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雀をくわえた「キナコ」。
”グゥワォ~ グゥワォ~”と変な鳴き声を出しながらキナコが帰って来た。
良く見ると、口に雀をくわえている。。
デッキから上がってきた為、急いでガラス戸を閉め切ると、そこに座ったまま変な声を出しながら開けてくれるのを待っている。
お局は、「はいはい・・・ありがとね。お土産を持って来てくれたんだよね~」とか言いながら、一向に近づく気配はない。。
以前も夜中に獲って来たのか、キッチンの片隅に雀の羽が落ちていた。
我が家の猫達のうち、この「アンコ親子」と「チィー」がネズミやらコウモリやトカゲを捕って来る。 但し「チィー」は、それをオモチャとして捕って来るようで飽きると知らんぷりである。
今でもタンスの裏に、小ネズミが隠れているのではないかと心配している。。
(実際居れば、猫は見つけるまでそこを離れませんが・・・。。)
改めて感じた猫の野性味。。
いたる所の議員先生の悪名が響き渡っている。
議員にお願いした。だの、議員が発注に一枚咬んでた。だの・・・・・。
挙句の果てには、教師の採用にも議員の圧力があったとは・・・。
正しく、トホホ・・・。。の世の中である。
現在の国会議員の与党の中に2世議員がどのくらいいるのだろう。
国会議員と言っても(特に実際行政をつかさどる衆議院では)地方の票をどれだけ集めるか・・・。であって、実際全国の住民の票から選ばれたわけではない。
世襲制などは、オヤジの後援会の票をそのまま貰う訳だし、又秘書をした経験で、その先生の票を貰い受ける。というケースが多い。
我々小市民は、キャリアによって左右されてしまう。どんなに優秀でも、地方の大学を卒業するより東大、京大、早稲田、慶応、一橋などの卒業生であれば、頭が良いだけにきっと良い政治をしてくれるのだろう、と期待して一票を投じてしまう。
それがそうでない事は、東大卒で固められた官僚が今している事を見れば、一目瞭然である。
いつも思う事なのだが、”ヤクザ”と呼ばれる集団の中にいつの時代にも必ず「大親分」と呼ばれる人物が存在する。
”悪の集団”としてではなく、冷静に見てみると、男を売る商売である。
そして、世から冷ややかに見られている人物が集まるのも確かであろう。
しかし、”親分”と呼ばれる人物は、学歴でトップに立った訳でもなく、ましてや組織票などで上に立つのでもない。
荒くれ者の集団の中で、その彼らをまとめ上げ「親分」と呼ばれるようになる。
要するに、本当に慕われ、崇拝され、実力で上に立つのである。
古くは「大国主命」が日本を治めたように、己の卓越した力でその支配力を誇示したのだ。
現代の、訳の分からぬ私利私欲で固まった議員先生とは、物が違うのではないのか?と思ってしまう。。
選挙中はペコペコ。後はふんぞり返る。
こんな議員よりヤクザの親分の方が、人物的に勝っているのではないのか・・・。
と思うのは、私だけなのだろうか・・・・。。。
世襲制は、歌舞伎役者と天皇制だけで良い。。
クッキーが亡くなって丁度4年目の七夕の夜。
七夕になるといつもクッキーの事を思い出す。
大型犬にしては、13年と長寿を全うした。
彼女は人生を全うした。 しかし、我々にとってはとても辛い別れだった。
何日も何日も泣いて別れを悲しんだ。
結婚した当初、マルチーズを飼っていた。 とてもヤキモチで、お局にピッタリ寄り添ってどこにも行かない仔だった。
息子が産まれ、その仔は、お局の実家に引き取られて行った。今度は犬好きの義父にピッタリ寄り添っていたと言う。
たまにお局が行くと、それはそれは狂わんばかりに喜んだと言う。
