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お盆もあっと言う間に過ぎてしまった。
13日は同級生等とゴルフ、14日はお局の実家で身内全員集合、15日はチョコボの実家へ、そして夕方にお墓へ行き、母のつかの間の訪問を惜しみながら送り火を焚いて来年の再会を誓った。
実家でゆっくりと和んでくれただろうか・・・。
昨16日は、息子の古くからの友人、功三&重雄が家族と共にやって来た。
彼等もいつの間にか立派なオヤジである。
彼等の子供達をあやす姿を見ていると、なんだか感慨深いものがある。。
年に一度ほどの飲み会。
非常に楽しいし、次回が待ち遠しい。
きつい突っ込み、くだらないギャグにもサラっと受け止めてくれる。
10年経ってもこんな風に飲めるといいね。。
楽しいお盆だったよ。
ありがと、功三、重雄・・・。
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先々週の土日に行なわれたわが町の盆踊り大会。
写真機を持って行くのを忘れた、と書いたが、町内のある方が、盆踊りの色々な写真をCDに落として持って来て下さった。
で、お気に入りの写真がこれ。
盆踊りの灯りの点いたやぐらやら、町内の皆さんが踊っている写真もあったのだが、なぜかこれが気に入った。
左の浴衣姿のお二人は、今年の子ども会の役員さん。
去年までは、こんな風景はなかった。
子供達が嬉しそうに並んでいる。
子ども会の役員さん8名が知恵を出し、このイベントを考え出した。
この行事の訪問者数が年々多くなっているのが実感出来、本当に嬉しい。
やはり、こう言った役目は順番でなく、実際に小学校に通うお子様がいらっしゃる主婦の方が適任だと思う。
昨年、一昨年と、この子ども会の役員の中に我々より少し年配の方が2~3方いらしたが、今年の様なイベントを提案したところで、長老の一言で却下されたであろう。。
このような行事が単年でなく、夏祭り化してくれれば嬉しいのだが・・・。
来年は、回覧もカラーにし、くじ引き、餅投げと共にヨーヨー&カラーボールすくい等事前に呼びかけてみよう。
中高年、大人には「ストラックアウト」(9枚のプレートをボールで飛ばすゲームです)もいいな・・・。
あれならチョコボもやってみたいし・・・・・。。
太平洋戦争が終わって65年目の夏。
元々敗戦濃厚だった日本は、この原発一発で敗戦を覚悟し、2発目で息の根を止められた。
あの戦争はなんだったのだろうか・・・。
自分なりに考えてみた。
今から7~80年前、東南アジア諸国は、列強と呼ばれる大国(特にアメリカ、イギリス、フランス)によって植民地化されていた。インド、インドネシア、タイ、ベトナム、フィリピン、隣りの大国中国まで国民は奴隷のように働かされていた。
最後の砦はアジア最東の日本である。
アジアのリーダーを自覚する日本は、その植民地化を阻止すべく先制攻撃に出た。「大東亜共栄圏」を旗印とし、中国に「満州」を建国した。
そして、東南アジア各国を大国から死守しようと出兵した。これが侵略戦争と呼ばれる所以である。
単純に言い換えてみよう。
ある所に日本中学があった。その地域には大小さまざまな小学校、中学校がある。
ところがある日、山を越え、米高校、英高校が、その小中学校を締めにやって来ていた。
所謂「番長」となって一体を治めていたのである。
危機感を抱いた日本中学は、己の身を守る事と、仲間を救うと言う大義名分を持って高校生に決闘を挑んだ。住んでいる近所の学校を仲間に入れようと必至に説得に廻った。中には日本中学を面白く思っていない輩も多くおり、裏切り、高校連合にチクル連中も居た。
しかし所詮中学生と高校生。。体力の差はいかんともしがたく、結果はボコボコにされ、結局は高校連合軍の言いなりとなった。
米高校は日本中学に対し、「いいか、、これからはオレの配下になれ!その代わり、どこかの学校がお前の学校を締めに来たら言って来いよ。代わりに俺がその学校をボコボコにしてやるからよ・・。」と約束をさせられた。
とこんな感じである。。
「みんなを守ろうとしてやった事だ!」とある人は右を向いて叫び、「嫌がる小中学生に金を持って来い!」と脅したじゃないか!」とある人は左を向いて反論する。
結局は、勝者が歴史を作って来た。
勝者の認識・・・「むかしむかし、ある所に日本中学と言う悪名高い嫌われ者が通う学校がありました・・・・・。最後は、体力にものを言わせ、その悪人達を完膚なきまで叩きのめしてやりました。。」
こんなおとぎ話が正論化されてはいけないと思うのだが・・・・。
アプローチから駐車場を見る。
全国で100歳以上のお年寄りの不明者が続出している。。
元は、、、と言えば東京の111歳になるおじいちゃんの安否を確認した役所が、家族の対応に不信感を持ち警察に通報したのが始め。。
それ以降、出るは出るは・・・・・。
しかも、身寄りのないお年寄りの、連絡も出来なかった孤独死、ではなく、明らかに年金受給をねらったあくどいもの。。
事件発覚当時、政府、マスコミは、100歳以上の高齢者の存在を確認、又は100歳以上の方々の不明者の数を取り上げていた。
しかし、、、最初の111歳のおじいちゃんの例を取っても分かるように、死亡が推測されるのは30年も前だとの事。
