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先週の日曜日は父の日。
我々の育った時代に”父の日”はなかったと思う。
あったとしても”母の日”と違い、自分の意識の中に無かったのかも知れない。
息子がプレゼントしてくれたポロシャツ。
メーカーは「ナイキ」。
ポロシャツは数多く持っているが「ナイキ」のシャツはなかった。
パパス、ラルフローレン、ヘンリーコットンズ、キャプテンサンタ等がほとんどだった。 何故ナイキにしたのだろうか・・・。と思っていた。
考えてみたら、仕事着にポロシャツは着ない。 着るのはゴルフか遊びに行く時に着る。 そしてその時に愛用しているのがナイキのキャップ。
その帽子とセットになるように買ってくれたんだ・・・。
初めて父の日を意識した。
ありがと、息子よ。
今日はゴルフ。
早速着て行こう。
水替えを終え、嬉しそうに泳ぎ回るらんちゅう達。
親らんちゅうの他、3年目を迎える品評会クラスのらんちゅう(全国大会で上位に入賞する位のらんちゅうの子供です)8匹。
土佐金の親が8匹。
去年、我が家で産まれた土佐金の子供(出来の良い子30匹程、あと、処分出来ずに残った跳ね仔、、、多数・・・。)
跳ね仔達は、玄関先の睡蓮鉢やら、庭先の石臼の中で泳ぎ回っている。
(優等生達は、2Fデッキのプラ船と、陶器で出来た土佐金飼育用の丸鉢で飼育しております・・。)
冬の間はじーっとしていて変化は無いのだが、夏は水温が上がったり、水の汚れが早く大変。
跳ね仔と言っても、れっきとした土佐金。
金魚屋さんへ行けば数千円で売られているかも・・・。。
犬、猫と違って星になっても涙こそ流さぬが、哀れに思う・・・。
みんな・・・・天寿を全うしておくれ。
ポツリと一輪咲いていた紫陽花。
東国原知事の国政への進出が話題になっている。
総裁の椅子を用意する位の招聘なのか、知事会の要望をマニフェストに入れるのか、と言う事を自民党の古賀誠選挙対策委員長に問うたようだ。
その返事待ちで本気で国政に鞍替えする事を思っているようである。
但し、この野望は本人の自己啓発から来る野心からではなく、地方を良くするには、自分が国政に打って出なくてはならない・・・。と言う思いからだと思う。
それには、田嶋陽子、大橋巨泉がそうだったように、ただの末席の国会議員では何の発言権も無い。 反対意見の員数合わせに過ぎない。
それに対して、総裁候補の席を要求したという事は、駄目でも大臣、せめて閣僚の立場で活躍したい。と思っているだろう。
他の先生と違い、私利私欲の為に大臣のポストを欲しがっているのではない・・・と思いたい。
自民党がその申し出を受け入れた場合。そして拒否した場合、東国原知事がどう言った行動に出るか興味津々である。。このチョコボ・・・・。
犬山城下にて、奥座敷にお蔵があるようなちょっとお洒落なレストランで食事をし、1時過ぎに6kmほど離れた明治村へ向かう。
この近くには、「お菓子の城」、「リトルワールド」、「日本ライン下り」等楽しめる場所は多いのだが、まぁ我々にとって「明治村」が良いだろうと言う事で明治村に決定。
高校の遠足、25年程前の京都旅行の前に寄った事があったが、今回で3回目。
定番の「聖ヨハネ天主堂」、「西郷従道邸」、「夏目漱石&森鴎外」の仮住まい等々以前と変わらぬ建物も懐かしく見回ったが、、なんせ広い。。
館内にあるレトロな汽車、市電、バスを乗り継いで観光したが、最後は建物の中に入る事すら叶わず・・・。。
最後は、あのチャップリンもマリリン・モンローも泊まったと言う、旧帝国ホテルの玄関部分&ロビー跡にある喫茶店で明治の雰囲気を体験しながら「カフェ」?でコーヒータイム。
織田有楽斎の「如庵」と言い、「西郷従道」邸と言い、歴史上の大人物を兄に持ち、陰に隠れた存在だった弟の成した仕事にただただ感嘆するのみだった。
あまりに歩き廻ったせいか、今でも足が痛い・・・とお局は言っております。
チョコボ・・・・? いたって元気です。 はい。。。
織田信長の13歳年下の弟、織田有楽斎が造った茶室。
京都の屋敷から名鉄犬山ホテルの一角に移築され、その後国宝に指定された。
http://www.m-inuyama-h.co.jp/urakuen/nyoan.html
東京の有楽町も有楽斎の屋敷跡の名残だと言われる。
