そんな事を考えなかったんですよね。。」と言った。
”そんな馬鹿な。。。”と心で思いながら、他に返す言葉が無かったのを覚えている。
先日、町内会での会合で、3年前に公立高校を退職された元校長先生にこの話をしたら、「はぁ・・・・・。。もちろん私はそう思っていましたが、言われれば、そうですね。。。」 と、つい数年前にも”出来る子=良い子”の図が、この元校長先生の頭の中にあった事をポツリと洩らした。 「いゃ~ そんな事は無いですよ。中には、そう言った教師もいるのでしょうが・・。」との言葉を待っていた私は、その話題を終わりにした。 へぇ~・・・・。。やっぱり、、これが今でも教育の図式なんだ。と思いながら。。
では、小学校の徒競走に於いて1、2,3番を決めず、上位3人は頑張ったのだから、順位など付けずゴールテープを手を繋いで仲良く一緒に切りましょう。ってやつ。。あれはどうなんでしょう?と聞くと、「まぁ、頑張ったのだから、そこに差別は付けないでおきましょう。と言う事ではないですか。」との見解であった。 それなら高校、大学入学時に偏差値など付けなければ良いし、ましてや、4番以下の子供は切り捨てではないか。
正しく、上位の子=良い子。 4番以下の子=どうでもよい子。の図式になってしまう。 地方格差を叫ぶ前に、もっと大切な教育があるような気がする。
(まぁ、これもPTAの”天の声”の影響力が大きいと思うが・・・。)
豊かな人生とは、決して鮨詰め教育によって得られるものでは無い!。
と、声高らかに叫びたいのだが、負け犬の遠吠えみたいに聞こえそうだから、このブログで、そっと穴を掘って叫ぶ事にした。
『王様の耳わぁ、、、、、ロバのみみぃ~~~!!』
昨日の話。。外見の事を書いたが、彼の高校時代の事。
高校2年の時、彼は生徒会の会長に立候補した。
当時はまだ出来の良い生徒、又はイニシアティブのある生徒が生徒会に立候補していたと思う。
そこに彼が立候補して来た。 みんなは、色物を見たさに集まる群集心理で、ヤンヤの喝采である。そして、見事当選したのである。
(彼は確か弁論部に在籍していたと思う。決して上手くはないが、演説に迫力があったように記憶している)
それからが彼の真骨頂である。
(当時、生徒会が何をやるのかを理解していなかったし、お飾りだろう・・。と思っていた)
彼はまず、県の教育委員に掛け合い、高校の制服、制帽を止めさせようとしたのである。。
すなわち、”制服は悪しき軍国主義日本の名残である。「七つボタンは桜に錨」と歌われた特攻隊の制服ではないか。又、セーラー服も、同じく海軍の水兵の制服を模したものである。あの忌まわしい戦争を懺悔する事無く、その名残を公立の高校が制服として義務付けるとは、何事だ!。”と言って掛け合ったのだ。
大拍手!!である。
そして、体育祭の最後に、校庭で落ち行く夕日を背に皆で火を囲み、フォークダンスを踊るファイヤーストーム(当時高校は、夜である事と、火が危ないと言い、又、男女が手を繋いで踊るのは教育上駄目だと言う事で中止していたのである)の復活をさせたのである。
(我々の大切な青春の思い出を、教師の勝手な一存で止めさせられてたまるか!との思いである)
さすがに制服は廃止にならなかったが、制帽は義務付けされなくなり、帽子を被らず登校し、いつも生活指導の教師に叱られていたチョコボは大手を振って歩いた記憶がある。 (ただ・・・ファイヤーストームで女の子と手を繋いで踊った記憶はない。このチョコボのこと。。サボったな。。。)
それ以来、靴もカバンも規制が緩くなった。 彼のおかげである。。
田舎の高校ではあるが、素晴しい高校であると確信している。
そんなバイタリティのある彼が、何億も稼ぎ出す会社の今の地位にいるのは、何ら不思議な事ではないのかも知れない。
彼の名は、「小島晃」
チョコボの高校の同級生である。今では、産廃業界で名を馳せている。
そしてこの絵は、息子が14~15年前に描いた彼の似顔絵。
非常に良く似ている。
そして不思議なのが、ずいぶん前にもかかわらず、今でもこんな感じで歳を取っていないのだ。 考えてみれば、彼は高校時代からこんな感じだったかも知れない。
卒業後の同窓会などでは、生徒の中に一人教師が混じってる図なのである。