それから4~5年後、彼女は、従業員が運転するトラックがバックしている時タイヤに挟まれ短い生涯を終えた。
どちらの家も彼女を可愛がっていたが、はたして彼女の人生は幸せだったのだろうか・・・。 楽しかったよ。あなたに飼われて良かったよ。と言ってくれたのだろうか・・・。
息子が3歳を迎えた頃、シェットランド・シープドックと言う、コリー犬を小型にした犬を飼った。 息子が、その仔の成長、別れを通し感受性が豊かに育ってくれれば
・・・・との思いもあった。
7年程経った頃、ある晩食当りを起こし病院へ連れて行ったのだが、腸捻転を併発しそのまま亡くなってしまった。
幼い息子と写ったワンショット写真は、我が家の宝物である。
そしてその3年後、やって来たのはゴールデンリトリバーの『クッキー』。
ぬいぐるみが歩いてる!と思うほど愛らしい彼女だった。
彼女との思い出は沢山ありすぎて、思い出す度、今でも目頭が熱くなる。
本当!いい子だったなぁ。
犬好きのお局、家族、友人に愛され、とても豊かな人生を送ったと思っている。
しかしあれ以来、ペットロスが怖くて犬を飼えないでいる。
通りすがりの猫の死に涙する家族。。 愛犬との別れは、納得して人生を終えた親族の死よりも悲しいのかも知れない。
先日も、86歳になる父親が犬を飼いたいと言い出した。
テレビで見たトイプードルが可愛くて仕方なかったらしい。。
それが張りになり、100歳まで長生きしてくれれば良いのだが・・・・。。
「アマトリチャーナ」。 あまり聞いた事のないパスタソースの名。
先月、取引のあるパスタメーカー「ボルカノ」さんからワンポーションのパスタソースをサンプルとして沢山頂いた。
7種程あったのだが、トマトソース系では、このソースが人気がなかった。
説明書きを見ると、”トマトとベーコンをじっくり煮込んだ辛めのソース”とある。
ふ~ん・・・。。 トマトソースでも沢山種類があるんだ・・・。。。
で、ちょっと手を加え、美味しさに挑戦。
フライパンにオリーブオイルを熱し、ベーコン、タマネギ、ニンニクを炒め、そこにこのソースとコンソメを多少加えワインでコクを出す。 チーズも加えて再加熱。
アルデンテで茹で上げたパスタを、絵のように多少ケチャップで色付けする。
それを皿に盛り、ソースをかけ、オリーブの実、イタリアンパセリを乗せチーズを掛け出来上がり。
う~ん・・・・・・ボ~ノボ~ノ。
正しく”イタリアン!”でした。
妻を娶らば才長けて みめ麗しく情けある
友を選らばば書を読みて 六分の侠気四分の熱
御存知「与謝野鉄幹」の歌である。
妻は歌人「与謝野晶子」。 内閣官房長官や文部大臣を歴任した「与謝野馨」衆議院議員は孫にあたる。
どこで聞かされたのか、どこで覚えたのか、我々世代はこの歌をメロディ付きで歌う。 ♪ つまをォ~めとらば さいたけて~ ♪ てな感じである。
言ってる事はもっともな事なのだが、あくまでも男目線である。
明治から戦前までは、女房をもらう時には、こんな感じだったのかも知れない。
いつの間にか”3高”とか言って、女性が男性、つまり旦那を選ぶ時代になった。
「高学歴」「高収入」「高身長」そして、”ばば抜き”&”家付き”まで条件に入り出した。
普段、絶対に相手にされていないだろうと思われる、無知で軽薄で高慢ちきな女までが「わたしの旦那になる条件わぁ~・・・・」とか言い出した。。。
もし上の3高を持ち合わせた男性がいたら、「アホか!誰がお前の旦那になんかなってやるもんか!出直して来い!!・・・」と言うだろうなぁ・・・。。。(意外とそういうのに捕まっちゃったりして・・・。)
妻を娶らば才長けて みめ麗しく情けある
うん・・・・まさしく妻の鏡ではあるな・・・・。
先日、「東洲斎写楽」に興味があると書いた。
