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我が家の招き猫。。。
だと良いのに・・・・


どこへでもヒョイと飛び移ってしまう。 見ていると不思議である。
ベランダの手摺にも躊躇なく飛び乗り、スタスタ歩いている。
抱きかかえると必死に爪を立て、手摺にしがみつこうとするから高さは分かっているようだ。


高所恐怖症の猫がいたら面白いのにな・・・・・。
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スーパーなどで見つけると必ず買ってしまう「ウズラの卵」。
もちろんゆで卵にして食べる。
ある喫茶店で、モーニングサービスとしてこのウズラのゆで卵をバケットに30個くらい入れて出してくれる店があった。 食べ放題が嬉しくって、よく通ったものだ。
10ヶ程食べると非常に満足感がある。 何故だか、ニワトリのゆで卵より好き。
”おでん”でも卵は必ず入れるのだが、「ばくだん」と呼ばれるウズラの卵を包み込んだ練り物がないとガッカリする。


ある時、東京からの来客と一緒に蕎麦屋へ行った時の事。
知人が頼んだのが「天ざる定食」。 その薬味の中にウズラの卵が乗っていた。
その知人、「へっ!?何・・これ・・・」と驚いていたのだが、関東ではそんな習慣(ざるそばのつゆの中にウズラの卵を入れる事)はないのだろうか・・・。
逆にこちらが、当たり前だと思っていただけにびっくりしてしまった。
ただ、讃岐うどんの製麺屋の社長が来た時にその質問をしたところ、「蕎麦は知りませんが、うどんには必ずウズラの卵は付きますよ」と言っていた。


うん、、処変われば品変わる・・・か・・・。




そう言えば、豊橋はウズラの生産日本一だったよな・・・。。



昨日、母の3回忌法要が執り行われた。
早いものであれから丸二年が経つ。
兄弟、親族が集まり思い出話に花を咲かせたのだが、今度会う時は5年後。。
同じ様に皆の元気な顔が見られるだろうか・・・


母を思う時、いつも頭に浮かぶのは、割烹着を着て元気に動き回っている若かりし頃の母の姿と、頭を短く刈られて、もう動く事もままならなくなった晩年の母の姿である。 特別な思いやりや思い出があるわけではないが、不思議と母のこの姿を思い出す。
本当は、、、もっともっと母の笑顔が見たかったなぁ・・・




母へ捧げる詩


知っていますか、私がこの世に生を受け、初めて眼を開いて見た物、、、それは微笑みながら私を見つめるあなたの笑顔だった事を・・・。


覚えていますか、私が幼い頃、泣いて帰って飛び込んで泣きじゃくったのは、いつもあなたの暖かい胸の中だった事を・・・。


知っていますか、まだあなたが元気だった頃、皆で行った北陸旅行での金沢城門前のスナップ写真、、満開に咲く桜の樹の下で微笑んでいるあなたは、とても素敵にキラキラ輝いている事を・・・。


覚えていますか、孫のランドセル姿が見たいと、入学式の当日、、ずーっと学校まで附いて行った日の事を・・・。
一人きりの孫ともっと一緒に遊びたかっただろうな。。。


覚えていますか、動けなくなったあなたを病院の簡易トイレに抱いて運んだ時、あなたははにかみながら”すまないねぇ”と言いましたよね。 何を言っているのですか、私はあなたに何年かも世話になったのですよ。そんな当たり前の事に照れていたあなたの顔をいつも思い出します・・・。


そして、、知っていましたか、私はあなたの事が、、、、この世で一番大好きだった事を・・・。



去年の7月、何気なく見ていたニュース番組で、ある乙女のドキュメンタリー映像が流れていた。
タイトルは「余命一ヶ月の花嫁」
http://www.tbs.co.jp/eve5/feature/20070718_sp.html


一人の乙女。彼女の名は「長島千恵」 彼女は乳がんを患い、幾度かの手術で危機を乗り越えるものの、春には”余命一ヶ月」と宣告されてしまう。
父一人との暮らし。そしてそこに現れた優しい彼氏。
彼女は死の宣告を知らず、夢にまで見た結婚式でウエディング姿になり皆から祝福される。 しかし、その一ヵ月後、皆の願いもむなしく、彼女は天に召されてしまった。