本能寺の変には二条城に居たが、首尾よく逃げたそうである。
千利休の七茶人の一人。
この日は、日曜日にも拘わらず、この時間訪れていたのは、我々4人のみ・・・。。
京都特有の、静寂さ、、、詫び寂びの世界がここでも味わえる。
別席でお茶席も用意されている。
是非もう一度行きたい観光地。
秋の紅葉が楽しみだ。
お城めぐりの旅。
(その後、明治村へ行く。)
今回は犬山城。
自宅からは一時間半ほどの距離。
遠くからは何度も見た事があるのだが、実際訪れたのは初めて。
江戸時代から続くお城の造りは、ほとんどが同じなのだが、それぞれ当時の城主の思いが込められており興味深い。
天守閣からの眺めは、やっぱり壮観。
但し、お局達女性には不人気。。
(城内の、あの急な階段を登ろうと言う気持ちが分からない・・・とか言っております。”まだ若いから良いけど、歳を取ったら大変じゃんねぇ~・・・。”とも言っておりました。。 はい・・・。)
隣接する名鉄犬山ホテルの庭には、織田信長の弟、八男織田有楽斉が造った茶室、国宝「如庵」が京都から移築され、訪れる人々を静かに迎えてくれます。
茶室、東屋、庭、母屋、どれを取っても素晴しい。
歩き疲れた一日だったが、充実した一日。
如庵、明治村は後日。
ビールのつまみの定番「枝豆」。
今では冷凍の枝豆もあり、以前と比べたらだいぶ美味しくはなったが、チョコボは食べない。
居酒屋で突き出しとして出されても、冷凍なら他の物に替えてもらう。
冷凍でも、我が社で扱っている冷凍うどんなどは、茹で上げの美味しさを逃がさないよう瞬間冷凍する為美味しいが、枝豆はいただけない・・・・。。
生のもぎたてを購入する。
子供の頃、秋分の日には、枝豆の枝付きが当たり前だった。
それをもぎりながら食べた記憶がある。
それと、枝豆が成長すると”大豆”になると知ったのは、10年程前だろうか・・・。
枝豆は枝豆。大豆は大豆。と思っていたから、その話を聞いた時、からかわれていると思った。いやほんと・・・・。
塩味の利いた枝豆。
酒のつまみの至極の一品である。
TV番組 「トンネルズの皆さんのお陰です」の中で”食わず嫌い”のコーナーがある。
昨晩のゲストは、女優の長澤まさみと俳優の佐々木蔵之介。
で、佐々木蔵之助の好物の中にこの高野豆腐があった。
4品中3品が好物、そして1品が嫌いな食材なのだが、この高野豆腐が出てきた時、”ははぁ~ん・・・これだな”と思った。
結局は、好物だったのだが、このチョコボ、、、、、これだけは、未だに苦手である。
小学校の頃、給食に出される物で嫌いな物が三つあった。
必ず残して、教師に居残りをさせられ、それでも食べれなくて持って帰った記憶がある。
高野豆腐、ひじき、おから。の3品だった。。
今では、ひじき&おからは美味しく食べられるようになったが、高野豆腐だけは未だに駄目。。。
どんなに美味しく味付けしても、あの食感が駄目・・・。
味の沁み込んだスポンジを食べている感なのだ・・・。
子供の頃は、好き嫌いは駄目!と教えられていたし、まぁまぁ理解も出来た。
歳を重ね、人間関係でもそうであるように、利害関係の無い場合、、特に馬の合わない輩と無理に付き合わなくても、(一生こいつとは会わなくていいな・・・と思うような男)と言うより、離れていた方が良いと思うようになって来た。
折角職人さんが作ったのだし、折角調理して出して頂いたのだから・・・。
と言うような思いがあったのかどうかは分からないが、今なら堂々と残す気がする。
”栄養があるんだよ”と言う事が多々あるが、その栄養なら他の食材で摂るよ。と言うのが本音。
未だに食べる事が出来ない食材・・・・高野豆腐と、にんじん。。。
今、NHKの「歴史秘話ヒステリア」が面白い。
http://www.nhk.or.jp/historia/index.html
一話&二話は見逃してしまったが、その後は必ず録画して見逃さないようにしている。
「その時歴史が動いた」の後番組なのだが、秘話と謳っているだけあって、その主人公の知られざる話が聞けて面白い。
昨晩は、チョコボの好きな太宰治。
以前ブログにも書いた、川端康成への芥川賞を巡る嫌味&懇願の手紙などが紹介されていて面白かった。
晩年、犬猿の仲だった文豪「志賀直哉」とのやり取りをもっと詳しく紹介されたら、テレビを見ている人も引き付けただろうに・・・・。と思ったが、かえって太宰に反発を持ってしまうのかも・・・とも思った。
