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きっと、、、。。今年最後の河豚。
息子のライブハウスでお世話になっているK君と、チョコボのポン友を招いての宴会。
去年の年末から今年正月、今に至るまで何回の河豚会席をやった事だろう。
一見贅沢そうに思えるが、考えてみれば安い物。
河豚は、天然でなく、長崎産の養殖物の”磨き河豚”
送料込みで¥5000也。 http://daisime.cart.fc2.com/
白子が入っても¥8000。。
これで4~5人は食べられる。
テッサ&テッチリ&雑炊まで堪能出来てこの材料費。
肉でも食べに行けば、3~4人で2万円は要ってしまう。
テッサさえ切ってしまえば、後は動かずに済む。
(中華&イタリアン等は、その都度料理をするのに席を立たなければならない。)
これに”ヒレ酒”が合う。
嫌いな冬の中で、唯一楽しみな河豚。
来年も楽しみにしてるよ。。
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訪問先のロシアにて、小泉発言Ⅱが発せられた。
相変わらず自民党の閣僚、古株の先生等が必至に反論していた。
造反だ!と言う声がある。追放だ!と言う声もある。
小泉元首相は百も承知で発言しているだろう。
(まぁ、麻生のあの失言、小泉さん、怒って当然 と このチョコボは思っておりますが・・・。)
小泉さんは政界引退を表明して次男にその跡目を譲ると言っている。
例えば、息子が無所属で立候補する。自民党は、当然刺客を送る。
しかし、小泉支持は堅く、小泉Jrの圧勝。
そして、自民党が与党になろうが、民主党が過半数を取ろうが、数は必要。。
そして小泉Jrは、与党となる政党からお呼びが掛かる。
関が原の戦い時に、真田幸村が自分は西軍支持、息子らを東軍と西軍に振り分け、どちらが勝っても真田家は生き残る。という戦法を取ったのと似ているのではないか・・・。と思う。
それより、自民党が、、小泉さんを除名とか追放処分に出来るかが問題。。
と言うより、世論が怖くって出来っこないけどね。。
それより中川元財務相。。
ありゃぁ辞職だな。
親父も草葉の陰で泣いてるよなぁ。。。。
昭和20年8月、ここ広島に人類初となる原子爆弾が落とされた。
その後、長崎にも・・・・。
そして、日本の敗戦が決まった。
昭和20年8月。。終戦当時私の親父は、満州に居た。
玉音放送を聞いた時、どんな気持ちだったか?と聞いた。
テレビでは、皇居の前で泣き崩れる人々を映し出している。
立って号泣する軍人の姿がある。
親父は、ポツリとこう言った。
「あ~良かった・・・・。これで日本へ帰れる」 それだけかな・・・。と。
「敗戦の口惜しさで泣く事はなかったのか?」とも聞いた。
すぐに「そんなものあるか」と答えた。
親父は将校だった。少尉と言う位で、日本刀と皮の長ブーツが三ケ日の生家に残っていた。 士気を高め、軍団をまとめなければならない将校が、終戦を望んでいた。
その地では、何万もの日本兵が死んで行ったのだ。日本本土も空襲、爆撃により悲惨を極めていた。
我々が生まれるず~っと前の出来事だと思っていた。
昭和40年代に入り、反戦歌が流行った。 朝鮮戦争、ベトナム戦争、日米安保条約等が重なり、我々も反戦に奮起した。
正しく「戦争を知らない子供達」の主人公だった。
今、還暦を間近に控え、我々が生まれるず~っと前に・・・。ではなく、我々が生まれた、たった6年前に・・・。に思いが変わった。。
そう・・・。。たった6年前にあの悲惨な戦争が繰り広げられていたのだ。
今振り返っても、6年前などは、ついさっきのような感覚である。
それが現実だったとは・・・・。。
今更ながら驚いている。