このドキュメント映像が流れた時、私は画面に釘付けとなり、そして、当たり前のように涙した。
TVの視聴率1%が100万人という話を聞いた事がある。この番組が何%の視聴率だったのかは知らないが、1000万人近い人がこの悲しすぎる話に涙したのだと思う。
本当に悲しい人生の哀話である。


しかし、今現在も世界の至る所で、テロであったり、天災であったり、又身近な交通事故であったりして亡くなった方の数は計り知れない。
日本も戦争と言う悲劇の中で亡くなった同胞が300万人を超えると言う。
この方々の人生もそれぞれあったはずだし、その死を嘆き悲しむ家族の心情を思うと60数年経った今でも気が重くなる。
あなたの愛する子供達が、戦争と言う筆舌に耐え難い悲劇の中に召集され、死を覚悟しなさいと言われたら、あなたの胸は、きっと悲しさのあまり張り裂けてしまう事でしょう。   テロ然り、交通事故然りである。
しかし、世間の思いは、彼女の死のように涙することなく、「可哀相に・・・」で終わってしまう。。




一人の死に面し、ふと考えてしまった想い。。




昨日のブログに紹介した「美の壺展」の名古屋展。
早速行って来ました。 新幹線に乗って20分(ひかり)早っ!


残念ながら写真は撮れませんでしたが、会場へ入るなり、いつも谷啓が座っている和室のセットがありました。


古伊万里、唐津焼、織部焼、魯山人の皿、根付、櫛、江戸切子、薩摩切子、アールヌーボーのガラス(ガレ、ドーム兄弟)、藍染、西陣織、掛け軸&etc・・・



やはり年配の方が多く、一つ一つをじっくり見られている。
せっかちなチョコボは、結局一つは遠目で見ながら飛ばし、次へ・・・そんな鑑賞の仕方ではありましたが。。


この「美の壺展」に展示されている物に、派手で煌びやかな物はない。
一つ一つが地味で目立たず、かと言って何か主張している部分がある。
日本の文化が持つ”侘び 寂び”を美の意識として、なんとなく自然に受け入れられる年齢になったようだ。




又、先日NHKの「日曜美術館」と言う番組で15代「樂吉左衛門」と言う楽茶碗の当代が佐川美術館の依頼を受け”現代の茶室”を造った様子が放映されていた。
http://www.sagawa-artmuseum.or.jp/raku/index.html


さぁ!と言えば、”さぁ!”のチョコボ、、早速彦根にある佐川美術館と彦根城、翌日に京都。。の日程で4月の初旬、彦根にある「やす井旅館」(YAHOOの旅上撰で検索)を予約。http://www.ryoutei-yasui.jp/

取ってしまえばこっちの物。。「何であんたと一緒に・・・」といつも言っているお局もキャンセル料怖さに行かざるを得まい。 イッヒッヒッ・・。



さぁ、春の彦根&京都を満喫して来るか・・・・。



2月27日より3月10日までの13日間、「美の壺展」の名古屋展が開催されている。http://www.nhk-p.co.jp/tenran/binotsubo/index.html



目の保養に、絶対に行かなければ。。。。




コーヒーに作ったエクボ。


映画「かもめ食堂」のワンシーンで、小林聡美演じるオーナーの元へ前の店のオーナーがやって来るのだが、その時に「コーヒーを立てる時には必ずエクボを作って、”美味しくなぁ~れ!美味しくなぁ~れ!”と念じるんだよ」と教える下りがある。


ご他聞に漏れず、我が家でも早速やっている。
「おいしくなぁ~れ!!おいしくなぁ~~~れ!!」と・・・。。



エクボを作ったコーヒーと、そうでないコーヒーの違いは、自分では分からないが、いつも来る友人も「今日のコーヒーは、特別美味しいね」と言うのを聞いた事がない。
きっと、「愛情がこもっていますよ」との思いが入っているのだ。