と言う事は、80歳を越えたあたりで亡くなっている事になる。
チョコボは事件発覚当時から言っていた。
100歳以上にスポットを当てるのではなく、
男性は80歳以上、女性は85歳以上のお年寄りの存在を確認しないと意味がないと・・・。
実際100歳以上の年金受給者で、報告されていた方の実際の死亡時期は80歳~90歳である。
チョコボの親爺も今年で87歳になった。
しかし、親爺の場合、どこか痛いとすぐ医者に行く。掛かった件数数十回、週に何度かは一人でスーパーへ買い物に出掛けるから目撃情報も多い。 まぁ、役所が確認するまでもないだろう。。
死亡届が出されず、家族から生存していると嘘の報告がされたその理由が、「年金がなくなるから」では、なくなった方が可哀相・・・。
人として、子としての道はどうなっているのだ!!・・・・。。と憤慨せざるを得ない。
このところ世界に対して、信頼をなくすと言うか、本当に恥ずかしい事が多すぎる。。
日本民族の誇り。。
せめて己が生存している間は、探してみようと思う。
昨日書いた「国民の遺書」の話。
抜粋された遺書の中の一稿。
東京帝国大学在学中に召集され、神風特攻隊の海軍大尉として敵の艦体に体当たりをし戦死した22歳の生涯。
長いが是非読んで欲しい。
最後の面会で食べた寿司の味
父に遭った。母に遭った。手を握り、目を見つめ、三人の心は一つの世界に溶け込んだ。 数十人の面会人の只中にあって、三人の心の世界のみが私の心に映った。
遥かな旅の疲れの見える髪と目のくぼみを、私は伏し拝みたい気持ちで見つめた。(中略)
母は私の手を取って、凍傷をさすって下さった。私は入団以来初めてこの世界に安らかに憩い、生まれたままの心になって、その暖かさを懐かしんだ。
私はこの美しい父母の心、温かい愛あるが故に国の為に殉ずることが出来る。死すともこの心の世界に眠る事が出来るからだ。
わずかに口にした母の心づくしは、私の生涯で最高の美味だった。
涙と共に飲み込んだ心のこもった寿司の一片は、母の愛を口移しに伝えてくれた。
「母上、私の為に作って下さったこの愛の結晶を、たとえ充分戴かなくとも、それ以上の心の糧を得る事が出来ました。父上の沈黙の言葉は、私の心にしっかりと刻み付けられています。これで私は父母と共に戦う事が出来ます。 死すとも心の安住の世界を持つ事が出来ます。」
私は心からそう叫び続けた。
戦いの場、それはこの美しい感情の試練の場だ。死は、この美しい愛の世界への復帰を意味するが故に、私は死を恐れる必要はない。ただ義務の完遂へ邁進するのみである。
十六:〇〇、面会時間は切れた。
再び門をくぐって出て行かれる父母の姿に、私は毅然として挙手の礼を送った。
ー海軍大尉 安達 卓也ー
そしてこのあと、彼は見事特攻隊として、22歳の命を散らせた。
こういった方々の命が靖国に奉られている。
彼は戦犯なのだろうか・・・。
他の国に配慮して参拝を控える事が、国をつかさどる政治家にとって本当に全うな事なのだろうか・・・。
(外国に迷惑を掛けた。と発言する前に、この方々の人生を思いやり、一度でも靖国に向かい手を合わせたことはあるのか!)
本当に、、、、もう一度よく考えて欲しい。。
こうした英霊の方々の心情に触れる度、改めて当時の世界情勢や日本の置かれた立場、外国の価値観を知ることなく「日本は侵略国家だった」とか「可哀想なアジアの国々を力で支配しようとした」などと自虐の念を持ち、逆に日本人として国の為に命を落とされた英霊の皆さんを白々しく「国の犠牲者」あるいは「侵略の加害者」などと決めつけて貶める左向きの「自称平和主義者」達に激しい憤りを感ずる。
故郷が破壊され、我々日本人が苦しむ事態を避けるため、自分に出来る事、責務を一生懸命果たし命を落とされた英霊の方々に改めて敬意を表するとともに、後世に生きる一人として心からお礼を申し上げたい。
戦後65年、そして又終戦記念日がやって来る。
今の内閣閣僚は靖国参拝をしないことを決めた。。
「靖国神社」・・・・・。
皆さんは、本当に靖国神社の事を知っているのだろうか。。
元々戦没者、英霊と呼ばれる国の為に命を落とした方々を祭る神社だった。
その数250万柱あまり・・。
太平洋戦争により命を落とし、祭られた方210万人。
だれもが行きたくない戦場へ借り出され、誰もが落としたくない命を”お国のため”と言う大義名分で散らせた・・・・。
我々がお盆に墓参りをするように、我々国民は英霊達に頭を下げるべきである。
戦後「東京裁判」という形で第二次世界大戦のA級戦犯14名が処刑された。
BC級戦犯と呼ばれた政治家、軍人達も処刑された。
法務死と呼ばれた軍人の処刑は、外地に於いて裁判に掛けられ、日本に帰る事無く、見せしめ裁判のように処刑された。
その数、、1000人あまり・・・。
そして戦後、A級戦犯と呼ばれる、処刑された14名の命が合祀された。
ここに問題が起きた。
中国、韓国、その他東南アジア諸国が、「戦犯を奉る神社に参拝するとは何事か!・・・。」
「日本は、あの戦争を美化している!」と噛み付いた。
それに配慮してか、色々な論争が起きている。
もし、あなたの先祖が奉られている墓に、家族を守る為に罪を被った先祖が眠っているとしよう。
そして、あなたが墓参りをすると言う事実が、その罪を美化していると言う事でしょうか?