彼が結婚したての頃、彼の奥さんが「若い頃、”可愛い”。”格好良い”って言ったって、歳を取ればみんな変わる。 そこへ行くと、あなたは絶対に変わらないから大丈夫よ」と彼に言ったらしいが、 本当だな。。。と思う。
結局は彼の方が得?したのか。。
まぁ、今だからそんな話になるが、70歳位になったら、”どうでもいい話”なんだろうなぁ。。。
ベランダから見た外壁。
積水ハウスの言う「ダインコンクリート」。 鉄の枠組みに貼り付けられたコンクリート。「古レンガ」というタイプ。
これが{建て方」と言い、所謂昔からの言い方「建て舞」の日にクレーンで吊られて空を舞い、鉄骨に組み立てられて行く。 2~3m四方のそれは200Kg以上あると聞いた。
その「建て方」の初日、10枚程積み重なられたパネルが、下で受けていた木が折れ、崩れ落ちてしまったのだ。 幸い怪我人もなく大事に至らなかったが、2~3枚のコンクリートパネルの角が割れて破損してしまった。
再発注をかけられたそれは、一週間後無事取り替えられ、何事も無かったかの様に建っていた。
その話を数日後、お局の友人が遊びに来た折、お局が説明していたのだが、その友人(彼女もかなりの天然さまなのだが、、、。)が、「ねぇねぇ・・見て!ここもまだ欠けてるよ!」と騒ぎ出した。 お局も「いゃだ!本当だ。。あっ!こっちも欠けてる。。。あっ!こっちも。。。」と言って騒ぎ出した。
結局私のところへ来て「ねぇ、まだ直ってないよ。。。。いっぱい欠けてるじゃん。。」と・・。
その箇所を見に行くと、「ここでしょ、、、ここも欠けてるでしょ・・・。。ほら!ここも。」と言って説明してくれる。
あの~・・・・・・。。それって、「古レンガ」の壁の模様なんですけど。。。
ご存知、オッパッピー「小島よしお」
今小学生の間で大流行りだと聞いた。
先日聞いた面白かった話。
小学校の授業で生徒が言う事を聞かない。 教師が怒ると、”でも、そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!”とやるらしい。 それが他の生徒に大爆笑らしいのだ。
業を煮やした教師が「廊下に立ってろ!」と言っても、、”でも、そんなの関係ねぇ!”とやるらしい。
困り果てた若い教師。。生徒が、”そんなの関係ねぇ”とやった時、、、、、
負けじと、”ウェ~~ィ”とやり返したそうだ。
この話を町内会の寄り合いで話していたら、横で聞いていた元校長先生が「まったくふざけてる!そんな教師がいるから教師の地が落ちたと言われるんだ!」と、すごい顔をして憤慨していた。
笑って済ませてくれない?、、、、、、笑い話なんだから。。。。
あはっ!
藤村操
旧一校(東京大学)にて哲学を学ぶ。
明治36年、18歳の折、人生の「不可解」さを嘆き日光の華厳の滝から身を投げる。
その折、ミズナラの大樹に辞世の句を残した。
その後、彼に感化され投身を試みるもの180名余り(遂投40名)警察官に保護される。
事件の重さを感じた警察は、この木を伐採したと言う。
かの夏目漱石の生徒であり、英語の授業の予習をして来なかった彼を叱ったと言う。 それが原因ではないのか・・・と言う思いが、漱石のその後の文壇生活に大いに影響したと聞く。
悠々なる哉天襄、遼々なる哉古今、五尺の小躯を以て比大をはからむとす。
ホレーショの哲学ついに何等のオーソリチーを値するものぞ、万有の真相は唯一言にしてつくす、曰く”不可解”。
我この恨を懐て煩悶終に死を決す。
既に厳頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。
この句を残した。。
高校の時この句を目にしたチョコボは、何故だか一所懸命覚えた。
今でも空で口に出来る。
同じ年頃の天才の仕業に感嘆、感銘したのだろう。
”天才とは1%の才能と99%の努力で成り立っている”と言ったエジソン。
あれは嘘だと思う。。。。
天才と言われる頭脳を持った偉人。驚くべき身体能力を持つアスリート達。
世界陸上を見てそう思った。
”天才とは、溢れるほどの才能と、数%の努力で出来ている”と。。。
何でも努力!努力!は、悪しき軍国主義の名残ではないか?