と言うことにしておこう。。





我が家の「ふくろう」


ふくろうは、「不苦労」とか「福篭」とか読まれ、幸せを呼ぶ鳥としてお守りにもなっている。  ふくろうは、ネズミを食べるが、ペストが流行った時、感染元のネズミを食べその感染を最小限に抑えたと言う話が残っている。


我が家も、お局が気に入っており、どこからか沢山の「ふくろう」を仕入れて来て、至る所にこの「ふくろう」君達が居る。


鰯の頭も信心から・・・と言うから、我が家がこうして暮らしていられるのも、この「ふくろう」君のお陰だとしておこう。




しかし、沢山居てこの位だから・・・・居なかったら、、、、
まぁ、「ふくろう神」のお陰で幸せに暮らしています。。
と言う事で納得しよう。。。




先日、町内会の自治会長さんが我が家へ見えてこんな話を切り出した。


毎年秋に町内のお祭りが開催されるのだが、その時に700円の寄付を各軒にお願いする。 例年は、各区の組長さんが裸で集金し、それをまとめて区長さんの所へ持って行くのだが、去年から封筒を作り、その中に各軒寄付を入れて頂き集めるようにした。
だが、ある町内の方が、この封筒で集めるのは知らなかった。と言う事は前年の数年は寄付をしていないのではないか・・・。祭りの各軒の寄付金及び、収支を見せろ。と言って来ているがどうしようか・・。との事だった。
(封筒は初めての試みであるから、”見るのは初めて”は当たり前である)
結局、各軒の寄付は、しない、した、にしろ、お見せ出来ないと言う事で収まった様なのだが、この方、、色々なエピソードがある。


去年の祭りの日、我が町内は、山車と呼ばれその中で子供達が笛や太鼓で演奏する車を出している。  その車が午後一番で公民館の前から出発し町内を練り歩くのだが、あいにくその方の家が公民館の真ん前なのである。


さぁ、出発!と言う事で合図に爆竹を鳴らしたところ、その方が血相を替えて飛んで来た。 その車の前には、4年前に市内のある県立高校の校長を退職された区長さんが保安係として居た。 そのおばさまは、その区長さんに「もう!・・家の前では静かにして!っていつも言ってるのに何で分からないの!」と、、そして「あんたも良く見れば歳も行ってて、その位の分別が分かりそうな年格好なのに そんな事も分からないのかね!!」と怒鳴りだした。 その校長先生・・・唖然である。。
(きっと、学生時代は別として、あんなに怒鳴られた事は人生に於いて初めての経験であったと思う。その後の反省会で、その話ばかりしていたから・・・”あのばばぁ~・・・人の事を・・・” と。余程腹に据えかねたのだと思う。。)


又、公民館の隣に公園があるのだが、秋にそこで園児がお遊戯会の練習をしていた。 広い園庭があるのに、何故?と思い尋ねたところ、お遊戯会の音楽がうるさいから、ここではやるな!とのクレームが、例のその家から出てると言う。
公民館での踊りやら太鼓の練習時にもクレームが出てると聞いた。
ここまでやれば、もう何をか言わんや・・・である。


一々全て聞く訳にも行かず、かと言って無視する訳にも行かず・・・・。。


こんな時皆さんはどういった対応をしていらっしゃるのだろう・・・・。
出来れば聞いてみたいものである。。




ここ最近では、ゆっくり東京めぐりをしたことがない。
行っても、朝出て夕方の新幹線で帰ってきてしまう。都内のどこへ行っても駅の構内から出ずに目的地へ行けるから、帰りも気が付けば東京駅の構内に居る。。
又ゆっくりバスにでも乗って浅草観光でもしたいものだ。


5~6年前に東京に住む友人の家でお世話になった事がある。
泊まった翌日、彼が新宿、歌舞伎町等を案内してくれたのだが、彼曰く「東京の繁華街へ行ったら、絶対に上を見るな!」との事。 上を眺めると、それを見ていた客引きが、”こいつは、田舎者だ”と思い、ぼったくりバーへ連れて行かれると言う。


で、その歌舞伎町での出来事。
彼と歌舞伎町を歩いていたのだが、その彼が、「あのな、田舎者ってさぁ、こうやって上を見上げながら歩いちゃうんだよな」とリアクション付きで話した途端、、、、
どこに居たのか、すっと寄って来た客引きが「お客さん、いい所ありますよ。案内しましょうか」と声を掛けて来た。。
説明してくれた本人が田舎者と間違えられたのである。