被害を受けた人々によって受ける中傷があれば、あなたは他の先祖共々眠っている、その墓参りの全てを中止しますか?
今ある自分の事を思い、感謝の念を込め花を添えませんか?
韓国併合100年に対する内閣談話。。
土下座して謝って、そして罵倒された。。
謝ったら「当たり前だ!」と怒鳴られ、中国には「俺達への謝罪はどうなっているのだ!」とやられた。。
左翼思想の人間が政府の中枢になれば、国の末路は見えている。。。
だらしがない事、この上ない・・・・。。
この本を読めば、いかに英霊達を奉らなければならないかが少しは分かる筈である。
若くして散った命、、、、それを送る身内、特に両親の気持ちはいかがばかりだったであろうか・・・・。
何度読み返しても涙が止まらない。。
日本と言う国、しいては我々日本人の生活を守るには、今何が必要なのかを改めて考えてみたい・・・。
先週、公私ともお世話になっている京子嬢が主催する「京子祭り」のイベントへ行って来た。
GlideのVo.克之、Gtの司、Looselyの大悟が出演するとの事でお局共々出掛けて来ました。
曲は少なかったが、久し振りに見る克之の歌は懐かしさも含め心地良かった。
活動休止前に出演したであろう動画があった。
http://www.formula1movies.com/video/8gZI_dG1uxQ/%e3%83%ad%e3%83%83%e3%82%ad%e3%83%b3-Zepp-Flight-09-GLIDE-Sally%ef%bd%9e%e3%82%a2%e3%82%b6%e3%83%ac%e3%82%a2%e3%81%ae%e8%8a%b1%e8%a8%80%e8%91%89%ef%bd%9e-%e3%82%aa%e3%83%aa%e3%82%b8%e3%83%8a%e3%83%ab%e9%83%a8%e9%96%80.html?vid=8gZI_dG1uxQ
そろそろ思い出の画像になりそうだ・・・・。
先週末の土、日は、チョコボの住む東岩田の盆踊り大会。
が、、残念な事に手配&準備に追われカメラを持って行くのを忘れてしまった。。
一昨年までお祭りの山車をやぐらとして使っていたのだが、去年から鉄パイプのやくらをレンタルする事にした。(作業が半分で済む)
その折、やぐらに灯りを入れた。
今年は、四方に繋いだ提灯にも灯りを入れることにした。
やはり明るくなって、一層華やかである。
以前ブログに書いたビールサーバーも大活躍してくれた。
予定していたビア樽も早めに終わってしまい、総代さんとチョコボで自腹を切って追加のビア樽を買いに行った。
本来、総代さんの一言で予算は取れると思うのだが(町内の方の為である)ちょっと仕切りたがりの会計が口うるさい・・・。。
あえて書こう!・・・。
寄付のビールも、”役員がうちへ集まった時のために・・・”とか言って持ち帰ってしまった。。
(その話を聞いたある役員、、”誰があの人のうちへ行くだん?行きゃぁへんよ!”と憤慨していた。 私もそう思う・・・。。大義名分になっていないよ!Hさん!!)
もう一つ残念だったのが、盆踊りのクライマックスの餅投げ。。
去年もそうだったのだが、無情の雨が・・・・・。。
予定を30分前倒しして進めたのだが、少し雨に祟られてしまった。。
しかしパラパラの雨で済み、集まってくれた皆さんの笑顔が見れて嬉しかった。
来年はもっと皆さんに集まって頂ける様なイベントを企画している。
(まぁ、企画案が通ると思うが・・・。)
町内には一応四大イベントがある。
盆踊り、校区運動会、敬老会、秋季大祭の四つである。
正直言って、残念な事にあとの三つのイベントは限られた方(ほぼ役員)しか参加していない。。 役員&参加者を含め都合100人もいれば上等であろうか・・・。。
しかし、盆踊り大会は、イベントを考えるだけで多くの方が集まってくれている。
少し前までは、2日間で100人ほどの参加だったのが、ここ数年は土、日に数百人の方が集まってくれている。
来年は「ちょっと行ってみようか。」と思えるようなイベントを企画するつもりでいる。
今年の子ども会の役員さん達も、”予算が多くなったので”との事で、子供向けのイベント、風船釣り、千本、スーパーボールすくい等々企画してくれた。
踊りが始まる前の模擬店の前には、子供達が行列を作って並んでいる。
とっても嬉しい光景だ。
来年からは、ただの「盆踊り大会」ではなく、一規模大きな、「東岩田夏祭り」として運営して行きたい。
但し、、、、、「子供なんかどれだけあっても云々・・・・・。。」と言う見識人面したふんぞり返った頑固爺さんの意見をねじ伏せなければならないが・・・・・・。。。。
呼び出しハガキを持って本署まで出向いた所まで書いた。
あとは、切符を切られ、「それでは・・・。」で終わりのはずだった・・・・。
交通課のカウンターに座ると、やって来たのは30過ぎと思われる婦警さん。
チョコ「あの~~・・・このハガキ・・・。」
婦警「ハイ、 え~っと、あっ、駐車禁止ですね。で、駐禁シールはお持ちですか?」
チョコ「いえ、持っていません。」
婦警「えっ!、、あのシールを勝手に処理すると罰せられるんですよ・・・。で、この車はあなたが運転していたんですよね?・・・」
(ここでチョコボの