我々一般人は、己を知り、それに向かって努力する。それが真の”切磋琢磨”であろう。
”鵜の真似をする烏”となるべからず。
節度を保つ事。節度を保つ事。
昨日の記者会見。
大毅は坊主頭で、うなだれて一言も発せず、2分後抱きかかえられるようにして退席。一週間前、15歳も年上(先輩)の男をつかまえ「内藤君には、このジャケット、似合わへんやろ」とか、「切腹する!それだけ命懸けやと言う事や!」 とか威勢の良い言葉を会見で言っていた金ピカジャケットとサングラス男と同一人物とは思えない姿だった。
親父も真摯な態度で、さすがにいつも見られる威嚇、恫喝の態度は見られなかった。
まぁ、考えてみれば18歳の少年である。いくら突っ張っていても、あのバッシングは答えたろう。(あの記者会見の態度が本当の姿だとは思わないが・・・)
本心を言うと、ホラ吹き大毅が、もしあの大口通り内藤を2~3R位で、見事なワンパンチKOで勝ったとしたら、皆の大毅に対する見方が変わったのだろうな。。。
と思う。
いかんせん、あの実力では・・・。正直もう少し強いかな?と思っていただけにガッカリした。
ホラ吹きクレイで有名な「モハメッド・アリ」。彼の記者会見もパフォーマンスが一杯だった。相手に掴みかかり、KOラウンドを予告する。 そして予告通りKOした。
ボクシングファンのみならずとも拍手喝采である。 こうして民衆の心を掴み世界一有名なボクサーとなった。
ひょっとしたら、亀田家もこれを狙っていたのかも知れない。。
アリが、もし弱く、反則技を使って世界チャンピオンになっていたら、あれ程有名にはなっていないだろうし、一生の汚名を背負って生きて行かねばならぬチャンピオンで、とおの昔に名前は忘れ去られていた事だろう。
亀田興毅、大毅兄弟が世の喝采を浴びるには、大毅の言う”宇宙一”のパンチで世界の強豪をバッタバッタと倒しまくって、宇宙一強いチャンピオンになる事だろう。
人間の評価は、”何かを言った”のではなく、”何をやったのか”。。。だと思う。
誰も遊んでくれないすべり台、ぶらんこ、シーソーがあった。
子供の頃遊び場の定番だった公園に、今では子供の姿はない。
以前、街中パトロールで町内を廻った時、夕方の公園に子供の遊ぶ姿がないのを驚いていると、一緒に廻った、校長先生だった自治会長が「今の子供は、家から帰るとまず机のパソコンに向かう。それから塾へ行くから公園で遊ぶ機会がないのですよねぇ」と寂しそうに言った。 そして、「それを母親が良し、と思っているからですね。。。」とも付け加えた。
そう言えば、以前小学校のアスレチック場(丸太を縦に並べて渡る設備)で誤って滑り落ちた子が、打ち所が悪く、亡くなってしまった事件があった。 結局その設備を取り払って”一件落着”となったが、何だかスッキリしない対応に思えたのは、このチョコボだけではあるまい。
「では今後、木登りをして落ちたら、公園、学校の木は全部無くなりますね。」と半分皮肉を込めて言ったら「いや~堤さん、、今の子供は誰も木になんか登って遊びませんよ」と言われた。。。
そうか、、、、このすべり台も、ぶらんこも、シーソーも、、、
もう懐かしの遊び道具になっているのかも知れない。
そう言えば、定番だった”ジャングルジム”の姿がない。
こりゃぁ、何かあったのかな。。。
昨日書いた「美の壺」に紹介されていた”和ろうそく”。
http://www.nhk.or.jp/tsubo/arc-20070928.html
そう言えば、我が家にあったな・・・? と思い引き出しから引っ張り出した”和ろうそく”である。 粗品で貰ったのだが、今思えばその人も、粋な物を送ってくれたものだ。。