あれには、笑ったなぁ~・・・・。。



今日、仲の良い友人夫婦とお局の友達を呼んでの「ふぐパーティ」。


ついつい白子に釣られてお取り寄せしたふぐと真鱈の白子。
昨日の午後到着。 ちょっと捌いて水気を取っておく。
ふぐの白子は今の次期にならないと中々食べられない。 ”焼き白子”にしてタラの白子と食べ比べてみよう。
半分は、”白子酒”にしてみようと思っている。



今年に入って、初めての贅沢。 
さぁ、時間が待ち遠しい。。

(^
^;)




こちら七分咲の梅




紅梅も綺麗だ。。







しまった! お局の写真を撮り損ねた。。。



豊橋の向山と言う場所にある「梅林公園」


まだ3分咲程度だが、花の一つ一つに癒される。
梅の枝っぷりが好き。


和を感じさせてくれるひと時。



あっと言う間に新芽が葉となった”エバグリーン”


職業柄、食品関係の社長(オヤジ)連中と話す機会が多いが、ふと思い出した話。


このオヤジとは結構電話でも話す。話し好きなのである。自分が暇だと電話を掛けて来る。そして、目的地に着いたり、用事が出来ると一方的に電話を切ってしまう。。でも愛すべきオヤジである。


十年程前のある日、ゴルフシューズを買いたいから付き合ってくれと電話が掛かって来た。 ゴルフショップで待ち合わせると、もうすでにお洒落なバックスキンの濃い紫色のスパイクレスの靴を持っている。 自分は気に入ったのだが、私に確認してもらいたかったようだ。 これなら普段私生活で履いても違和感がない。


ところが、2~3日経って会うと、その靴は見事に汚れている。。
食品の工場へそのまま履いて行って、磨きもせずそのままらしい。。
(まぁ、彼らしいが・・・)


そんな彼が意地を張った出来事があった。
もう15年程前の出来事だが・・・。
ある日、仕事の途中にBMWの展示会会場へ寄ったと言う。
ところが、彼のいで立ちは汚らしいジャンパー姿に、汚いシューズ。そして、乗って行った車は、当時小回りが利くように買った保冷庫付きの軽自動車。(よく食材を配達してくれる時に乗っているあれです・・。)


店内に入り、以前から目を付けていたBMWの7シリーズと言う、一番大きな車を見ようとドアに手を掛けたところ、それを見た営業マンが飛んで来て「お客様、ちょっと御遠慮願えますか・・・・。。」と言われたと言う。
頭に来た彼は、そのまま家へ帰り、スーツに着替えを済ませ、当時発売されたばかりのセルシオに乗り換え、再びその展示場へ行き、その営業マンを呼び出し、「おい!これくれ!」と言って 当時1200万円もしたその車の説明も聞かず、試乗もせず、ポンと買ったと言う。。


馬鹿な話かも知れない。 でも、いつも汚い格好をして小馬鹿されている風に見られる彼の、心の底にある意地を見た一件であった。


付け加えておくが、彼の会社はいつも数千万円の利益を上げて地方新聞に載る優良企業だし、個人の納税額もいつも2000万円近く納税している高額所得者なのである。。(絶対に、そうは見えませんが・・・・。。)



普段のつまらない見得を張るより、この見得・・・・一度でいいから切ってみたいものである。




我が家の加湿器。


今の家に住み始めて丁度一年が過ぎた。
機密性が売りの積水ハウスなのだが(確かに、二重サッシやら防音効果、防湿効果などは優れていると思う)えてしてそれが短所になる事がある。


我が家のLDKの暖房は、右写真の床置きエアコンだけである。だけと言っても、200V電源の4馬力と言うから、業務用のエアコンと同じ様な効き目がある。
そして、去年から新築の家には義務付けられた24時間換気機能が付いている。