チョコ「いいえ、、私は運転していません・・・。実を言うと、この車、ある方に貸していたのです。推測ですが、きっと高級な車が必要だったのしょうね。。どんな事情かは聞いていませんが・・・で、その方から駐車禁止シールを貼られた事は聞いております。 きっとその時破棄してしまったのでしょうね・・・。」
婦警「あら!そうなの? 、でその方のお名前は分かりますよね?」
チョコ「もちろん!大事なお客様ですから・・・。」
婦警「じゃぁ、その方の名前を言って下さい。」
チョコ「いや!言えません。だから私の免許書を持ってここに来ています。私の名義で切符を切って下さい!」
(暫らく沈黙)
婦警「あのね・・・・この車は法人名義になっているし、あなたが運転していないとなると、あなたの名義で反則キップを切ることが出来ないのですよ。。運転者に受罪義務があります。その方の名前を言って下さい!」
チョコ「何を言ってるんですか!あなたは勝手にそう言いますが、私にとっては、とても大事なお客様。その方に仕事を切られると我が家の一家3人、首をくくらなければならない程大切なお客様なんです!私は、そんな不義より家族の命を取ります! たとえ裁判になったとしても、私は黙秘権を使って絶対に言いませんから!!」
(まぁ、よくも言えたものである・・・・。)
婦警「あ、そう・・・・困ったわね・・・・。」
(再び長い沈黙)
婦警「じゃぁねチョコボさん、、いつか又、その方の名前を(そうだ!思い出した!)と言う日が来たら又来て下さる?・・・・。 では、この件はこれで終りです・・・・。」
チョコ「えっ!?帰っていいんですか?」
婦警「名前を思い出せない限り仕方が無いですね・・・。」
(唖然としながら、嬉しさと後ろめたさを抱いて本署を出た・・・。)
昨日チョコボのブログを見ていたお局・・・・「え~~~っ!あの事を書くの?・・・。。知らんよ~~捕まっても・・。『時効直前に逮捕!』って新聞に出るに!」と心配していた。 クソ真面目なお局である。
チョコボのような二人が夫婦になっていたら大変だが、足して2で割ると丁度良い加減になっている。。
だから夫婦は面白い・・・。
はちゃめちゃチョコボの「駐車違反日記」
お・わ・り。。。
チョコボは今、ゴールド免許書の所持者である。
免許を取得して40年近く(途中、免許取り消し等の前科あり・・。)、、、、
初めてのゴールドであった。
さすがに今は、飲酒運転は絶対にしないし、シートベルトも運転席に着くと条件反射で着用している。
高速道路を走っても、追い抜き以外は110Kmも出せば上等であろうか・・・。
(以前は、140Km、150Kmとブンブン言わせながら走っていた。。)
但し、電話は掛けてしまう。。
こちらからは出来るだけ掛けない様にしているのだが、お客さんからの電話は、無視出来ないし、気になって出てしまう。
ほとんどが注文の電話だから長電話ではない。
車を毎日乗る人間にとってゴールド免許取得は、運ありだと思う・・・・。
違反をしたか、しなかったか・・ではなく、それを見つかったか、見つからなかったか、、、
も絶対の条件となる・・・・。
チョコボもいつまでゴールド免許を持ち続ける事が出来るやら・・・。
ここ20年くらいは、スピード減点も事故減点もなく、全てが駐車違反でゴールド免許を逃していた。。。
そして20年近く前の話。
チョコボの友人が豊橋の豊鉄ビル(渥美線豊橋駅の向かい)の最上階でレストラン&バーを経営していた。
ゴルフの帰り道、スナックやらクラブをはしごしていた。
その後、彼の所へ行こうという話となり、11時前に店に行った。
もちろん車でである。しかも路上駐車。。
少し飲んで帰ろうとすると、車の窓に駐車禁止のシールが貼ってあった。。
11時15分~35分の20分間駐車禁止場所に・・・。とある。
時計を見ると11時30分前・・・。
すぐに警察に電話をした。
チョ「もしもし、駐禁のシールが貼ってあって、11時35分まで云々とあるけど、まだ30分前だよ!なんだ!これ!!公文書偽造シールだろ!!」と怒って言った。
すると電話口のおまわりさん、、「え~~~っと、電話では良く分かりませんので、そのシールを持ってすぐ本署へ来て下さい」と言う。。
こちらはかなり酒を飲んでいる。。
素直に「ハイ分かりました!」と行ける訳がない。。
結局そのシールを破り捨て駐禁は覚悟し、そのまま車を運転して帰宅した。
(も~、、、メチャクチャをやっていた時代である。。)
それから2週間後、呼び出し通知のハガキが会社宛に届いた。
(車は、会社名義である。そして駐禁のシールを持って出頭しなさい!と書かれていた・・・。シールなどその場で破り捨ててしまい、今ある訳がない。。)
お局に「も~~~本当に!!・・・・。。早く行って来なさいよ!本当に悪人だね・・。。」とたしなめられながら行って来ました本署の交通課へ。
ところが、もう時効になっていると思うが、これにも
これも、続きは後日・・・・。。
himikoねえ様の「続きを早く書け!」にお答えして、
では早速・・・・。
実を言うと事故の折、名刺は持っていたのだが、彼女等に渡さなかった。
一応「代表取締役」と書いてある。
後日変な入れ知恵をされても嫌だな・・・・、、なんて思いがあったからだ。
メモに住所と電話番号を書いて渡して来た。
ところが、、、早速、翌日の午前中、運転をしていた彼女の父親から電話があった。。
