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京都らしさⅠ


”日本の美”を改めて感じさせられた古都「京都」の風景。
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復興神戸。


地震で失われた物を取り戻しつつある神戸。
しかし、尊い人命だけは取り戻す事が出来ない。


20年程前に訪れた時に見た、懐かしい風景もそこにあった。



ホテルの庭では、午前から、日が暮れ薄暗くなるまで花嫁さんと身内、友人との記念撮影で賑わっていた。
そういえば、ここのホテルで陣内智則と藤原紀香が披露宴を行ったのだったな。。


花嫁さんの気持ちは、みんな藤原紀香だったのだろう。
永久に お幸せに・・・・。


思わず、一枚パチリ。




先30日、息子の友人田辺(通称”タベ”)の結婚式に行って来た。
場所は大阪。



彼と我が家の息子は高校の同級生。 その時から今のバンド「Glide」の前身のバンド「ウインドミルズ」を結成して活動していた仲間(因みに彼はVo)。


(このブログに載せても、彼を知る人は少ないと思うが、東京のH師、バンドの頃から応援頂いているSさん、同級生のKo&Shi.。 報告を兼ねてアップ致しました。)



今の奥さんとは、東京の職場で知り合い、彼が帰郷する際に押しかけ女房的に豊橋へ来て、その際入籍を済ませたと言う。
知り合って2~3ヶ月と言う事で、彼女の決断力、実行力にその時はビックリした。
2年以上経った今、大人面して説教していた自分が恥ずかしい。


唯、彼は身内とも縁を切ってしまっているようで、身内の居ない結婚式は、(友人も、彼が奥さんを庇うあまり縁遠くなってしまったようだ・・。。)ふと彼らしくない式だな・・・。と思ってしまった。 出来る事なら、多くの友人に囲まれた結婚式を挙げさせてやりたかったな。。


東京から帰った彼の新婚生活は決して裕福ではなかっただろうし、今でもそうだろう。 結婚式の2週間前には、又東京に戻ったと聞いた(それを息子の知人から叉聞きして激怒しましたがね・・・。このチョコボ。。)東京のある会社が、良い条件で二人を同時に迎え入れてくれたそうだ。(トラブルを起こさず過ごしてくれれば良いのだが・・・。)


彼の父親は教師。この地方では高名な音楽家である。今は残念な事に寝たきりの生活で、彼の事もよく理解出来ないと聞いた。
母親は、10年程前に他界した。やはり教師だったそうである。


姉二人は、東京芸大を出て、声楽家として活躍している。
所謂、音楽一家である。


人生に於いて、引かれたレールの上を電車に乗って目的地へ着くのが一番良い(楽)。出来ればその中でもグリーン車に乗る事が出来れば最高である。


しかし、車で行くのも良し、自転車だって二人乗りして行けばこんな楽しい旅はない。 よしんば、二人手を繋ぎながら歩いて行ったっていいじゃないか・・・。それが自分が選んだ道ならば。。


しかし、親、身内としては、、出来る事なら真っ直ぐレールの上を進んで行ってもらいたいものなんだよね。。


頑張れ!タベ!。
急ぐ旅でもあるまい。


ゆっくり、ゆっくり、自分で切り開いて行けば良い。
二人で進んで来た道は、振り返れば素晴しい路しるべとなって君達の心に残っている筈だから。。   が・ん・ば・れ


ー応援団長よりー




久し振りに作った炒飯。


晩酌のツマミに、息子が昨日大阪で買って来た「天々」の餃子&即興で作った「イカ団子のエビチリソース炒め
を食べる。
「天々」の餃子は久し振りに食べたが、皮のパリパリが何とも言えず美味。