一般的にある”西洋ろうそく”はパラフィンから造られ、”和ろうそく”は全て植物から造られているそうである。 そこに炎の揺らぎ方の違いが出ると聞き、実際点けてみたのだが・・・・・うん、確かに違う。 芯もかなり太い。
たまに出る「揺らぎ」は、薄明かりの中でなんとも言えない情緒をかもし出す。
”ろうそく”は今の我々の生活には出て来ない。せいぜい仏壇か神社仏閣の奉納時に灯を点ける程度である。昔は、大きなろうそくが非常用にあったな・・・。と思い炎を眺めていた。
こんな時間の流れも良いものである。
NHKで放映されているTV番組。 そして、今一番のお気に入りの番組。
毎週必ず録画して、それをDVDに落として保管してある。
(番組HP) http://www.nhk.or.jp/tsubo/index.html
番組内のタイトルを見ていただければ分かるが、「風呂敷」「花火」「床の間」「神輿」「李朝家具」等々、生活に密着していて、非常に面白く見ていて飽きない。
BGMのジャズも番組を一層引き立てる。 このBGMのCDが発売されたと聞き早速購入した。
今日明日には届く事だろう。楽しみだ。
今も昨晩放映された「青磁」を再生して観ていた所である。
先日、積水ハウスの設計士さん、コーディネーターさんを招いて小宴会をしたと書いたが、その折この「美の壺」の番組を知っているかと聞いたら、お二方とも知らなかった。 早速再生して見せたら、かなり興味深そうであった。
きっと10月からの放送は全て観ている事だろう。
よりセンスが磨かれ、より良いアドバイスが出来る事を期待して。。
まだ観てらっしゃらない方へ・・・。 再放送を含め、週4回の放送があります。是非!一度ご覧あれ。
おしどり夫婦。
うらやましい限りである。。
縁あって一緒になった仲。 人生の最後まで一緒に添い遂げたいものではある。
私の友人(酒を飲んだり、ゴルフへ行ったりとか、かなり近い友人なのだが・・)の2人が、一人は一昨年に離婚。もう一人は、完全な別居生活をしている。
不思議な事に、籍こそ入れてはいないが、それぞれが新しい伴侶を見つけ生活している。
まぁ、よくある人生の縮図であろう。
我が家も御多分に漏れず何度も喧嘩&離婚話は出た。(今でも一触即発かも・・?)
しかし・・・・何せこのチョコボに勇気がないのだ。 ”いやだぁ~”と愚図った覚えもないし、土下座して謝った記憶もない。
きっと動物好きなお局の事・・・・。”私がいなくっちゃぁ・・・。”と思ったに違いない。
ある時その友人が「お前は、若い頃さんざん遊んどいて、今仲良く女房孝行しているみたいだが・・・本当、バカヤロウだよな。。。うらやましくは思うが・・。」と半笑いでつぶやいた。
「どうせ遊ぶなら若いうち、、、、。若い頃真面目で遊びもいっさいしなかった男が定年を迎え金を持ち、女遊びをしたら、かなわんぞ。。。同じ期間を遊ぶなら、どっちがいいと思う。」と強がりを言ったら、横でお局が「どっちも一緒だよ!」と言った。。。
うん。確かに。。。
”生まれ変わったら、幸せになりたいな・・。”と言うお局に、「生まれ変わって違う男と一緒になって生活してごらん。”あんたの方が良かった。”とは言わないだろうが、”なんだ!・・・。みんな一緒なんだね。。”と思うから。」と言うと、「そうかもね・・・。でも、今度はお金をいっぱい持ってる人を選ぶけど。。」と真顔で言った。
(俺は貧乏人か!。。) でも、宝くじでもロトでも、一億とは言わないが一千万位当たって、ポンとお局に渡す。 その時の本当に嬉しそうなお局の顔を見てみたい。。
もう息子が結婚しても良い年を越えつつある。 息子の友人、私の友人の子供の結婚式に去年の暮れから4回程出席した。
いつも彼らに言う言葉。「ここに出席してくれた200名近い友人、親戚の前で一生の愛を誓ったのだ。せめて、この200人には嘘をつくな。」と。。。