あの戦争は、いったい何だったのだろうか・・・・・。
今年も何気なく過ぎて行ったバレンタインディ。
息子は、ゴディバ、モンブラン、ピエール・マルコリーニなど聞いた事もないようなチョコレートが豪華そうな箱に包まれ、机の上に乗っていた。
対するチョコボは、この明治の”板チョコ”。
子供の頃、この板チョコを初めて食べた時、それまでサッカリンで味をごまかしたチョコレートしか食べた事がなく、「こんなおいしい物が世の中にあるんだ・・・。」と感激したのを覚えている。
中学に入り、チョコボの中では、森永の「ハイクラウンチョコレート」にその王座は譲ったが、それでもこの板チョコの味は覚えていた。
それから40年ほど経った時、冷蔵庫に何気なく置いてあったこの板チョコを食べた時、あの懐かしい、、、、懐古的な美味しさが、尚且つ洗練された味として蘇った。
それ以来、我が家の冷蔵庫には、この板チョコ、アーモンドチョコ、ナッツチョコが常備品となった。
ブランディ、焼酎の原酒など度数の高いお酒のつまみとしても良く合う。
そして、お局の好きな”ラムレーズンチョコ”。お酒は好きなほうではないのだが、大のレーズン好きな為か、決まって購入して来ている。
きっと70になっても、コンビニで、そ~っと板チョコを買うチョコボの姿があるのだろう。。。
いつ始まるのか決まらない、衆議院の解散総選挙。
予算が通ってからと言うが、7月に先進国サミットを控え、予算を早めに通したくないのは麻生さんだったりして。。
いつも思う事・・・。
国会議員という事は、全国の国民を代表して国会に行き行政、立法を行っている。
その理論理屈は理解出来るのだが、、、以前にも悪く書いた姫井百合子議員など、”何をやってるの?”と思うような議員が大勢いる。
そして、あれが我々国民に選ばれた議員先生と言うのだ。。
それが小選挙区だ。と言ってしまえばその通りなのだが、岡山のある地方の一部の住民が選んだ先生が国民の代表面しているのが面白くない。。
市長選の票レベルで、北は北海道から南は沖縄までの国民の皆様の代表として・・・。なんて思われていると思うと、無性に腹が立つ。
あれで、年間一億円を越える歳費(税金)を6年間も貰っていると思うと、何とかしたい。。
例えば、総選挙時に、訳の分からぬ最高裁の判事の有無の採決。
あれを、国民皆が理解して採決してるというのだろうか・・・。
判決を出した裁判の結果の是非を国民(民意)に問う。と言う事なのだろうが、その裁判を詳しく知っているのは有権者の1%にも満たないのでは?と思っている。
正しく、あれを国会議員(衆議院も参議院も)に対してやれば良い。
ある地方で選ばれたふんぞり返ったアホ先生も、全国レベルで、、アウト!
これぞ正しく民主主義だ。。
(おらが村の代表が、国会へ行って国家予算を取って来て、道路&鉄道等を引いてくれる。と言う発想がある。地方代表としての顔の国会議員に対し・・・。
これが、汚職&癒着を生んだのだ。)
でも、こんな法案、あの議員先生達が通す訳ないよなぁ・・・・。。
今、政治がガタガタ。。と言うか、うがった言い方をすれば「面白い」。。
麻生発言の一端として「あの人は、奇人変人を売りにしていた方だから・・・」
「本当を言うと、私は郵政民営化に賛成ではなかった」。。
そこまで言われたら黙っていないのが男小泉純一郎。
麻生のグタグタ失言に対し苦言を呈した、と思ったら、閣僚からは反発の嵐。
(まぁ立場上守るしかないのですが・・・。国民感情無視。。)
枡添の「too late」は、まだ良いとして、大田元農水馬鹿大臣など「もう、さっさと衆議院から去ってくれ!」とまで言った。。
お前なんぞより、小泉の方が位は、ず~~~~っと上なんだよ。
若手将校が大本営の総大将に食って掛かっている像に見える。
粋がって格好付けてるんじゃない!!