最後は炒飯を作る。
具は、チャーシュー&蟹の身&かまぼこ、そして白ネギ。


キッチンがIHになってから、あまり中華料理を作らなくなってしまっていたが、強火で調理すれば何ら問題がない(味的に)ことが判明。。 そりゃそうだ。。。


口の中一杯に広がったコショウと味の素の旨みが、メタボのチョコボ腹に吸い込まれて行った。。


さすがに油&油で食後は、胃腸薬を飲みましたが。。。




明日から3日間、神戸&京都の旅へ行って来ま~す。
ブログは、お休みさせて頂きます。




秋になって店頭に売られていたバジルとローズマリーのポット鉢。





最近気になった事。。


先週、麻生総理が一流ホテルのバーではしご酒をしていた事が記事になった。
それも、ある記者が「ホテルのバーでお酒を飲んでいましたが、それって庶民感覚で言うと・・・・。。」の下りがあり、その質問に対し麻生総理が「ホテルのバーってそんなに高くない・・・云々」を新聞記者、TV及びマスコミ、挙句の果てに野党議員までが騒ぎ出した。


もっとも総理は庶民ではないし、よしんば居酒屋で内閣の幹部連中が、ヒソヒソ話をしている姿を想像してみても気持ちが悪い。
では、どこなら良いと言うのだろうか?。。


もちろん高級料亭などもっての外だろう。


では、あの記者は何を言わせたかったのだろうか。
「スミマセン。もう飲みません」の言葉なのか、「自分のお金で飲んで、何も責められる事はない」と言わせて、もっと叩きたかったのだろうか?。
庶民感覚。格差社会。の言葉を使えば、大義名分が果たせたとでも言うのだろうか?何を持ってあの質問なのか未だに理解出来ない。


もし、200名以上の従業員を持つ中小企業の社長が、高級車でなく、ボロの軽自動車を乗っていたとしよう。 それはそれで素晴しい事だろうが、社員はそれを誇りと思うのだろうか? もし、高級車を乗っていたら「あんな車を乗るのだったら、もう少し給料を上げてくれ!」と言い寄るだろうか・・・。
そんな話は聞いた事がないし、逆に「我々が恥ずかしい。お願いだから社長には、せめてもう少しいい車に乗って欲しい。」と思うだろう。
それが社員の誇りにもなる。


麻生総理がホテルのバーで飲む事が、庶民感覚からずれると言うなら、それを突いた野党の議員先生も皆、必ず運転手付きの黒塗りの高級車に乗って国会議事堂へ乗り付ける事はどう弁解するのだろうか?
誰もそこには触れず、バーの事がいかにも大切な事のように報道されている。




テレビで偉そうに庶民感覚のズレを力説していた、その議員先生だけは、一度でいいから、黒塗りの高級車でなく、カローラを自分で運転しながら登場してもらいたい。




昨日書いたブログの続きだが、ハガキを貰い、幼稚園に問い合わせてみた。


「こんな内容のハガキが来ていますが、幼稚園のお遊戯の際の音とか、太鼓の音に敏感な方はお近くにいらっしゃいますか?」の問いに、園長さんは「あ~・・・やっぱり役員の方にクレームが行きましたか・・・」との返事だった。


聞けば、数年前から幼稚園の方に”うるさいから何とかしろ!”との電話が入り、何とか対処しているのだが、中々その方の気に入るような音を出さない方法は見つからないと言う。
結局、北側の戸を閉め切って、遊戯の練習をしているとの事。


ちょ・ちょっと待って・・・。。私達が認識している”花火大嫌いおばさん”のお宅は、幼稚園の南側。。
「北側ですか?」と問いかけると、「ええ、、園の北側にお住まいのKさんがいつも電話でお叱りを受ける方ですが・・・。」。。。。
我々が思っていた方とは別人だったのである。


その方のフルネーム&住所で検索してみた。
何と!数年前まで豊橋の、ある小学校の校長先生だったのだ。
退職してからは天下りで、2~3年ある学校法人の事務職をしいていた。


もと同僚だった同じ校長先生だった方に聞いてみると、”上にはものすごく気を使う方ですよ”との事だった。
言えば、下には「俺を誰だと思ってるんだ!?」てなタイプである。
「なにぃ~~!。。やっちまったな。。。」な奴である。