落ち着いた渋い声で、「ちょっと話がある・・・・、早速だが今日の4時に家へ来てくれんか・・」との事。
オカマの追突事故と言えば、100対0でこちらの全面敗北。。
しかも、可愛い娘がオカマを掘られた。。
オヤジが一言愚図りたいのだろうな・・・。。
(まぁ、ハイハイ・・と黙って謝るしかないな・・・。)
と思って出掛けた。
彼女の家は、豊川の郊外にある農家だった。
玄関先に立ち、「ごめんください!」と呼んでも暫らくの間反応がない。
もう一度「ごめんくださ~~い!」と呼ぶと、、、、、「ハイ・・・」。
何と昨日の彼女が出て来た。
そしてそして、、、、そのいでたちは、パジャマ姿で、首には大きなコルセットが巻かれていて、歩く姿は、びっこを引いているではないか・・・・。。。
(あっちゃぁ~~~・・・・。。何だ・・・こいつ・・・。。)
昨日のおまわりさんの言葉が、頭の中を巡った。。
(昨日、事故写真を撮った時もバンパーに追突した場所が分からなくって、おまわりさんに「その辺でいいから指を差してよ」と言われ適当な場所に指を差したほどの事故である。軽自動車のバンパーが凹んでないほどの事故だよ!あんた・・・。。)
「少し待ってて!」の言葉に、少しイラ付きながら待つこと10分ほど。
彼女の父親が、畑仕事から帰って来た。
寡黙なオヤジさんだったと記憶する。
チョ「この度は、本当に申し訳ありませんでした・・・。」
オヤジ「うん・・・・。。」
オヤジ「ところで、全面的に修理してくれると言う事でいいのかね・・・?」
チョ「ハイ。追突事故ですのでそれは承知しておりますし、バンパーも交換させていただきます。もうすでに保険会社の方で動いているかと思います。」
オヤジ「。。。。そうかね・・・・。じゃぁ、兎に角車を見てくれ。」
少し離れた場所にある駐車場へ連れて行かれた。
そこで見た、昨日彼女が運転していた車は、、、、
後のガラスは無残に割れていて、それどころか、車の後部分の3分の1程がめり込んでいた。。。
オヤジ「あんたの事故のお陰でこうなった・・・・。」
チョ「え~~~~っ!?・・・・。。。」
続きは、またまた後程・・・・。
(続き)
話の続きはこうである。
「あんたの事故のお陰でこうなった・・・。」
「へっ???」。。。
オヤジ「実を言うと、あんたにぶつけられた後、娘達は医者の診断は明日にしてと思い、そのまま食事に行った。。。 食事も終え、帰宅しようと車をレストランの駐車場から出そうとしたその時、あんたにぶつけられたせいで首が痛くて回らず、そのまま駐車場にある街路灯にぶつかってしまった。。。」
「それでこの結果だ・・・・。」
「あんたの追突がなかったらこんな事にはならなかった筈だから、この修理も全て処理をしてくれ。。 でないと、示談書に判は押さんから、人身事故で刑務所でにも入ってくれ!」
チョコボ「・・・・・・・。。。。」 であった。。
”すべてこちらが悪いです”と言ってしまった以上、急にケツは捲られない。
帰宅後すぐに保険会社に連絡をすると、「へぇ~~~・・そんな事があったんですか!大変でしたね。」と笑って言う。。
冗談じゃぁない! 「頼むよ・・・。」
と言うと、「まぁ、任して下さい。」と軽い返事。
結局、No1の事故があり、その件に付いては、バンパーの交換代金4~5万円と慰謝料5~6万円で10万円強は用意しています。
そして、No2の事故は、因果関係もハッキリしていないし、診断書もNo2の事故が起きた後の物。。そして、それを足したNo3の車の状況がある。
それを全ての修理代35万円を出せ!と言っていますが無理ですよ。
と説得したと言う。
しかし、少し色を付けて15万円の保険金を出します。 と言う事で話が付きましたから。 と報告があった。
そして翌日、、、、その彼女から電話があった。
「もしもし、、、、、もう車は修理に出してしまっているのですが、保険の15万円は良いのですが、慰謝料を含めた残りの残金20万円は、いつ払ってもらえますか?・・・。」
チョ「へっ?・・・・・・」・・・・。。
女性「全部で30万近く掛かってしまいました。保険会社とは関係なく、残金はあなたに払ってもらいますから・・・。」と言い張る。
保険屋に電話しても、相手は「分かりました」と理解を示すそうなのだが、又翌日電話が掛かって来る。。 毎日である・・・・。。
一週間後、このチョコボ、、、ケツを捲る事にした。
「分かった!・・・。では、一緒にもう一度警察に行きましょう」
「警察にその時の事故写真が残っている。そしてあなたが修理に出した時の写真も板金屋さんにあるはずだ! その35万円が妥当かどうか裁判しましょう!」
と初めて大きな声を出した。
ついでに、「あんたね・・・・、、、、警察にあるあのバンパーの写真でここまで愚図ると、保険会社から保険金詐欺で訴えられるよ!それでも良いの? 私は受けて立ちますよ!。。。もちろん私は会社をやっているから顧問弁護士は居るけど(これ嘘!)それでもいいの??・・・・裁判に掛けます??」
とやった。
それ以来彼女からの電話はない・・・・。
ちょっとした被害者が、大きな被害者となってしまった。。
と言う話だったのかな・・・・。。。
それにしても、こんな格好良いパトカーがあるとは・・・。
街でパトカーにすれ違うと何も悪い事も、後めたさもないのに思わず、「あっ!おまわりさん!」と襟を正したくなるのは何故なんだろう・・・。