去年の2月、住み始めて間もなく、お局が「何か肌がカサカサする」と言っていた。
従来なかった温度&湿度計を購入し、測ってみると、温度22度前後に対し湿度が20%前後なのである。(前記の24時間換気が余計に乾燥を助長させたようだ。汚れた空気の換気やら結露を防ぐ事には良いが、冬の乾燥時には厄介である)


一番快適な湿度は45%前後だそうなのだが、冬の間は、この加湿器が(実際には2台活躍していますが・・・)毎日の必需品となった。(6~7月は快適なのだが、冬の乾燥肌はいただけない。。)
元々お局の友人から新築祝いにもらった物なのだが、こんなに不可欠な物になるとは分からなかった。。。


以前は石油ファンヒータを併用していたが、この灯油の値上がりから、朝晩の急な温めにはガスストーブを使用している。
(息子の部屋も以前は事務所だったので天釣り型の大きなエアコンが入っているが、ガスストーブがメインとなった。ガスストーブは適度な湿度をもたらす為エアコン程乾燥しないようだ。)



何もかも値上がりの昨今、何だか住みにくい世になりそうだ。。。



愛車の指定No「223」。


ある営業マンが、「チョコボさんって、2月23日生まれなんですか?」と聞いて来た。 何故か?と聞くと”車を見てそう思った”と言う。
車の指定Noは、誕生日とかの記念日、又は電話番号が多いそうだ。
「苗字だよ」と教えると、「あぁ~・・・」と感心していた。(まぁ、思いっきり、こじつけですが・・・)


お局は「こんなの、どこに居たって分かっちゃうじゃない・・・。。」と言っていたが、「ばれてまずいような所へ行かなければいいだろう」と言うと、変に納得していた。


実は、この指定No「223」が3台目。 今度車を買い替える時があったら、ちょいと気の利いたNoに替えようかと思っている。。。




北風の通り道になる一番寒い2Fデッキに置いてある「ジューンベリー」


去年の冬も、畑を削って作った仮設駐車場の角にポツリと置かれていた。
よくも枯れずに元気でいてくれたものだ。 それだけに余計に愛着が湧く。


今年も元気に新芽が膨らんで来た。


普段は何気ない木々に、ふと愛着を感じる時期。。




先週の半ば、以前にもブログに書いた三河赤鶏の水炊きを食べた。


土曜日に以前このブログhttp://yamanifoods.blog.shinobi.jp/Entry/98/に書いたお局の友人が来ていた。


で、この三河赤鶏を教えると、知らなかったので今度その専門店へ行って購入して来ると言う。
その時彼女の言った一言。。。
「でもねぇ・・・・、、”赤鶏”って事は、身が赤いんだよねぇ~?・・・・ちょっと気持ち悪くない?」だと。。。


「う~ん・・・。でも、美味しいからいいんじゃない?。でも、そんな身が赤いなんて話、よそでは絶対に言うなよ」と返すと、「ん!もぉ~!」と怒っていた。




ん~・・・。。。赤鶏=身が赤い。の発想が不思議なんだけどなぁ~。。




ご存知、関が原の戦いの西軍の将「石田三成」


歴史が好き。 特に戦国時代と明治維新前後。
小説ではなく、太陽とかの別冊とか写真特集は高くとも買ってしまう。
結局この手の本が数百冊ある。


この石田三成にも興味をそそられる。
”三成に過ぎたる物が二つあり、嶋の左近と佐和山の城”と謳われたそうだが、嶋左近は自分の石高の半分以上を捧げ家来に迎えたと言う。


東軍に付いた加藤清正、福島正則らとは馬が合わず、いつも喧嘩ばかりしていたそうだ。
考えてみれば、木下有限会社が数年後に天下の豊臣株式会社になるのだが、この大会社を築き上げ、汗水して働いたのは俺達だ。との自負が清正達にはある。
会社が大きくなってから、何も知らない、ちょっとばかり頭が良く、管理と上司への取り込みが上手い途中入社の男に、何で仕切られなければならないのだ。。との思いもあろう。