兎に角、幼稚園に対する嫌がらせは大変なもので、グランドでお遊戯をすれば、わざわざ車でグランドの方へ乗り付け、フェンス越しに覗き込み、あからさまに嫌な顔をして去るらしいし、園内での練習では、そのお宅の方向の雨戸を閉め切って音が漏れないように練習をしていると言う。 
しかも、、、今年の夏など、教室に全てクーラーが付いている訳ではないので、園児達が汗だくになって練習をしていたそうだ。それを見かねた保育士の先生が、雨戸を10cm程開けて風を取り入れようとした所、待っていたかのように表に出て来て、そのあけた雨戸をカメラで撮影して行くのだと言う。。
もう、、何をか言わんや。。。。の世界だ。
祇園祭の花火にさえ文句を言って行きそうである。。


その校長は、在職中に校内では音など一切出していなかったとでも言うのだろうか・・・。(我が校は、畑の中だから良いのだと言いそうだが・・。)
あとハガキに「ここは第一種住宅専用地域です。こんな事が許されて良いのでしょうか?」とあった。
もちろん許されます。
ましてや、あなたがここへ来られた時には、幼稚園はもうすでに建っていたのです。
それを何とかしろ とは・・・。。
しかも、この辺りでは有名なクレーマーだと言う。
「本人の孫も居るだろうに」・・・と聞くと「いやぁ、あの方のお孫さんは、別の幼稚園へ行っていましたから・・・。」だと。。


結局、「匿名希望」と言う事で対処しない。無視!と言うことに決まった。
(私としては堂々と渡り合いたかったのだが・・・)
「お前個人の老後十数年より、ここの将来を嘱望する子供達の方が大切だよ!!」と
毒舌を吐いて。。




先週の事、一枚のハガキが届いた。


差出人のない匿名希望のハガキだった。
内容を確認すると、町内で使用している福祉会館の騒音に対するクレームの内容であった。


福祉会館は、公園に隣接した幼稚園と棟続きにある。
要するに、本来は幼稚園の持ち物なのだが、町内でも借りている。


そこで太鼓の練習やらイベントの練習を行うのだが、その音が”騒音となっている。””町内の住民を守るのが自治会の勤めではないのか・・・。すぐに止めさせてくれ”との内容だった。


心当たりはある。 お祭の際、子供達を乗せたお車を町内中練り歩くのだが、先頭に立って子供達が爆竹を鳴らして進んで行く。
丁度その家の前に差し掛かった時、その家の主婦(60代後半であろうか・・?)が飛び出して来て、「もう!何度言ったら分かるの!家の前で花火を鳴らしては駄目だと言ってるのに!」と言って車を警護している元高校の教師だった区長に噛み付いて来た。しかも、その教師だった区長をジーっと見つめながら「よく見ればあんたもその位の分別が分かりそうな年恰好だ。その位のことの良い悪いも分からんのかね!?」とやった。。
きっと23歳で教師になってから人様に、”そんな事も分からないのか!”と叱られた事など、40数年間、その日までなかったと思われる。
(その区長さん、反省会の席で”あのばばぁ、、、人の事を、その位の分別が分からんか!と言いやがって。。。”と、ず~っと酒を飲みながら愚痴ってましたが。。。)


そのお宅が幼稚園(福祉会館)の近く。
今年の夏には、音が漏れないようにクーラーを設置し、戸を閉めて練習をした。
外へ出ても、そんなに気になるような音ではない。 耳を澄ませば別だが、、、。
しかも、太鼓には、バスタオルを巻き、音が出ないように練習している。小太鼓に至っては、ダンボールで作った箱を代わりに練習をしている。