おまわりさんと言えば、駐禁、シートベルト、接触事故、白バイと、「チョコボVSおまわりさん」と色々なエピソードがある。
まずは接触事故での事。
20年程前の事、、、、夕暮れ時、豊川方面から豊橋駅へ向かう途中、R151で渋滞が起きる。
信号も、5~6信号待たないと交差点を越えられない場所がある。
チョロチョロと走っては待ち。。。
案の定、前の車にコツン!とやってしまった。
(ちょっと目を外してしまったのだが・・・・。)
その車は、軽自動車で、女の子(20歳くらいだろうか・・)が二人乗っていた。
仕事が終わって豊橋のお洒落なレストランへ食事に行く予定との事だった。
バンパーにも何も凹みがなかったのだが、保険の事もあり、とりあえず警察へ行く事にした。
警察の2Fに交通課がある。
カウンターに座ると、中年のおまわりさんが対応にやって来た。
おまわりさんが「どうしたのかね?」と聞く。
「ちょっと事故ったのですが・・・。」
(以下やり取り)
お「どんな事故かね?」
チョ「あの~・・・国道151の下地付近で、豊橋駅へ向かう途中この方達の車に・・・」
お「そんな事は聞いちゃぁおらん! どんな事故か聞いておるんだ!例えば、接触事故だとか、衝突事故だとか・・・。」
(チョコボの頭の中の冷静線がプチ!っと切れる音がした)
チョ「ちょっと待って!!。。。。」
チョ「普通、こういう所へ来て”どんな事故か?”と問われ、状況から説明しようと思うのが一般な人の心情だろう!。。接触事故です、とか衝突事故です、なんて即答出来る国民が一般的なはずがない。。
一から説明しようと思う事が、そんな頭越しに怒られる事か???
それを何だ!そのえばりくさった態度は!、、、それにそんな言葉でここに来た全員が理解してへつらうとでも思っているのか! 何だ!警察と言うのはいつもそんな高飛車な態度で人に接しているのか!」
と噛み付き、まくし立てた・・・・。
その部署に居て、事務処理をしていた他の4~5人のおまわりさん全員が頭を上げた。。
お「まぁまぁ・・・、、、そりゃぁ悪かった。ところで、接触事故でいいのかな?」
態度が一変した。
事故写真を撮り終え、彼女達が病院へ検査に行くと言う事で帰ろうとすると、そのおまわりさんに呼び止められた。
「あのね、あの娘等病院へ行くというけど、一緒に行った方がいいよ。バンパーの傷も分からない程の事故だけど、あの娘等が”首が痛い!”と言えば、医者は全治二週間の診断書を書いてしまう。あんなバンパーの状態で人身事故になるなんてつまらんら?」
「一緒に行って、もし医者が診断書を書きそうになったら、”このバンパーを見て下さい、傷も見当たりませんよ、それでも二週間ですか?”と言ってやりん。そうすりゃぁ人身事故になりゃぁせんで・・。」
と親切に言うではないか・・・。
(へぇ~~・・・あんなに偉そうだったのに、こんなに優しく接してくれるとは・・・)
と思った。
言う通りにしようとも思ったが、実は人を待たしていた。
この事故の事を保険会社に連絡し、後は保険会社にまかせる事にした。
おまわりさんと署内で大喧嘩にならなくて良かったな、言ってみるもんだな・・・・
なんて事を思いながら、その事故は終わったと思っていた。
ところが、ところが、、、後で大騒ぎになったのである。
続きは後日・・・・。
誰でもが知っている「西郷隆盛」。
が、この肖像画は西郷が死んで数年経ってから描かれたもの。
しかも、描いたのはキョッソーネと言うイタリア人。
もちろんキヨッソーネは西郷との面識はないし、西郷の写真も無かった為、弟の西郷従道の輪郭と、従兄弟の大山巌の目が似ていたと言う事で描いたもの。
事実、この肖像画を元に高村光雲によって造られた、上野にある西郷さんの銅像の除幕式に立ち会った奥さんの「西郷いと」さんは、「あの人は、こげな人じゃなか・・・。」 とつぶやいたと言う話が伝わっている。
西郷が上京する折、泊まった宿屋の主人が西郷の顔相をこと細かく書いて残していた。
それには、”耳の形は福耳で、耳の中の折れなどのくぼみが無く、まるで餅を伸ばしたような形をしている。そして目は、まるで黒ダイヤのように大きく、引きこまれるようであった”と書いてあると言う。
そして、右の写真の右から2人目の座った人物、これが西郷ではないか、、と言う説がある。
右端に立っているのが「伊藤俊輔(後の伊藤博文)」。一番左に座っているのが「大久保利通」。
この写真は、薩長同盟が交わされた直後の写真なのだそうな。
専門家が検証した所、耳は福耳で間違いがない。 目が、聞いている西郷の目と違うように思われるが、これは、目をつむった状態での写真であって、目を見開いた時の状態は、かなり大きな目であると言える。 と・・・・。
確かに、薩長同盟の写真であれば西郷がいない方が不自然だろう。
しかし、伊藤博文、大久保利通である事が確認出来たなら、裏書にでも、言い伝えでも西郷の名が伝わっていても不思議ではない。
当時、”これが西郷だ”などと言う事は誰も言っていない。。
想像しているのは、我々現代の人間達である。
坂本竜馬は何枚もの写真を残している。
徳川慶喜にいたっては数十枚の写真があるし、晩年の慶喜を含めれば100枚を越えるだろう。
当時の明治政府の閣僚全員が、西郷本人を知っている。
しかし、銅像にしても、肖像画にしても、誰も「そっくりだ!」とか「これは違うな・・・。」と発した人物はいない。