実際、中国地方の毛利や九州の島津などの記述を見ると、「三成は、太閤秀吉の権威を借りて威張っているが・・・」などの記述があるらしい。


しかし、彼ら大大名が西軍に付いたのは、太閤の跡目争いは実子に・・・。との大義名分からであろう。(当のの秀頼は、決戦当日大阪城から出ず、”我関せず”を貫いたと言う。もし、秀頼が関が原に来ていればきっと歴史は変わっていたはずである。)


戦の後、隠れていた穴倉で見つかり、その後京都の三条河原で斬首されたのだが、処刑場へ行く馬上から警護の兵に「のどが渇いたから何か口を潤す物はないか」と聞いたところ「柿しかない」と言われ「柿の身は、体を冷すと言うから体に悪い」と答え、「今から死ぬ奴が何を体の心配をしているのだ」の罵られたと言う。
三成は「今から死を迎えようとも、天人とは万事に於いて天下の憂いを思いやるものだ。お前達少人には解らぬ事だ」と答えたと言う。


今で言う官僚の中の、ずば抜けた存在の男だったのか、本当に真面目な政治家タイプの男だったのか興味は尽きない。


400年前のあの時代の男達が、何を思い、何を憂いて時代を過ごしていたのか、タイムカプセルに乗って、そっと覗いてみたい気がする。




酒を覚えたのは19歳の時だった。


チョコボの育った豊川市の牛久保町では西暦1500年当時の城主「牧野古伯」(牧野成時)を奉った祭りがありhttp://potiko.fc2web.com/comment/chubu/ushikubo_1.html

その住民は、青年団に半強制的に入れられる。
そこで、奉納される清酒を茶碗で、又はラッパ飲みするのだが、無理矢理入れるから味なんてものは判りっこないし、けっして美味いと思って飲む酒ではない。


歳を重ねるごとに幹部になり、祭りの練習と称した会合の後に豊川稲荷の門前にある芸者置屋を兼ねた料亭へ日毎繰り出すのである。


あれから36~7年。。
今では、すっかり酒飲みの類いとなってしまった。



このチョコボ、若い頃からキャバレーと呼ばれるショーパブが好きではなかった。
今でもフィリピンパブと呼ばれるクラブへは行かない。友人と一緒にお付き合いで行く事はあったが(自分の意思では行かないだろうな・・・絶対。。)決して楽しいなんて思った事がない。 兎に角、おしゃべりなチョコボにとって、会話の妙と言うか、ウイットが通じないのである。「あなた、なにいてるの?」で終りである。。
あれなら多少高くっても、素敵な女性と会話を楽しみながら酒を飲んだ方がいい。
(まぁ、夢の話ですが・・・・。)


それと、「呼び込み」と呼ばれるあの掛け声に反応するのが嫌なのである。
絶対に無視をする。
そう言えばこんな話を聞いた事がある。
呼び込みは、やせたスマートな男には「先生!」と声を掛け、太った男には「社長!」と声を掛けるらしい。




そう言えばここ数年、、、「社長!」としか声が掛からないが、そう言うことだったのか。。。。



「イヨカン」。。


スーパーへ行くと、みかんの各種が並んでいる。
普通の「みかん」、「夏みかん」、「デコポン」、「ポンカン」、「オレンジ」、「ネープル」、「はっさく」、「イヨカン」etc・・・。


数ある柑橘類の中で我が家のお気に入りなのが「イヨカン」。
適度な甘さ、薄皮を取ってパクリと口に入れた時の食感が好き。


そう言えば子供の頃、冬場のみかんと言えばいつも「夏みかん」だった。。
あまりの酸っぱさに砂糖をつけたり、炭酸をつけて食べたのを思い出す。


柑橘系に限らず、フルーツ類の進歩、改革は、ここ数年で著しく変わっている物の一つなのかも知れない。



「安めぐみ」 グラビアアイドルの彼女ではなく、テレビに出ている時のあのオットリとした話し方が好き。
「真鍋かをり」も好き。 横浜国大出の才女を気取らないおとぼけに好感が持てるから。


でも、なんと言っても「浅田美代子」が大好き。
あの天然キャラは堪らない。


デビューしたての頃、髪をリボンでしばり、風船を持って歌う姿が思い出される。
”さんまのカラクリテレビ”でのキャラは、もう絶腹もの。。。。
あんなキャラで怒られても、反論しないだろうし、思わず抱きしめてしまいそう。
吉田拓郎との結婚生活は、どんな会話だったのだろうかと思うと興味が湧く。。。