それなのに、うるさい!との投書(役員3名に配られたようである)。


ところが・・・。である。。翌日幼稚園に電話して確認を取ったところ、意外な事実が分かった。。。






続きは長くなるので、又明日書くことにする。。




昨日書いたブログの岩崎学園の生徒達が書いた絵。


彼らが描く絵を毎年楽しみにしている。


かの小林秀雄は「山下清の絵は心理がない」と評したそうである。
曰く、苦悩がない。芸術の持つべき知恵の結晶がない。と言ったそうだ。


嫌な男だ。。高尚な評論家ぶり。。
自分に比べ、彼らには、思想がない・・・か。。
よく言ったもんだ。。。


綺麗な物を”綺麗”と言い、美しい物を”美しい”と言う。
感動した時に”素晴しい!”と言う心に何の歪みがあろう。




僕は君たちの絵に、たとえ”苦悩”と”知恵”がなくとも、充分な感動を貰っていますからね。




昨日、岩崎学園ライブへ行って来た。
息子がバンドを始めた頃から欠かさず表敬訪問ライブをしている施設。


ここへは我が家から車で2~3分で行ける所。
この辺りでは、自然湿源で有名な「葦毛湿源」のすぐ隣りにある。
障害を持つ子供達が通う学校である。



以前のブログに書いたが、http://yamanifoods.blog.shinobi.jp/Entry/11/
息子が幼稚園へ行っていた頃、脳炎に罹った。彼は、運良く日常生活に差し障りのない体に戻ったのだが、ひょっとするとここの生徒と同じ様な生活を送っていたのかも知れない。 彼が小学校の高学年の頃、彼に「我々日常生活に差し障りのない人間は、彼らを見て好奇な目で見たり、そばに来たら逃げてしまう。でも、ひょっとしたら、そこに居る彼は、お前だったかも知れないんだよ」と話した。


息子が、バンドを始めた頃、この施設へ行って訪問ライブをさせて貰う事を依頼したらしい。


このライブへは、我々夫婦も欠かさず顔を出す。
”ひょっとしたら・・・。。。”の思いが、一生消えないからである。


あいにく昨日は、小雨まじりの雨日。
アンプ、ドラムやらの楽器が、セッテングの間に濡れてしまう為、アコーステックの形式で演奏。 この形もいい。  
生徒達が喜ぶ顔を見るのが何より嬉しい。




今週末、叔父の葬儀&岩崎学園ライブと、乾いていた私の心に刺激的な潤いを与えてくれた出来事。






白玉の 歯にしみとおる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり  


御存知、酒好きの詩人「若山牧水」の詩。



最初は、缶ビール一本から始まる。
そして、焼酎。 ロックだったり、お茶割りだったり。。
美味しい麦焼酎はロックがいい。


芋焼酎の場合は、ほとんどロック。 たまにお湯割り。




誰もいなくなったダイニングで一人飲む酒も、これも又風情なり。。か。。。



ベランダから見た湖西連峰の朝もや。


昨日、父方の叔父が亡くなった。
親父が長男で、5人居る兄弟のすぐ下の弟。大正13年生まれだから84才だったのだろうか。
祖父は94の長寿だった。しかも、寝たきりの生活ではなく、ゲートボールの最中に倒れ、その2日後に亡くなった。 ゲートボール場のある三ケ日の町まで10Km近い距離を自転車で行っての事である。 
だから親父の兄弟は、皆長生き(90過ぎまで)するものだと思っていた。
親父も86歳になったが、いたって元気である。
さすがに最近は、歳を取ったな・・・と思うが。。


その叔父は、5人居る兄弟(うち男4人)の中で一番”やんちゃ”だったと聞く。
高校時代は喧嘩が絶えず、いつも数人を従えイタズラ小僧で有名だったそうだ。
農業高校を中退した後、空軍の特攻隊に志願兵として九州へ赴いた。
しかし、まだ若かった事と、エリートしか特攻兵になれなかった為、口惜しい思いをした事を酒を飲みながら楽しそうに語ってくれた。
とても愉快で、話し上手な叔父で、身内の宴席でもその周りは笑いの渦で一杯だった。


人生の往生は順番とは言え、身内、友人を亡くすのはやはり寂しい。


叔父の友人も多くの方が先に天国へ行っているのだろう。
いじめられた経験を持つ友人は、”嫌な奴が又来たな・・・。”と思っているだろうし、叔父の話を楽しみにしている友人も”おう!待ってたぞ。”と喜んで迎えてくれる事だろう。


とてもダンディで、お洒落で、粋で、親分肌だったおじさん!。。
長い事ご苦労様でした。お疲れ様。




合掌。。








高校時代に覚えた島崎藤村の詩、「初恋」
この季節になると、ふと思い出す。


今でも空で言う事が出来る。


   初恋
     そ   まえがみ
まだあげ初めし前髪の
 
林檎のもとに見えしとき
       はなぐし
前にさしたる花櫛の
 
花ある君と思ひけり

 