お前なんぞ、小沢の新進党に付いて行き、”朝までテレビ”で石波大臣やらと若手の精鋭とか呼ばれていたが、結局はノコノコ舞い戻り、大臣になってふんぞり返ったと思ったら、失言で失脚。。(結局は、大した器じゃなかったって事。。)
着流しでも着せたら、ヤクザの親分の程の器量ではなく、意気った若頭の呈だ。。
その目つきも何とかしろよ。。
極め付けは中川財務大臣・・・・。。。
本当!「クールポコ状態。。。」
テレビで見ていて、正視出来なかった。。
あれで「風邪薬を飲み過ぎた」と来たもんだ。。。
中川大臣の酒好きは有名らしい。
小泉純一郎が、この中川を可愛がっていたが、あまりの酒好きに「おい!酒好きはよいが、朝から酒を飲むのは良くないな・・・。」と諌めたところ、、
「はい・・・。分かりました。。これからは昼から飲む事にします」と言ったとして、笑い話になっているそうだ。
それにしても、何とかならんのか、、、、この政治。。。。
北海道土産に貰う六花亭の「バタークッキー」。
甘党のお局はもとより、左党のチョコボも大好きなお菓子。
北海道へ行く友人が居ると、必ずお土産に買って来てもらう。
息子は、ポテトチップにチョコレートが塗ってあるお菓子。
まぁこれは、最近スーパーでも買えるようになった。
賞味期限、保管状態の違いで、各店でも取り扱いが出来るのだろう。
バタークッキーは、それ程賞味期限が長いわけではない。
お局は、それを綺麗にアルミホイルに包み、冷凍庫で保存してある。
それをチョコボが見つけて、そっと盗み食いをする。
何か仕返しされそうで怖い。。。
あと我が家の好物が、「福砂屋のカステラ」。
この地方では、名古屋のデパートまで行かないと購入出来ない。。
たまに取り寄せで食べている。
バタークッキーは、コーヒーで・・・。
カステラは、濃い目の緑茶で・・・。
あ~・・食べたくなった。。
正月早々重病に見舞われ、死の寸前をさまよっていた「ぽん太」。
本当に、、一時期は死を覚悟していたが、見る見る元気になって、今では、私を見ると逃げ出して行く。
本来、この「ぽん太」・・・・、、、すぐ近くのスーパーの裏口にシャムの毛色の兄弟と一緒に捨てられていた。
生後2ヶ月経った程だろうか、、我が家とお隣さんの垣根の境にうずくまり、小声で泣いていた。 私が近づくと逃げるのだが、お局にはすぐになついた。
きっと、スーパーの男性社員が追いまくったのだろう。
今でも、男にはなつかない。。。(それがトラウマになっているのか・・・。)
病んでいる時には、歩くのさえ儘ならず、抱きかかえて運んでやったのだが、今では、写真のように、和室にある車箪笥の上に飛び乗り、置物のような顔をしている。 そして、やはり、、私が近づくと逃げて行く。。
いつも思う事・・・・。。
犬や鼠や牛があって、何で猫がないのだろう・・・・。
干支って。。
PERSONZ・・・。。
http://www.personz.net/
皆さんは、知っていました?
昨日ell Knotでワンマンライブがありまして、行って来ましたPERSONZライブ。
実を言うと、この名前を聞いたのは今年の初め。
息子のバンドGLIDEと対バンしたのが、このPERSONZのギター本田毅が率いる「fringe tritone」。http://cube.cside1.com/thmaniacs/index.htm
その時に、東京からのお客さんが多いように思われ、息子に「”fringe tritone”って有名なの?」と聞いてみた。 すると「そのバンド自体はそう有名でもないけれど、ギターがPERSONZの本田毅じゃん。」との事。 (なんじゃ・・・それ・・・。ってのが本音。。)
で、昨晩の入場料が¥5250なり。
え~っ!?豊橋のellで¥5000? とは思ったが、中々見る機会もないだろうと思いell Knotへ。
ellのスタッフK子は、「今日は20曲位歌うけど10曲は空で歌えるよ」と言っていた。