これら一連の大首絵が堪らなく好きである。
第二期製作時の絵は複数の人物絵になっているが、文献を見る限り出来栄えは全然別物である。(指先の描き方などを見れば明らかに違う。手抜きではなく、技量の差だと思う) 個人的には、第一期と二期は別人が描いたと思っている。
写楽は誰だ。。。と言う事で未だ解明されていない。
一般的には、阿波藩蜂須賀候のお抱えの能楽師「斉藤十郎兵衛」では?と言う説が有力視されている。それが一番理にかなっていると思う。
しかし、先日NHKの「日曜美術館」という番組で写楽の描いた「初代尾上松助の松下酒造之進」と「三代目市川高麗蔵の志賀大七」の絵を取り上げ、口元の墨は、(病的な表現をしたい時には唇に特別な墨の塗り方をすると言う)舞台の隅に座って見ている能楽師では分からないだろう。みたいな事を言っていた。
ようするに、楽屋へ自由に出入り出来、それを目の当たりに見た人間でないとその部分は表現出来ないと言う。 しかし、写楽は、それを見事に表現していると言うのだ。
本当は誰なのか、またまた興味が湧いて来た。
そもそも浮世絵は当時、今程もてはやされた訳ではなく、障子、襖の張替えの紙に使われたり、今で言う新聞紙のように物を包んだり裏に書き物をする程度にしか扱われなかったようだ。
それが明治に入り、外国へ流出していた浮世絵が海外で評価が高まり、又見直されて現在に至っている。
浮世絵は、庶民、平民の楽しみであり高級武士、公家の世界では縁遠く、評価されなかったのだろう。
”良い物を良い”と言えず、先が見えないふんぞり返った当時の馬鹿お上の姿が、今の政治家&官僚とダブって滑稽に見えて来た。。。
昨日の絵つながりで、我が家の事務所に飾ってある絵。
上は、豊橋に在住の画家「栃久保操」先生の絵。 個展で購入。
下は、渡辺何某氏の絵。(お局が、どこからか購入。)
我が家の各部屋には必ず絵が掛かっている。 特別高価な絵ではないが、それぞれが気に入って、そして部屋にマッチしている事が一番だと考える。
以前、書道家でもある芸術家の絵を購入したのだが、絵の収集をしているある会社の社長が我が社へ来て、「お前、駄目だよ・・・こんなの10年経っても価格は上がらんぞ」と言った。。。
私は別に投機目的で絵を購入した訳ではない。
ただ、、自分にとってその絵が好きか、そうでないかだけである。
まぁ、こう言った人とは芸術論など語ってはいけないな・・・・と思った次第。。
豊橋出身の孤高の画家「中村正義」
多少絵に興味をお持ちの方なら絶対に知っている名である。
豊橋の老舗の蒟蒻屋に産まれた。
今では”絶対”と言って良い程入手は困難だが、20数年程前に私の先輩が、ひょんな事から中村正義の絵を手に入れた。 喫茶店でその話をしたのであまり詳しい事は覚えていないが、確か、3~4号の大きさだったと思う。
その絵を100万に満たない金額で買ったのだが、それを聞き付けた東京の画商が翌週に2~3百万円で買取に来たと聞いた。
もちろん手放しはしなかったそうだが、まだ若かった私は、ノートに満たない大きさの絵が数百万で売買される(もちろんゴッホとかモネ、セザンヌの絵が数億で取引されている事は知っていたが・・・。)事にある種の羨望間を感じた。
(地元の画家・・・この辺を歩いていて親しみを持ったおじさんの絵が原価数円で数百万に・・・・正に才能と言うのは恐ろしい・・・。)と思った。(当事”中村正義”と言う画家がそれほど有名な画家だとは知らなかったのだ)
その後、浮世絵の「東洲斎写楽」に興味を持ったのだが、この中村正義も写楽研究の第一人者だった事を知り、改めて親しみを持った。
(もちろん著書、読みましたよ)
上の右の絵・・・・・パッと見て何だか分かりますか?