やさしく白き手をのべて
 
林檎をわれあたへしは
うすくれなゐ  み 
薄 紅の秋の実に
    
人こひ初めしはじめなり

 


わがこゝろなきためいきの
 
その髪の毛にかゝるとき
       さかづき
たのしき恋の盃を
  なさけ
君が情に酌みしかな

       
        
      
こ  した
林檎畠の樹の下に
         ほそみち
おのづからなる細道は

誰が踏みそめしかたみぞと
 
問ひたまうこそこひしけれ


この詩の持つ何とも言い難い情感が、私の若い心を振るわせたのだろう。


数年前お局が、「最初に貰った手紙の書き出しが、この詩だったね。」
と言っていた。思わず赤面した。。


そして結婚して間もない頃、実家でその手紙の話になったのだが、お袋が「そう言えば、お父さんがこの詩が大好きでよく聞かされたなぁ~」と言った。    「へっ!?」であった。。。





DNA、、、、恐るべし。。。。




先週の事。


ビールを飲みながらテレビを見ていた。
番組の途中で入るCMをじーっとして見ていられないタイプである。
チャンネンルを変えたその先は”どうぶつ奇想天外”だった。
そこでは、「ふくろう」の子が旅立つ姿を紹介していた。


雛が巣で親の与えてくれる”子ネズミ”を待っている。
その雛は、餌である”子ネズミ”を一日20匹も食べると言う。


そして、いよいよ巣立ちの時、最後の一匹の”子ネズミ”を与えてもらい、その仔ふくろうは巣から旅立つのだ。  
ふくろうの掟として、その時から仔ふくろうは自分で餌を捕らなければならないし、又二度と巣へは戻らないのだと言う。


そしていよいよ母ふくろうが見守る中、仔ふくろうは旅立つ。
「元気でね」。「これからは、きっと厳しい世界が待っているだろうけど、それにも負けず頑張りなよ」
きっとそんな思いで見送ったと思う。


しかし、その羽ばたこうと言う瞬間・・・・・。。なんと言うことだろう。。。
その仔ふくろうは、羽ばたく力がまだ弱く、そのまま下へ落下してしまった。


自然界の掟として、母ふくろうは、黙ってその仔を見ている事しか出来ない。
その仔ふくろうは、飛べない羽をパタパタしながら、天敵に襲われないように、走るようにして林の木陰に逃げ込んだ。


その後の映像は見ていない。
でも、それが自然界なのだろう。。


数日経った今でも、あの仔ふくろうが、羽をパタパタしながら走り去る姿と、それを見つめる母ふくろうの姿が頭から離れない。



これを見ていて、せめて自分に関わる人達、動物、生き物には力を貸してあげたい。
と切に思った。




これを世間は、自分勝手、我利我利亡者と取るのだろうか。。




夏の終りに京都への旅行を決めていた。


9月に入り、結局11月の初めに神戸、京都と行く2日間の旅を決めた。


友人夫婦と行くのだが、車で行く事にした。新幹線でゆっくり行くのも一考したのだが、まぁそれはもう少し歳を重ねてから・・・と言う事になった。


初日の神戸、、お局は、北野の異人館より、夜景の美しさより骨董店を探したいらしい。神戸なら、西洋アンティークの店も沢山あるだろうと言うことらしい。。


宿を取ったのは、「ホテルオークラ神戸」 http://www.kobe.hotelokura.co.jp/
11月と言う事で、お得な部屋は、もうすでに満室。(まぁ、仕方ないか・・・。。)
私は、十数年前にメーカーの方に連れて行ってもらった「順徳」と言う中華料理の味が忘れられず、その方に名前を聞きネットで検索。早速予約を入れておいた。
http://r.tabelog.com/hyogo/A2801/A280102/28000826/


フランス料理でも、中華でも懐石と言う名の料理が人気があるが、私はこの中華料理のの王道のようなメニューが気に入った。
そして、とても美味しかったのを覚えている。 口コミNo1になるのも頷ける。