10月12日は我が家の結婚記念日である。
今年で31年。。 思えば、うちのお局とは35年程の付き合いになる。
35年。。。すごいなぁ・・・・。と思う。 自営をしてからは、朝も、昼も、夜も同じ屋根の下にいる。
最近では小言で朝が始まるのが通例となってしまった。
十数年前にTVで、うだつの上がらない亭主を上地康雄が演じ、美人の奥さんを浅野温子が演じたドラマを観た。
二人で車の中から星空を眺めながら語り合うのだが、上地が「結婚した日から、お互いが100点の持ち点があるとする。そして、そこから日々の点数を減点して行くのだ。子供の出産時に立ち会えなかった。マイナス1点。夜、むしゃくしゃして飲んで帰って女房に当たってしまった。マイナス0,5点と・・・。」
「そして、その持ち点が無くなった時、この夫婦生活は破綻になる。 ふと考えてみたら、自分の持ち点はもう30点足らずだ。そして、君の持ち点は、まだ90点も残っている。」と言って泣きながら懺悔するのだ。 何故だか身につまされ心打たれたのを思い出す。
自分の持ち点を数え直してみた。。
いけねぇ!!とおに赤点になっていた。
追試を申し込んでみよう。。。
一昨日、前々日と町内の秋季大祭が執り行われた。
各町5町でそれぞれの志向を凝らして金比羅神社を祭るのだが、客観的に見るとそれぞれの工夫と苦労が垣間見れて面白い。
で、祭りが終わってから役員の慰労会と反省会での出来事。。
宴もたけなわ、さぁ中締めでも・・・と言う時にある区長がおもむろに言い出した。
「町内の長老として一言言いたいのだが・・・」と。
(実は、3~4年前から一人の町内の住人が盆踊り、敬老会、祭り、体育祭と全ての行事に率先して参加してくれている。 例えば、一昨日など町内を”お車”が練り歩くのだが、自前の法被を用意して、その列の先頭に立ち、行き交う車の交通整理をしてくれる。又敬老会など11時開始にもかかわらず我々と同じ9時に集合して雑用の手伝いをしてくれるのだ) 「Aと言う男がいつも行事に参加している。役員でもないのに何をでしゃばっているのだ!と言いたい。」と。。。
一瞬耳を疑った。 残りの役員全員も凍りついている。
いつしか他の役員が私を見ている。”おい!何とか言っておくれん”と小声で囁く役員もいた。 正直、”呆れてものが言えない”と言う言い伝えはこんな時の事を言うのだろうと思った。
実を言うとこの方、学校の教師であった方である。
で、「例えば、数年後にこのような方が5人、10人と増えて行き、祭りを、行事を盛り上げてくれるとしたら、これは迷惑ですか?ありがたい事ではないでしょうか。 そう言った参加を集う事がが我々の務めではないですか?」と問うと、「役員でもない人間がそこに居て仕切っているのがおかしい。駄目だ!気に入らん!」と言い張る。しかも、「彼は、ボランティアと称して金銭を要求していると聞いた。」とまで言い出した。我々町内四役、もちろん会計さんにも、こんな話は伝わっていないし、金など出す訳がない。彼がそんな人間でない事は、区長を含め町内役員知っている。但し”その方を除き。”だが。。。そうやって自分の意見を正当化しているのであろう。
そもそも町の役員なんてものは偉くもないし、ましてや”選ばれし人達”でもなんでもない。 何か勘違いしているようである。
倫理馬鹿も、ここに極めり。。である。
この役員とは以前にも、2度ばかりぶつかった。
今年の春、”ごくろうさん会”での寿司屋の宴会での事。中締めが始まる頃、日曜日だった為店内が混み合っていて最後の寿司が揃わない。 ある区長がストップをかけ、中締めをしようとした時、その区長が「おい!俺の寿司がない。何故だ!」と言い出した。ストップを掛けた区長が「とりあえず中締めなんで・・・」と言うや否や