実際「DEAR FRIENDS」は、ドラマの主題歌となり大ヒットを飛ばしたと言う。
しかし、、、このチョコボ、一曲も知らず。。。
帰りがけ、K子に「やっぱり曲は知らなかったなぁ・・。」と言うと、「本当!?K子なんか、もうリハの時から涙ボロボロで、今でも感激しっぱなしだよ」と言っていた。
車に戻ると、携帯電話に着信履歴が・・・。
たまにこのブログにも来て下さるnatsumeyaさん。早速返信ダイヤル。
na「もしもし、あっ!すみませんね忙しい所・・。」
私「いえいえ、今日ねPERSONZとか言うバンドがellKnotへ来たから行っていたんですよ」
na「え~っ!?。。。PERSONZって、あのPERSONZですか? 女性ボーカルJILLの?」
私「うん、そうそう、渡辺美里っぽいって言うか、アンルイスっぽいって言うか・・・。化粧がちょっと派手目の・・。」
na「え~~っ!言って下さいよ。私、リアルタイムでど真ん中で、大好きなバンドなんですよ。。まさか、豊橋、、、しかもellへ来るなんて。。。」
との事だった。
そう言えば、K子もnatsumeyaさんも40歳少し前、同世代。
お客さんも、その年代の方が多かったような・・・。
結局は、良いものを見たんだ・・・・。
一昨日2月11日は、親父の86回目の誕生日。
姉夫婦と我が夫婦と実家近くの寿司屋でささやかなお祝いをした。
好きな日本酒を飲みすぎたようで、帰る頃はだいぶ出来上がって、家に帰りたいと言い出した。足がふらついていた。親父も歳を取ったな。。
それでも、家に帰り、買っておいたバースディケーキを食べていたから、まだまだ丈夫なのだろう。
大正の末に産まれ、青春を戦争で奪われ、戦後、復興日本で一所懸命働き、我々を育て、老後、後期高齢者とくくられ。。そして、そろそろ一生を終えようとしている。
それでもきっと文句は言わないだろう。”楽しかったよ”と言うだろう。
八十八の米寿のお祝いには、どこかへ旅行にでも行こう。
先祖代々・・。とか、曽祖父の趣味で・・・。とか言われ代々受け継がれている骨董品。
残念ながら、我が家にはそういった類のお宝は何もない。
但し、結婚した当時、お局の実家には、このような骨董が部屋に一杯あった。
元々は、我が家系と同じ農家の出身だし、お爺さんの趣味とは聞いていない。それこそ、置物、掛け軸、焼き物、江戸時代のものと思われる日用品etcがあった・・・・。。
何故こんなにありとあらゆる物があるのだ・・と聞くと、終戦当時もお局の実家は製麺業&製粉をしていて、(今でもそうだが・・。)終戦時に政府指定の食糧配給所になっていたらしい。
パンであったり、小麦粉であったり、又は小麦も持って行くと製粉し、うどんやらパンと交換してくれたそうだ。
基本は金銭交換なのだが、終戦当時お金も自由に使えた訳ではない。
家族を養う為、家にあった貴重な骨董品やら、ガラクタまで持って並んだのだと聞いた。(その後、国税局が調査に来たらしいが・・・。)
その価値も分からず、ず~っとある部屋に眠っていたらしい。
但し、掛け軸の多くは、親戚が戦後すぐに旅館の経営に乗り出し、掛け軸のほとんどを貸し出してしまったようだ。(もちろん返って来るはずもない)
一部は、我が家の押入れにあるようだが、他のほとんどは、家を改装した時にどこかへ行ってしまったようだ。。
ただ一品だけ義父が気に入って、今でも床の間に飾ってある置物がある。
それは、ガラスケースに入った虎の置物なのだが、全て手造りで、毛の一本一本も手で植えてあると言っていた。 きっと粘度のようなものを固めて造ったのだろうが、横1mに足らないそのケースを一人で持ち上げようとしても、頑として動かない。
その虎が造られた経緯を聞いたのだが、なんだか”眉唾もの”と思われそうでここには書けない。。
何でも2対の虎で、そのうちの1対が来ているらしい。
まぁ、真贋の程は、「何でも鑑定団」にでも出してみる事かな。。。
もう話す気にもならない、麻生内閣の政治。。。