もう一軒は、同じく連れて行って頂いたステーキハウス「ハイウェイ」。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~r-hi-way/highway.html
この店は、あの文豪「谷崎潤一郎」が常連であり、その名を「ハイウェイ」にしたと言う店。
神戸育ちの彼曰く”ヘレ肉”の美味さは天下一品だった。


翌日は、京都観光。 宿は「柊屋」。http://www.hiiragiya.co.jp/ja/
3年前に訪れた三千院の紅葉のライトアップが素敵で、一緒に行く夫婦にどうしても見せたかった。


旅館で食事を取り、タクシーで三千院へ出掛け、その足で先斗町のこ洒落たパブでも行ってこよう。。



さぁ、これから一所懸命働かなくっちゃ。。




土佐金の親達。


もう何年目の秋を迎えるのだろうか。今日も元気で丸鉢を泳いでいる。
この尾の返しの美しさが、何とも言いがたく美しく思う。


もし、数年後に隠居して時間が有り余ったら、こんな鉢が、至る所一杯になってしまうのかな。。


今年産まれた「土佐金」、「ランチュウ」の稚児達も、もう親指と人差し指で作る円よりもだいぶ大きくなった。  嫁入り先を考えなければ・・・・。。


そう言えば昨晩、息子の音楽関係でちょっといい話を耳にした。
これが実現したら、親としてこんなに嬉しい事はないのだが・・・。




「豆乳バナナジュース」。


我が社の取り扱い商品でもある、国産大豆「フクユタカ」100%の無調整豆乳とバナナで作る「豆乳バナナジュース」。


豊橋駅構内にあるフレッシュジュース専門店にも、私が薦めたこのメニューがある。 もちろん豆乳は、この豆乳。


皆さんが思うより豆乳臭くなく、新鮮な大豆の香りが残り、かえって牛乳より美味しいかもしれない。


栄養価満点。 美容にも健康にも良い。
(これ以上若返ったら困ると言う方は御遠慮を・・・。本当に肌がツヤツヤして来ます。)


又この豆乳、ニガリを加え土鍋などで10分程湯煎して熱してやると、熱々のきめの細かい手造り豆腐が出来る。 和風あん、ゆずコショウで食べる熱々豆腐は、絶品物。
豆乳シャブシャブも評判が良かった。



御入用の方、お分けいたします。 気軽にメール下さいな。




8月の終りに一通の招待状が届いた。


それは、息子が以前(学生時代)活動していた4人組バンドのVo田辺からの結婚式の招待状だった。


今から2年程前、ベースの重雄、ギターの功三は、豊橋、千葉の成田でそれぞれ結婚式を挙げた。残るは、我が家の息子のみとなっていた。


と言うのも、今回式を挙げる通称タベは2年前の夏、彼を追って豊橋へ来た今の奥さんを呼び寄せた時点で入籍してしてあったのだった。


ようやく落ち着き、夢だった結婚式を挙げると言う。
目出度い事に違いない。


そう言えば、2~3年前のその頃、姪の結婚式が3件、重雄、功三の結婚式と全てスピーチを任された。
今回も、スピーチをお願いしますとの事であった。


新郎の紹介だけでは間が持たない。。。かと言って、彼らに関するネタは話し尽きてしまった。。。  何を話そうか、まだ決めてない。。
まぁ、差し障りのないお祝いの言葉で行くか・・・・。。


前回のスピーチでこんな話をした。


私事ではあるが、、新婚時代に、仕事から帰り、リビングに座り、「お~ぃ!ビール!」とやると「はぁ~い」と声がしてお盆に乗った冷えたビールとおつまみが運ばれて来た。 新婚時代の甘い幸せを噛み締めていた。。


それから半年、我が家の息子がお腹の中にいた。
仕事から帰り、いつものように「お~ぃ!ビール!」とやると、ベットに横になっていた今のお局が(可愛かったんだな・・・これが・・・まだ。)「ねぇ、つわりがきついから、自分でやってくれない?」と言う。 それならば当たり前である。
分かった。と言い自分でつまみを見繕い、ビールを飲んでいた。


それから1年後・・・。
やはり仕事から帰り、「お~ぃ!ビール!」とやると、奥から「は~ぁ!!??」との怒りにも似た声が聞こえて来た。 
我が家の亭主関白時代は、見事、たった半年間で滅びたのである。