http://mdanbo.at.infoseek.co.jp/DAZAI02.HTM
(如是我聞、三~四が志賀直哉への反発です。暇な時読んで下さい。)
兎に角面白い。
ドラマなどと違って、面白おかしく、ではなく真実を追究している事も良い。
次回は「坂本竜馬」 楽しみだ。
「あんこ」が玄関先で遊んでいた。
見上げたその先には、雀が電線に止まっている。
毎夜のように雀の赤ちゃんを捕って来る。
どうやって巣へ入り込むのか分からないが、飽きもせず捕って来ている。
中には、まだ生きていて、チュンチュン鳴いている小雀もいる。
夜中に、お局がそれを見つけ、そーっと隣家の垣根へ置いてやった。
翌朝見てみると、もう食べれれてしまった跡形だけが残っていた。可愛そうに・・・。
きっと、近所に住む野良ちゃんに見つけられてしまったのだろう・・・・。。
我が家ではどうしてやる事も出来ない、生き物の摂理。
他の猫と違い、この「あんこ」と亡き「ちぃー」がよく外へ遊びに行く。
この「あんこ」も夜中に事故に遭わなければ良いが・・・。
「あんこちゃん」・・・・「ちぃー」の分まで長生きしておくれよ・・・・。
一晩経っても、「ちぃー」への思いが薄らぐ事はなかった。。
昨晩は、友人知人を呼んでデッキでパーティ。
お局も少しは気が安らぐだろうと思ったが、祭のあとの寂しさの如く、酒が余計に募らせるのか『ちぃー」への思い出が巡るばかり。
8年前の七夕の日、夕暮れ時にふらりとやって来た子猫が「ちぃー」だった。
最初から人懐っこくて、初めて来た家にも拘らずチョコボの足に絡み付いてきた。
捨てられたのだろうか、迷子になったのだろうか・・・。
子供の頃から凛々しくて、鼻筋の通った猫だった。
悲しいのはその死そのものよりも、今まで過ごして来た「ちぃー」との思い出が巡るからだ。
”あ~・・・ここで寝ていたな” ”そう言えば、ネズミ好きなクッキーにネズミを捕って来てプレゼントしていたなぁ~・・・。”
実際、クッキーが亡くなってからは、一匹のネズミ&生き物を捕って来なくなった。
まだまだ、「ちぃー」への思いは薄らぐ事は無い。。
ごめんね・・・・こんな最期を迎えさせちゃって・・・・。。
あと十年、寿命を全うさせてやりたかったな・・・。
でも、本当、、、、楽しかったよ。
又どこかで逢おうね。
享年7歳。
一番長く一緒に居たかった「ちぃー」が死んだ。。
先程、隣りの奥さんが、「ちぃーちゃんがうちの庭で横たわっている」と伝えに来てくれた。
木曜日の夜中の事、最近チョコボのベッドで一緒に寝ることの多い「ちぃー」が、外へ出してくれとうるさく鳴いた。
窓を開けてやるとピョンと下へ降り、夜の町へ出掛けて行った。
きっと、猫集会が始まるのだろうと思っていた。
いつもは2時間程で帰って来ると聞いていたから、窓を開けてそのまま眠りについた。 後で聞けば、最近では窓から出入りせずに、玄関を開けてくれるまで待っていたそうだ。
きっと明け方に帰って来て鳴いていたのだろう・・・。
金曜日の朝になっても見当たらない。。。
お局は、金曜日の昼に隣家の庭先で見かけて、声を掛けたが、家に戻ろうとしないのでそのまま外出したと言う。
しかし、土曜日、日曜日と姿が見えない。 お局は心配そうに近所を探していた。
隣家の奥さんの「横たわってる」に、そっか、、、怪我をして動けなかったんだ・・・。そう思っていた。
急いで駆けつけると、横たわったその姿に生気は無い。。
まだ暖かい体に蟻が這っていた。
今朝、家に帰る途中で車に跳ねられたのだろうか。。
必至で帰って来ようとして息絶えたのかも知れない。
亡骸をダンボールに入れ、斎場へ持って行った。
我が家の最古参。 亡き「クッキー」とも仲良しで、いつも一緒に寝ていた「ちぃー」・・・。。
新参者が来ようが、猫特有の縄張り争いもせず、鼻をつんつんとやって、淡々と受け入れていた「ちぃー」。
声が小さく、いつもお局&チョコボの顔を見上げ、人懐っこく「ミャー」と小さく鳴いた「ちぃー」・・。。
最近では、チョコボのベッドがお気に入りだった「ちぃー」・・・。
もう、いつものベッドにはいないんだね・・・・。
幸せだったよね・・・。我が家で暮らして良かったよね・・・。楽しかったよね・・・・。