カラクリテレビでの浅田美代子の答えに関根勉と渡辺正行が笑い転げているが、
私生活も本当にこんなのなんだろうなぁ~・・・。と思ってしまう。




かわいいおばあちゃんになるに違いない。




今月の初旬に高校の同級生が集まりワイワイ・ガヤガヤやったのだが、ここ数年は、色気のある話などあるはずもなく、退職後の話やら病気の話が多くなってきた。 当然2次会もお茶を濁す程度で、里心が付いた様に女房のいる家へ真っ直ぐ帰って来る。 いつも叱られているはずなのに、やっぱり一番安心出来る場所なんだと実感する今日此の頃。。




先日テレビである女性評論家が(私個人的には、この評論家、、いつも胡散臭い事を言ってるように聞こえるから好きではないのだが・・・)「いいですか皆さん!我々が今から迎える老後を、豊かな老後にしようと思ったら一人当たり8000万円必要なのです。皆さん、持っている方少ないですよね。。これも政府が全て悪いのです・・云々・・。」
と、したり顔して言っていた。
あまりのアホらしさに唖然とした。


老後8000万円の現金が必要?・・。(そんな奴、オイラの周りには、いね~よ!)
持っていないのは政府のせい?・・。。
くだらない事を言ってやがる。 本当にそう思った。


これこそホリエモンが流行らせた「風説の流布」ではないのか。。
では、老後退職金も含め3000万円の預金を持ってる人は、(チョコボ自身その金額を持ってる人は、”すげぇ~金持ち”と思ってるが・・・)それでも5000万円分の不安がありますよ。と言う事だよね?・・。
正しく「風説の流布」である。。


なんだか、素人の料理好きのおばちゃんが、シェフ落合とか道場六三郎とかと一緒にテレビの料理番組に出て「料理とはですねぇ・・・」と能書きとか説教を言ってるように聞こえて来る。


そう言えば去年、「朝までテレビ」に出てて、くだらない質問やら回答をしていて、田原総一郎に発言をさえぎられていたなぁ~・・・。(当然!と思って見ていたが)


なんであんな事を堂々とテレビで言えるのか不思議・・・。。
発言の自由って事か?。。



先週末、珍しく豊橋にも雪が積もった。
翌朝には溶けてしまった雪だったが、子供達にとっては、ちょっと嬉しい雪だっただろう。


ブログを2日程空けてしまった。
別にサボっていた訳でもないのだが、昨年末にある人から「読んでるよ。でも、毎日書く必要はないし、ゆっくり続けた方が・・・」とアドバイスされた。


確かに、始めてから年末までは毎日更新しようと思っていたし、それは、自分にとっても一種楽しみでもあった。 
でも、言われてみれば、ゆっくり、なが~く続けていく事が、ブログを書くにあたっては正しいのかも知れない。


息子の友人やら、知り合いから「読むのが楽しみです」と言われるのが至上の喜びである。
こんな拙いブログでも、読んで頂ける方がいらっしゃると言う事だけで、幸せなのかも知れない。




ここへ来て下さる方・・・・。これからもボチボチ書いて行きます。
宜しくお願い致します。



前菜に(まぁツマミです。。。)義母が持ってきてくれたスモークタンと、我が家の常備品サラミソーセージ。
ビール、ワインを飲んだ後、からすみのスパゲティを作る。


以前購入したからすみの片腹が残っていたので、それを摩り下ろしオリーブオイルとレモン&塩少々で味を整えておく。
アルデンテに茹で上げたパスタを、香りを出す為に炒めたニンニクと一緒に軽くソティし、用意してあるからすみを混ぜ合わせて、至ってシンプルに仕上げる。


昨日余ったサラダ水菜とベビーリーフを盛り付け、その上に乗せる。
イタリアンパセリをパラパラと乗せ完成。




前菜にレモン。パスタにレモン。とビタミンCを多く摂取した晩。


勝手に『ボ~ノ!!』でいいのかな。
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