正義の代表作「舞妓」。
中村正義の絵。 と言われれば「素晴しい!」となるのだろうが、誰が描いたのかも知らさず、この絵を一目見て高い評価を下したのが誰なのか不思議でならない。
しかし、その評価は、亡くなってから上がったのではなく、若い頃から二科展の審査員を務めた程であるから、その実力は周知の事実だったに違いない。
ダイニングキッチンの小物入れの上に置かれた型押し機。
やはりお局が、どこかの骨董市で購入した物。
印字する部分の鉄のプレートを発注すれば充分に使える代物ではあるが、、、、まぁ、どこか気に入って購入したのだろう。
後に見える木型は花形の「ラクガン」を作る時に使った木型だと言う。
どこで探して来るのやら・・・・。。
お局の友人で、絶対に人の使った物は嫌!と言う友人がいる。
洋服でも一度でも人が袖を通したら絶対に受け付けない。
骨董品など”以ての外”だそうだ。
以前お局が骨董屋さんで、ちょっと高めの鼈甲の櫛を気に入って買ったのだが、「いやだ~・・・そんなの誰が付けていたかわからんじゃん・・・・気持ち悪い。。」と言っていた。 言われればそうかも知れない。
でも日用品の骨董は、茶器、陶器の類いであれ、装飾品であれ、一度は必ず人の手には渡っている。 そしてやっぱり、良い物には趣きがある。
両方の思いに、どちらにも「なるほど」と納得してしまった日。。
今年のベストグロス。
以前と思うとプレイの回数はずいぶん減ってしまった。
今では、年に5~6回プレイする程度だろうか・・・。
3年程前に肘を痛めてしまった事もあるが、自分から率先してコースの予約を取ることもない。
今年2月に行った時には100位打ったと思うから、えらい差。。。
実を言うと、先月末に行った時にOBを連発しながら88で廻った。
ひょっとしたら、、と思っていたが、冬に比べ球が安定して来たようだ。
但しこのチョコボ、、、、ここ4~5年練習場に行った事がない。根っからの面倒臭がり屋がドン!と居座っている。
以前後輩に「チョコボさんって何でもソツなくこなしちゃうですね~。遊びも、ゴルフも付き合いも、麻雀も。。」と言われた。
あー・・・・そっか。。そう言う風に見られているのかも知れない。
逆に言うと、絶対に頂点付近へは上れないのだけれどね・・・・。
でもね、、、、この器用貧乏さがチョコボの人生に於いて、一番邪魔な物だったかも知れないなぁ~・・・・・。。。
昨晩の事、晩酌と軽い食事を終えソファでうたた寝をしていた時にこんな夢を見た。
悩み深き男が居た。 金もない、友人も居ない。。もちろん恋人など出来るはずもなかった。
ある日の事、アパートで一人ぼんやりしていると、目の前に神様が現れた。
「お前を見ているとどうも歯がゆくてならん。。明後日の夜12時から3日間の間お前の願いを叶えてやろう。但し、各日一つだけじゃぞ」
その男は考えた。
そして「では、私の願う事を全て叶うようにして下さい。これも一つの願いですよね。」と言った。
神様は「うん、解った」と言い残し消えて行った。
男は興奮のあまり我を忘れた。明後日からの3日間は自分の思う事が全部叶うのだ。金も女も全て自分の物になる。3日間で100億の金を、いや1兆円の金だって手に入れることが出来る。。
しかし、興奮して眠れぬ夜が続いた。眠い。いや!眠くなんかない。
結局その日の夜まで丸2日間半一睡も出来なかった。
そしてその夜、眠い目をこすりながら12時になるのを待った。
そして12時。男は思った「やった!!これで今から全ての物が自分の物になる。でもその前に・・・・一度だけ、死んだように眠りたい。。」と・・・・。