明治維新に活躍した人物のほとんどが、写真なり、似顔絵と言うか、肖像画を生前に残している。
誰か一人くらい西郷の似顔絵を描いて残していても不思議ではないはずなのにそれも無い。。
本当の「西郷隆盛」。。。
益々謎が深まるばかりである。
だから歴史は面白い。
先日、購入したと書いたビアサーバー、
早速使う機会がやって来た。
まずは、キリンビールの営業さんに手配してもらった部品を装着。
そうなれば、本当に作動するかどうかを確かめたいのが心情。。
知人の酒屋でガスボンベと7Lのビア樽を手配。
我が家で生ビールパーティを開催する。
冷えていて「おいし~~~い!」 O(≧∇≦)O
そして、一昨日の日曜日、再来週に開催される町内の盆踊り大会の打ち合わせがあった。
その会合が終わった後、有志10人程で15L樽のビールを飲む。
みんな「こりゃぁいいわ!」と大絶賛。
缶ビールも良いが、これと比べると天と地の差。。
当初、半分半分の量で対処する予定だったが、生ビールをメインに供給する事で決定。
予定より早い時間で終わってしまいそうだが、、、
餅投げを開催するなど、年々多くの方がこの盆踊りに集まってくれている。
今年も、より多くの方が集まってくれたら良いのだが・・・・。
あまりの暑さに、今では普段食べないカキ氷を思い出した。
幼少の頃、母親と豊橋の町へ出てくると、お亀堂という甘味処へ行くのが楽しみだった。
今でもあると思うが、大きなこけしが目印の寿司屋で昼食を取り(店の前に立つと美味しそうな海苔の香りがプ~ンと漂った) その後、デザートとして街中にあるこのお亀堂へ行く。
確か、ビアジョッキに一杯のカキ氷が入っており、上からアイスクリーム、練乳、あずき、そしてほろ苦くまったりとした宇治茶のシロップがたっぷりと掛けられていた。長いスプーンで、そのカキ氷を得意気に食べたのを思い出す。
何故だか、いつも母親の手を握っている幼い自分の記憶がよみがえる。。
しかし、実際思い出す母の顔は、元気だった母親の顔より病床で元気の無い、ものも言えなくなっている母親の顔である。。
又お盆がやって来る。
今年は何と言って迎えてあげようかな・・・・。
一週間前にギックリ腰を患ってしまった。。
週初めに多くの荷物が入って来ることがある。
本来パレットに積んでもらい、それをコロで倉庫へ運ぶのだが、配達のお兄さんが違うと、俗に言うコロ付きの台車へドカンと積んである事がある。
倉庫から車まで荷物を運ぶのに必要なその台車全部が荷物で一杯になっていた。
仕方が無いので台車から荷物を下ろし、パレットに積み替えることにする。
一つ一つ丁寧に扱えば良かったのだが、ハスの格好で運び始めたから腰に違和感が・・・・。
積み終えると、ドヨ~~~ンと腰に変な痛みがある。。
そのまま配達へ出掛け昼過ぎに帰ると、、立っていられない。
いつも行く電気針治療の整体院は水曜休み。。
結局湿布で治療したのだが、週末には大分楽になっていた。
が、、、昨晩椅子に座っていると、痛みが。。。
困ったなぁ~~・・・・。
仕事もはかどらない、遊びも出来ない・・・。
「腰」・・・・体の要。
よく言ったもんだ・・・。
歩く姿を見て、お局、「いやぁ~だ。。・・・まるっとおじいちゃんだよ。。」
だと・・・・。。。
早く直して、まだまだシャキっとしている所を見せなきゃ・・・・。。
梅雨が明けたと思ったら、連日35度を越える猛暑。。
この暑さに、日頃元気の良いアンコも、さすがにダウン・・・。
「あんた、女の子なんだから・・・」と言ってお腹をポンポンと叩くと、背伸びをして余計にお腹を突き出す。。
しかし、、夜は相変わらず元気がいい。。
先日も夜中に起きてしまい、2階に上がると薄暗い光の中でアンコが居間でキョロキョロしている。
電気を付けると、全長15cm程のコウモリが居間を飛び回っていた。。
もぉ~~・・・・。
外で捕獲して、そのまま遊ぶなり、調理するなりしてくれればいいものを、わざわざ無傷の状態で咥えて来て、居間で離すから性質が悪い・・・・。。
天井すれすれを飛び回るコウモリを”捕って!”と言うかのように「ニャァ~オ」と鳴く。
バスタオルで落としてやり、そのまま自分の部屋へ戻った。
朝方、、お局が大声で何か叫んでいた。
アンコが遊び疲れて放置したコウモリを見つけたのだろう・・・。
当のアンコは涼を求め、倉庫の隅に積んであるダンボールの上でスヤスヤと眠っていた。
「あのねアンコさん・・・・もうお土産はいらないからね・・・・。。」
先土曜日は、豊橋祇園祭の打ち上げ花火の日。
ここ数年は、家のベランダから見える花火で我慢している。
10年程前までは桟敷を買い、家族&友人数人と寝転びながら頭上に広がる花火を堪能していた。
心臓に響く花火の音、目の前に広がる花火をツマミに飲むビールの美味さ・・・。
その楽しさの反面、終わった後の足取りの重さは・・・。
千鳥足でゴザ、ビールクーラーなどを抱えて帰る時の面倒臭さ。。。
トイレは、どの仮設トイレも行列。。。
本来面倒臭がりのチョコボ、街へ出掛ける時の渋滞にも我慢出来ず、結局遠目から見る事で納得。
来週は、隣町の夏祭りで打ち上げ花火が上げる。
2~300m程の距離にある中学校の校庭で打ち上げるのだが、その花火が居間の正面に広がる。
友人家族を招いて、座って見る花火は、、やっぱり最高!