「おい!お前に俺の寿司を止める権利がどこにある!え~~っ!説明せい!」と怒鳴りだした。
誰か止めるだろうと思い静観していたが5秒経っても、10秒経っても皆下を向いたまま何も言わない。。
あまりの阿呆らしさに「ちょっと待って!。今このやり取りをビデオに撮って、区に帰って町内の皆さんに見てもらいましょう。”あ~うちの区長さんは一所懸命やって下さっているな”なんて思う町内の方は居ない筈だ。恥ずかしい。子供の喧嘩だ。。」
「寿司なんか後で食べれば良いし、私も今年、来年と役を仰せつかったが、こんなくだらない、恥ずかしい町内会なら降ろさせてもらう。。そして、町内の一住民として、この町内役員会に異議を申し立てる!」とまくし立てた。
その後、説明せい!と怒鳴られた役員は、私を2次会へ連れ出し、涙流さんばかりに喜んだ。
余程、常日頃絡まれた鬱憤が溜まっていたと見える。(彼は工務店の社長、すなわち大工の棟梁である。しかし、学歴において何かしら教師と言う名にコンプレックスを抱いていたようである。)
私は、”あんな訳の分からない屁理屈オヤジより、職人の代表の棟梁であるあなたに敬意を抱いていますから”と言うと、嬉しそうな顔をしてその顔を赤らめた。 純粋でいい男である。
又、盆踊りの祭餅投げの行事を提案したのだが(これは実現させたが・・)その時にも、したり顔して「う~~~ん・・・問題ですなぁ~・・・・。第一、餅投げなんかすれば、我が町内だけでなく、隣の東西南北の町内から餅を拾いに来てしまうじゃないか。これは、いかがなものかと・・・・それなら住所を確認し、町内の子にお菓子を配った方が良い。」と顔を強張らせて言った。 又あんたか・・・。。
と思いながら「餅投げは、お祝いのお裾分けである。建て舞時に拾う人のくくりが出来ないと同じ様に、近所の町内の子供達にも来て貰いましょう。それこそが、我々の住んでいる町内の誇りとなるではないか」と。
そして「住所を聞いてお菓子を配るようなことをしていたら恥ずかしい。自分が子供だった頃に、親戚の祭りに参加して住所を聞かれ、地元以外は駄目。と言われたら、そんな町内会は最低だ。と思うでしょ!」と加えた。
こんな輩はどこにでも居るのかもしれない。(特に酒の席では勢いが良くなるから敵わない。。 ”俺を誰だと思っている”。。。とでも言いたそうに)
22歳で教師になってから人様に頭を下げた事もなく、そのまま歳を取ってしまった弊害がここら辺に出る。
ただでさえ我儘なのに、お神酒が入っているから手に負えない。。。
社会に定年と言う制度がある。今は60歳。。思考能力、判断力、体力が衰えるからである。
昨今、政治の世界もこの定年制度を取り入れた。
彼は74歳。。ふんぞり返ってくだらない事を言っているだけの長老は早く引退させなければならぬ。
「そんな事を書くと、見てるかも知れないよ」と 後ろでお局の声が聞こえた。
見てるかも知れない?・・・・。いや!逆に、見ていて欲しいと思うくらいである。
一人の『勘違い爺さん』のお陰で、久し振りに感じた憂いの日。。
好きな観葉植物。
2年程前にあるお宅で見かけ好きになった植物。
モンステラ自体の存在は知ってはいたのだが別に興味もなかったし、あえて購入しようとは思わなかった。 ある日それを何気なく見ていたら非常に愛着が湧いて来てその日のうちに購入。 う~ん。。。何故か好き。
我が家の玄関アプローチに「カクレミノ」と言う木が植えてあるのだが、正しくこれは観葉植物版の「カクレミノ」だな。
伸び方も早い為、切って別のガラス瓶に入れて飾ってある。
植物好きな姉も気に入り、枝を持って行った。
家と緑。 地球がアスファルトとコンクリートで覆われ尽くそうが、宇宙旅行が当たり前の世になろうが、生活と緑のコントラストだけは絶えないで欲しい。