言う事はブレブレ&グダグダそしてフラフラ。。
内閣支持率アップの一類の望みを抱きながら解散を引き伸ばし、6月に行われる先進国首脳会議の出席を楽しみにしていると聞く。
”外交の麻生”は、外務大臣の時にだけ発揮出来たもので、今となってはその名も空寒い。
今ある衆議院の3分の2の絶対数も郵政選挙によって、小泉人気によって勝ち得た員数なのに、「私は、郵政民営化には反対だった」と来た。。。
去年の自民党総裁選には「あの時の選挙時、私は総務大臣だった」と、自分の手柄のように誇示していたではないか。。
何のカリスマ性もなく、ただマンガに詳しいだけの日本の顔・・・。。
これほど民意の読めない歴代総理も珍しいのではないのか・・。
明日にでも解散総選挙をすべき。
どの道、政治空白は生まれているし、政治暴動が起きる前に決断すべきである。
考えれば考えるほどイライラが募る。
今日のタイトルは、サラリーマン川柳で一服のお茶にしたかったのになぁ・・・。。
高齢者に義務付けられている「紅葉マーク」。
初心者マークと同じ様に”やさしく見守ってあげて下さい”との信号の意味があるのだろう。
ただし、急いでいる時など非常に厄介な時もある。。
土曜日の昼頃になると、このマークを付けた車を見掛けるようになる。
(平日の出勤時はあまり見ないですね。)
老夫婦揃って、買い物&所用を済ませに行くのだろう。
安全運転は分かるのだが、郊外の一車線道路を30Kmの安全運転でノロノロ走る。縦列で均等に走っていた車は、いつの間にか前が100m以上も開き、信号では、歩行者用信号が点滅し始めると、徐行し、本信号が黄色になる事を見越して停止する。
”きっと止まるのだろうな・・・。。ほぉら、やっぱり止まった”などと考えている時は良いが、納品を急いでいる時とか、人との約束がある時など、思わず”チッ!”と思ってしまう。
去年の話、、目の前をチンタラ走り、歩行者用の信号点滅で必ず止まる紅葉マークの車の後を「あ~あっ・・・。」とか思いながら、こちらも30Kmで安全運転で走っていた。(まぁ、後は大渋滞でしたが・・・。。)
10分くらい走っていると、前の紅葉マークの車が、左折する為ウンカーを出している。
「ヤッター!」と思い、その車を徐行しながら抜こうと思った瞬間、その車は、、、一度車体をチョコボの車に被せるようにして右に寄せ左折しようとしたのだ。
いわゆる、”直角左折”と言う教習所で習うやつだ・・・。。
あわてて急ブレーキを掛け、難無きを得たが、あれが接触でもしていたら、100対0で人身事故、免停&罰金でえらい事になっていただろう。。。
もし急いでいる道すがら紅葉マークの車を見掛けたら、遠回りでも迂回をして、、、、、
イライラ感を和らげる事。
ねっ!・・・・。
「年寄り笑うな、行く道ぞ」・・・か。。。。
今読んでいる本。
往年33歳。(1867年)
こんな若者が太平の世を動かしたのだ。
暗殺犯は、京都見廻組。 今で言う所の「警察特殊部隊」である。
新撰組と違って、寄せ集めでなく、幕府の旗本出身のエリート集団。ゆえに新撰組とは一線を隔していた。プライドがあったのだ
その中の一人が、死ぬ間際、竜馬暗殺を言い残した。
今ではこれが、定説になっている。
数年前に、京大の教授が、「坂本竜馬は大した人物ではなく、明治に出版された小説”汗血千里の駒”の中で英雄視され、日露、日清戦争に於いてまたまたブームとなり、戦後の小説”竜馬が行く”によって持ち上げられただけであり、ただの土佐藩脱藩のごろつき浪人だった。」との私説を発表し、失笑を買った。
大政奉還、西郷の私書、薩長同盟、亀山社中etc・・・。全てに「坂本竜馬」の名が記されている。歴史の事実である。 ただのごろつきが大政奉還の立役者として記名される訳がない。
何を思い「凡人」と評したのか分からぬが、こんな若者が世を動かせる訳がない。との記もある。
では、その他の勤皇の志士達は、皆世の中を知り尽くした賢人達だったのだろうか?