若い頃は、孫悟空のように、お釈迦様の手のひらから逃げ出したくて、ばれぬよう、そ~っと隠れて遊んでいたつもりでいた。上を見ても、下を見てもお局の姿、イヤ手の平は見当たらない。 阿呆面をして思いっきり浮かれていた。


しかし、結局は全てバレていた。。。  何の事はない。。手の平を返せば、その指の付け根に、阿呆面して浮かれて遊んでいるチョコボがいたのだ。


今では、直立不動で話さなくてはならない唯一の相手となってしまった。。
襟首をつままれ、微動だにしない猫と同じである。


しかし、この姿こそ夫婦円満の秘訣ではないのかな?・・・と今では思う。
(いや・・・そう思うようにしているのかも知れない・・・。。)
「曳かれ者の小唄」(強がり)・・・。そう。。


でも、たまには「フン!」と言ってみる。


ベタベタの恋愛時代。イチャイチャの新婚時代。
こんな物は、訳なく終わりを告げる。
「この人と一生 一緒に歩いて行こう」 そう決めたあの日の思い。。
この思いが、50年経っても続いている事が大切なのだよ。
と。。


親父が机に張って、いつも見て涙ぐんでる句を思い出す。


病む妻の 背中に詫びて 肩を揉む


男って、自分勝手で我儘で、淋しがり屋で、はにかみ屋・・・。
どうしようもない生き物なんだけど、それをどうしても許せない女性が増えているようだ。。
しかも、一緒に暮らして30年も経ってから、、、。 寂しいことである・・・。


家族を守るって素晴しい事なんだけどね・・・。。




ススキさえ 金と銀とで 五輪色


山野に乱雑に咲いているススキも、集めて挿せば素敵なレイアウト。
どうだ とばかり咲き誇る花よりも、こんな清楚な草が好き。




姉夫婦が、先週末に富山へ旅行に行ったお土産に蟹を買って来てくれた。


早速酒の肴で一杯をペロリと平らげる。 足の殻を剥くのはチョコボの役割。
その足2~3本の身を突っついて食べるのは、お局の特権。


蟹のせいではないが、同じ種類の蟹でも、やはり美味い不味いがある。。
この蟹は非常に美味しい蟹だった。 
重い物を優先的に・・・。とは言うが、それを選別する人の眼力も大したもんだと思う。


一般的には「ズワイガニ」と呼ぶが、地方によっては「越前ガニ」だったり「松葉ガニ」だったりする。  これは富山だから「越前ガニ」と言う事だろう。。


「ワタリガニ」の収穫がそろそろ終わりに近づいて来た。
我が家では、「ズワイガニ」、「セイコガニ」、「タラバガニ」の出番が多くなって来そうだ。。




一冊のダイエット本のお陰で、バナナがスーパーの店頭からなくなってしまった。


我が家にとっては以前からバナナは常備品であった。 それは、ダイエットの為ではなく、小腹の空いた時のお腹の足し・・・。みたいな物だ。


ところがある日、バナナが入手出来なくなってしまった。 聞けば、輸送中の船が沈んだだの、配給制になっただの、中間業者が抱えているだの(持っていても、変色すると思いますがね・・。) 結局、ダイエット本の噂が噂を呼び需要が増え、品不足に結び付いたのだった。


ある日K子が、バナナの一杯入った箱を抱えてやって来た。
配達に行ったスーパーに沢山あったから買って来たと言う。
(半分は、お局が友人に分けてあげたようですが・・・。)


お局は喜んでいた。 バナナの皮を剥き、冷凍保存にしておくと言う。
朝に一本のみのバナナダイエット・・・・。。
どこまで続くのやら。。



このチョコボも食べますよ。 バナナも・・・・。ですが・・。。





家の中で唯一喫煙出来るキッチンの換気扇の下から、ダイニング方面を見る。



10月に入り、何だかせわしない。
同業者は、M&Aを実行したと言うし、各メーカーからの値上げが忙しない。
但し、その値上げが、中々末端に浸透しない。 踏ん張り所なのだろう。