長い間、我が家の家族を癒してくれてありがとう。
生まれ変わっても、絶対に我が家へ来るんだよ・・・・・。
本当にありがとう。
さよなら「ちぃー」。。。お前の事は忘れないよ。
合掌・・・・。
先週土曜日、親しくしている友人の奥さんの誕生日。
豊橋で、いつも賑わっている中華料理店を予約しておいた。
コース料理とは別に頼んでおいたのがこの「フカヒレの姿煮」。
フカヒレのスープはちょくちょく口にするのだが、姿煮となるとそうそう食べれるものではない。 実際このチョコボも4回目。
自腹で頼んだのが今回を含め2回。後はパーティで出たもの。
ここの中華料理屋さん、土日など一杯で入れなかったのだが、行った時には待ってる人の姿が見られない・・・・。。
出されたコース料理も、中華の定番料理ではなく、イタリアンと中華がコラボしたような創作料理の数々。。
しかも、”これは旨い!”と言うような料理も見当たらず・・・。
ある方が、味が落ちたと言っていたが、客が望む物と違った料理が出て来てるようだ・・・。
まぁ、単品で頼めば良いのだろうが、予約してまでは・・・。と思った、飲食店の提供の難しさ・・・。。
玄関先の睡蓮鉢も賑やかになって来た。
冬の間は濁った水だけだった睡蓮鉢も、春を迎えジーっとしていた水草達が芽を吹き出した。
我々東岩田の町内会も、7月の初めに一回目のゴルフコンペを開催する事になった。
とりあえずは有志だけで行うのだが、同じ町内でゴルフ仲間が多くいるゴルフ好きなある区長さんが先日こんな事を言って来た。
「メンバーを集めているのだが、ある方が開催するゴルフ場を好きではないと言っている。。ゴルフ場を変更するなら出てやっても良いと言ってるが、何とかならないかねぇ・・・。」との事・・・・。
とりあえずは、出先だった為電話を切ったが、その後、理不尽な申し出に、後になって怒りが沸々と湧いて来た。
5組(20名)の方のほとんどはOKを貰っている。その一人の方の為に、何で全てを調整しなければならないのか・・。。
そして、その方がどんな方かは知らないが、もし、自分であったなら絶対にそんな事は言って行かない。 自分が嫌いなら理由を見つけ断れば良い。
それを、場所を変えるなら出てやっても良いとは・・・・。。
結局は、その区長さんが説得して出て貰うようだが、メンバーの報告に見えた時に教育委員を長年勤めていた方がいるような事をおっしゃっていた。
ひょっとして、このおっさんかな・・・?
それにしても、こんな事を言って来るなんて・・・・。
色々な方がいるねぇ~・・・・。。。
「あらかん」こと「嵐寛寿郎」。
我々世代で「あらかん」と言えば「嵐寛寿郎」と言う答えしかないと思っていた。
ところが、今の「あらかん」は、”アラサー”、”アラフォー”ならぬ、”アラウンド還暦”の「アラカン」なのだそうな。。。
と言う事は、、、我々世代は「あらかん」と呼ばれているのだ。
例えば、あと5~60年後に何かの語呂合わせで、ある世代が「キムタク」と呼ばれるようなものである。
語呂合わせに「なるほど・・・。」と思うものの、「あらかん」の響きに何故だかくすぐったい。
結婚と離婚を繰り返し、その度、家と全財産を置いていったと言う逸話を持つ「あらかん」。
晩年、度々テレビのトーク番組に出ていたが、とぼけた京都弁が親しみを感じさせ、その語り方が面白く笑いすぎて涙したのを覚えている。
例えば、
昭和6年、アメリカの活劇俳優のダグラス・フェアバンクスが来日の折、「わてが映画俳優として最初に英語で挨拶したんだす。」と後年まで自慢していた。なお、そのときの言葉は「ウェルカム・ダゴラス!」であった。
兎に角、晩年は”好々爺”と言うイメージが強い。
ふと思い出した、昔の大名優。
一ヶ月ほど前ell,Knotの受付にて、大阪から来て頂いたGlideファミリーとスタッフ京子嬢。
右にチラっと写っているのは、東京のバンドthe swisのvo、Yuji氏。
スタッフ京子嬢は、写真を撮る時必ずアホづらをする。。。
生まれ持ってのひょうきんさなのか、元の素顔を知られたくないせいなのか、、、それは未だに聞いていないが、兎に角この日もこんな顔で写っている。。
性格は真っ直ぐだし、スタイルも、、、、スタイルも、少し痩せて肉感的になったし、普通にしていれば、いい
でも、我が家みんながお世話になっている。
頼りにしてまっせ!京子