いや、皆30歳を越えぬ若者ばかりである。
己の責任を取らず、お上からの言いつけを守り、己の保身が第一の幕府のふんぞり返りジジイの集団。
まるでその教授&今の政府そのものである。
今の世界恐慌が日本のせいとは思わないが、国会議員、役人の行動&発言が歯がゆくてならぬ。
早く出て来い「平成維新」の志士達。
このところ、スーツを着る機会が少なくなってしまった。
以前は、業者会の会合、商談、ちょっとしたパーティなどは、スーツ姿で出掛けたものだが、今ではジャケット&スラックスにネクタイ。という出で立ちがほとんどである。
身内のパーティへは、コーデュロイのスーツを着てラフに出掛けたものである。
紺ブレ(ニューポートというダブル物を合わせて)などは、春冬物で5~6着ある。
しかし、これも着る機会がほとんどなくなってしまった。。
頻繁にゴルフをやっていた頃は、プレイ中にセーター、帰りには、ちょっと派手目なセーター又は、ブレザーを羽織って街中へ飲みに繰り出したものだが、今となっては、、、、ゴルフも月一程。。街中の飲食店にいたっては、行けば迷子になってしまうのでは・・・?と思うほどの頻度の低さ。。
このブレザーも、濃茶のコーデュロイスラックスを合わせ、スェードのウイングチップスを履き、先日、新店舗の商談に行った時に着ていった物。
年に一度だけ日の目を浴びる外出着達・・・。
他のセーター&シャツ&スラックスも、「もう着ないかな・・・。」と思いながら処分出来ないでいる。
まぁ、葬儀の時には、棺桶を2ッ用意してもらおうか・・・。。
一言で「夢」と言っても、夢には色々な種類がある。
例えば、実際寝ている時に見る「夢」。
「何を夢のような事を言っているんだ」と言う、現実離れした希望的な「夢」。
そして、「僕には夢がある」と言ったような、将来の実現を目指す具体的な「夢」。
はたして、若い頃の自分がどんな夢を描いていたのか、あまり思い出せない。。
ノンポリだったせいか、浮き草のように地に根が生えていなかったせいか、はたまた、、、浮浪雲のようにフワフワとしか考えていなかったせいか。。
まぁ、どれも当てはまっていたのだろう・・・。
今の生活が決して夢の生活ではないけれど、不満がある生活でもない。
人生の終焉が来た時に、思い出しながら「あぁ・・・俺の人生って、、楽しかったかも・・・。」と思えるかも知れない。
そして今の夢・・・・。
20年後に、お局とどこかの旅先の坂道で、海に向かって「チャーミーグリーン」をする事かな。。。
あまりの暖かさに、蕾から顔を出した梅の花。
春は、もうすぐ・・・・。
フォーリーブスの青山 孝史が肝臓がんで亡くなった。
57歳。。。我々世代の癌での病死。。
そろそろひと事ではなくなった。
来週末、同級生の夫婦7組で、あるお宅へ集まり宴会を開く。
”ふぐ会席”をしたいという事で、材料の手配を頼まれた。。
”フグなら、俺も食べたい”とか、”女房に食べさせてやりたい”と言うので、結局5~6人の予定の宴席が15名ほどに膨れ上がった。
手配は良いが、テッサを引くのはこのチョコボである・・・・。
十数名分、テッサ&付き出しを造るのも大変な作業である。
(その中の料理好きな奥さん2人が手伝ってくれる事になったが)
まぁ、刺身さえ造ってしまえば、あとは、ちり鍋、雑炊と手間は要らぬから引き受けた。
その中の3~4名は、料理よりも、酒さえあればツマミは塩で良いという酒豪。。
日本酒&冷酒の空き瓶がゴロゴロ転がりそうである。
あと10年、20年経っても、このメンバーが、一人も欠けず元気で集まれる事を願っている。。。
料理の時に下皿としてよく使う「ハラン」。
我が家にも庭先に&鉢植えでベランダにと植えてある。
友人を招いて料理を作る時に庭先から切り取って使うのだが、今回は、間違えて発注してしまったもの。。
以前、ある食材専門店で「熊笹」を頼んだ事があった。
20cm強の笹が30枚くらい入っていて、真空パックになっている。
大きさも丁度良いため、冷蔵庫保管で、重宝していた。
今年に入り、友人を招待する機会が多かった為、その「熊笹」を頼もうとした所、、口から出て注文したのが「熊笹」でなく、「ハラン」と言ってしまったのだ。。
まぁ、飾りとしても良いし、そうそう枯れるものではないので、当分の間はキッチンカウンターの一部に、デン!と構えているだろう。。
今度は、「握り寿司」で友人を招待しよう。