末端であるスーパーも、飲食関係の店も、自社防衛の為なのか協賛金、割り当てが頻繁になって来ている。 このまま付いて行って良いものなのか迷う。


切ない正念場なのかな・・・・。。




昨日は友人の誕生パーティ。


1,5Lの大きなシャンパンと、友人の好きなシャブシャブで祝った。





お祝いの乾杯をし、ケーキのロウソクを吹き消す時、友人の目にうっすら涙が光ったように見えた。




幾つになっても、こんな誕生会が出来たらいいね。。




先日書いた記事のストリートライブの一ヶ月程あとのワンマンライブ。


300人程の人が集まってくれたそうだ。
彼らが40歳、50歳になって改めてこの事を思い出した時、彼らにとって一生の宝物になっているに違いない。




昨日、祭りの事について書いたが、私は、土曜日に交通保安係。日曜日に車の周りの保安と、午後からは、お車の運転係りをしている。


土曜の事。
20名程の小学生が囃すお囃子にのせ、町内を練り歩くのだが、住宅街はまだ良い。 大変なのは、周りを走る生活道路を通る時である。
青信号になるのを見て渡るのだが、当然途中で赤に変わってしまう。 頭を下げ下げ運転手さんには待って頂く。 


お車の練り回しも、間もなく終わる、と言う時、、、、町内の公園近くの細い道路での出来事。
一台の車がやって来た。 見れば子供達は、道路一杯に広がっている。
私は頭を下げ、その車を手で止め、持っている拡声器で「車が通ります!道路の隅に寄って道を空けて下さい」と言った。 と同時に、確か止めた車が、私を避けるようにスルスルとハンドルを切って右隅から道路の前方へ進んでいる。 まだ子供は隅に寄っていない。。 思わず、助手席側のガラス窓をドンドンと叩いて制止を促した。
すると、運転席に座っていたオヤジが(40代半ばか、50近いだろう・・。。)「バキャァロー!何でガラスを叩くんだ!!テメェ~」とか言って、顔を真っ赤にして車の外
へ出て来た。  
そうなればこちらも応戦である。「ふざけるな!いい大人が、たった30秒や1分待てんか! お前の目の前には、子供達が見えないのか!」とやった。
周りの人間が止めに入ったのだが、残念で仕方ない。。
中には「こちらが100%悪いのだから・・・」とか言って先方のオヤジを慰めていたお手伝いの組長がいたが、(しかも、のちに「わしゃぁあんな所で言い合う事はせんぞん。子供じゃぁあるまいし・・・」とか言っていた)冗談じゃぁない。あそこで血相を変えて出て来たオヤジに「スミマセン」なんか言えるか!!
しかも100%悪い訳がない。確かに天下の公道ではあるが、警察にも許可は取ってある。 あれをそのまま行かせたら、何の為の交通安全係か分からない。
そのオヤジは責任を取るのだろうか? ”どけどけ!”みたいな感覚でいるのだろう。。。
逆に「もし、ここに私ではなく警察官が居たとしても、同じ行動をしたんだろうな!」と問いただしたい位だ。 もし同じ行動をしたなら、それはそれで誉めてやるよ。


中には、一時停止をしてもらい、子供達を隅へ寄せ、発進を促すと、わざとだろうが”キキィー”と急発進をして行く若者がいた。


まぁ、自分に関係の無い町内で、公道に子供達がチョロチョロしている事に腹立たしく思う大人がいる事も確かだろう。


しかし、自分達もそんな町のお祭を経験して育って来た筈。。



嘆かわしいが、、、何と自分勝手で、了見の狭い人間の多い事よ・・・。。。



10月4日、5日と、我々が住んでいる町のお祭。


歴史は古いのだろうが、元々この辺りは農村地帯。お祭自体はそれ程派手ではない。  やはり城下町で藩主がからんだ祭は、山車といい、行列の衣装といい、お金が掛かっている。


古くからの50~60軒の大家さんと、昭和50年代に引っ越してきた住民が住む町でもある。
代々続く地主の子供達と、新興住宅の子供達が一緒にお車を引っ張る姿は、やはり嬉しい。


100年経っても、子供達が喜ぶ祭であって欲しい。
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