さぁ、夏がやって来た!
今年の夏も暑くなりそうだ。。。
6月のサッカー・ワールドカップに続き、今回は全英オープンゴルフ。
CSテレビでは、夕方5時から朝方4時まで生放送している。
マスターズとか全米オープンの放送などアメリカでの試合は、時差の関係上、朝5時頃から始まる。これは朝少し早めに起きれば何の問題もないのだが、イギリスだと丁度真夜中に始まる時差となる。
ビデオで録画し、後で良い所だけ見ようと思って録画ボタンを押すと、放映時間のスパンがあまりに長い為、「録画出来ません」との表示になってしまった・・・。。
仕方が無いので遼くんの放送を生で応援する事にする。
ところが、やっぱり、、、CSの放送もAM4:00まで。。
結局最後の4~5ホールは見られなかった。
あ~~~眠い・・・・。。
全英オープンゴルフと言えば、以前長嶋茂雄がレポーターをやっていた時期があった。
東京のスタジオと中継するのだが、長島が映っているカメラの前を日本人応援団が行き来している。
きっとディレクターが「どいて!」とか「しゃがんで!」とか、その人達に合図したのだろう。
その合図が自分に向けられたと勘違いした長島が、しゃべっている最中にしゃがみ込んでしまった。。
スタジオでは「長島さん!長島さん!!」と呼んでいる。
その光景を見ていたチョコボ、後で状況を聞いて大笑いしたな~~
今では中々聞かれなくなってしまった面白伝説。
いいねぇ~~長嶋茂雄。
YAHOOオークションでこの「ビアサーバー」を購入した。
以前にも、町内会で、個人でと3~4回レンタルした事があった。
この夏以降、町内会で盆踊り大会を含め、打ち上げ、慰労会、各会の忘年会、祝賀会等々、福祉会館へ集まって一杯飲む事が7~8回ある。
結局、役員で協議した結果、このビアサーバーを町内会で購入することにした。
去年までは、缶ビール十数ケースを我が社の業務用冷蔵庫で冷しておき、現場で、同じく業務用冷凍庫で作っておいた数十キロの氷の塊りで冷していた。
それを、盆踊り大会に遊びに来てくださった方に振舞うのである。
限りなく0度に近く、それは美味しいビールだった。
しかし、、、、中には、そのビールを家族全員が一人一人何度も持ちに来て、その数本をちゃっかりと持ち帰る人もいる。。。
特別罪になるような事とは思わないが、そのビール十本程入った袋を家族全員で持ち帰る姿を見てしまった時には、何かしら嫌な思いがした。
そういう時に限って、少し遅れてきた方には、もうビールが無い・・・。という状況になる。
今年は、この生ビールと缶ビールの二手で振舞う事に決定。(缶ビールは、渡す時にプルトップを開けて渡すそうだ)
但し、購入したのは良いが、接続の部品&ホースが付いてなかった・・・。
息子に頼み(息子の店はキリンビールと提携していて、ライブハウスのユニフォームにもロゴが入っている)メーカーに取り寄せて貰い、後はセットするだけにしてもらった。(しかも、専用の洗浄道具まで付けてくれた)
今年は、このビアサーバーが活躍しそうだな・・・。
先日、料理をしている時、この味の素をサッサと振りながらふと思った。
そう言えば、もう数十年前の話になるだろうか、、、、。
「味の素」と言えば、もうどこの家庭でも常備品としてキッチンにはあるはずである。
この「味の素」が発売された時には、それはそれは、恐ろしいほどの勢いで売れたと言う。
しかし、一度常備品になってしまうと、新規としての売り上げが滞ってしまう。
無くなったら買い換える、と言う程度になる。
味の素の販売会議でこの売り上げ増の事が議題になった。
”キャンペーンを打って販促を掛けよう”とか、”新しい高級材料で新商品を”との意見が出たと言う。
そりゃそうだ、、、、我々にとっても頭の痛い永遠のテーマである。
すると、ある営業マンがこう言った。「どこの家庭でも味の素を掛ける回数は、2~3回です。これを4~5回に・・・・と言うのはきっと無理な話でしょう。」
「掛ける回数が変らないのなら、この穴の大きさを1,2倍にしたらどうでしょうか? 単純な話ですが、2割の売り上げ増になりませんか・・・。」と・・・。
そして、この営業マンの案が採用され、本当に味の素の売り上げが2割増になったと言う。
この営業マン、後の社長だそうな。
今、黄色い帽子をかぶり、ランドセルを背負って通学している小学生児達の中にも、あと20年程経ち、”あ~~~・・・そうか!そんな事が商売になるんだ!”
と思わせるような、2世3世ではない大実業家が存在している。
口惜しい事に、我々凡人はそれに気が付かない。。
やはり、人は、「何を言ったか」、、、では無く、「何をしたか」が評価の対象で良いと思う。