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玄関アプローチに咲いたクリスマスローズ。
このブログを始めた頃に、”もし、水害であなたが一人丘の上に助かり、人々が流れて来る。 その時に一本の竹竿を持っていて、一人だけ助ける事が出来る。
二人助けようとすると、その竿は折れて、二人とも流されてしまう。 あなたは誰を助けますか?”
のような記事を書いたことがある。
一人安全な丘へ泳ぎ着いた所、妻が、(又は旦那さんが)母が、父が、そして子ども達が流されて来る・・・。
そして、たった一人だけ・・・・。
チョコボの友達に聞いてみた。
奥さんとは喧嘩別れのようにして離婚した。故にこれは問題外。
彼には、長男と3人の娘がいる。
即答で、「長男!」と答えた。
チョコボは即答出来なかった。。
でも、やはり、、、お局を当たり前のように助けるだろう・・・。
(これは、それぞれ人が過ごして来た経年にもよるのだろうが・・・。)
究極の選択。
一ヶ月前、実際にこんな場面を目の当たりにした方がいたのだろう・・・
と思うだけで、心が痛む・・・・。
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昨日、仕事から帰るとダイニングに沢山のクレソン。
水炊きを食べる時に、白菜や水菜の代わりにクレソンが合う。と以前ブログに書いた。
もちろん、ステーキなどの肉料理には欠かせない緑物。
何でも、お局の知人のお姉さんが、水耕栽培で育てているのだとか。
以前、お局がクレソンが好きと言ったのを覚えていたらしく、持って来てくれたそうだ・・・。
但し、このクレソン、、2~3日経つと葉の部分の変色が始まる。。
我が家で食べるには、小さなコップに挿してある量で充分。。
何でも、水耕栽培なので、そのまま挿しておけば根が出て栽培出来るし、変色もないのだとか・・・。
さてさて、どうなる事やら。。
我が家の明日の夕食、きっと水炊きだろうな・・・・。。
先週末、個人的なお願いがあり、旧知の開業医の所へ行った。
お互い学生だった頃からの付き合いだから、もう40年になるのだろう・・。
お願いも快く受けてくれたが、「お前なぁ・・・検査しとらんだろう、、、はい!早速採血!」と言って無理矢理採血させられた。。
「結果は来週な!」と言って、「絶対に悪い所を見つけてやるからな・・・。」とニヤリと笑う。。
今週初め、お局が行くと、もう結果は来ていたようで、「まぁ思ったより良いけど、中性脂肪が基準値の4倍、γGTPが10~47の所、85。 糖尿病ね。 明日からビール一本、焼酎1杯で我慢して、1ヶ月後に再検査ね。 あいつに言っておいて。 まぁ、あいつの事だから守らんとは思うけど・・・。」と言われたそうだ。
(先生、、よくご存知で・・・。)
今から10年程前、風邪を引いたのか夜中に咳が止まらない事があった。
夜中の3時頃になると決まって咳き込んで、息が出来ずにそのまま死んでしまうのではないか・・・と言う程の咳が出た事があった。
一週間ほどして、一向に良くならず、呼吸器官系の医者へ行った。
当日、早速レントゲンを撮り診察してもらったのだが、先生、、開口一番「無理をしましたねぇ・・・。」と言うではないか。。
「えっ!・・・・肺癌ですか?・・・。」と聞くと、「イヤ・・・詳しく検査しないと分かりませんが、とにかく、このレントゲンの肺・・・・真っ白でしょ・・・。」と言う。
確かに、見せてもらったレントゲン写真に写っている肺は、真っ白だった。。
意気消沈して家へ帰ったのを覚えている。
(俺の人生は50年だったのか・・・と。)
3日後、検査の結果を聞きに行った。
今度は大先生(兄弟で医院を経営されていてた。)の診察&報告を受けた。
「癌ではなかったですね。。 え~っと、、マイコプラズマ肺炎と言う肺炎です。入院しなくても通院で治せますから、今日は点滴をしておきましょう・・。」と言う事であった。
少しホッとした。
翌日、いつも行く居酒屋へ行き、その話をした。(そこのママ、若い頃看護婦さんだったのだ)
病名が出て来ず、「え~っと・・・何とか肺炎。って言われたな。。通院で治るんだって」と言うと、そのママ、「ひょっとして、マイコプラズマ?」と聞く。
「そう!その肺炎!! で、やっぱり知ってるんだ。」と言うと、怪訝そうな顔をする。
「何?何でそんな顔?」と聞くと、 「うん・・・・。マイコプラズマ肺炎ってね、子どもがかかる肺炎じゃんねぇ・・・」と言う。。
チョコボ、「はぁぁ~~?・・・。」であった。
翌日からは病院へ行かず、貰った薬だけ飲んで、いつもの放埓な生活に戻ったのは、言うまでもない。。
110号(110週間)掛けて出来上がった「安土城」。
城内の部屋は元より、細部に至るまで装飾品で飾られている。
例えば、各部屋の襖の豪華さや畳の細かさ、階段に至っても漆が塗られていて、忠実に再現されている。
半分に開くのだが、各階も一階ずつ外す事が出来、天井からその緻密さを見る事が出来る。
お局に「ここがね、こうなっていて・・・・」と説明しても、「ふ~~~ん・・・。」とまったく興味がなさそう。。
(そう言えば、お城見学に行っても「何で私がこんな所を歩いてなきゃぁいけないのよ・・・。」とブツブツ言ってたなぁ・・・・。)
出来上がるまでは楽しみで、出来上がったら「出来た!!」で感激なのだが、一度見てしまうと、ただの城の置物・・・・。。
祭りの後の淋しさ・・・ってこんな感じだったっけ・・・・。。
チョコボ4歳の頃。息子4歳の頃。
56年前と、30年前・・・。
左上に「30,5」とある。
昭和30年5月。丁度チョコボが4歳を迎えた頃だろう。
この写真を撮った時の、うっすらとした記憶が残っている。
豊川の実家の前に飯田線が走っている。
そこに踏切があり、当時は手動でバーを上下させていた。
そこに”踏み切り小屋”と呼ばれる、小さな詰め所があり、そこのおじさんが(当時まだ24~5歳だったのだろうか・・・。)撮ってくれた覚えがある。
昼間、日向ぼっこと、おやつ代わりにリンゴをかじっていると、「ボク、一枚撮ってやるよ」と声を掛けられた。と記憶している。
息子の写真は、どこかへ出掛けたときのものだろう。
やはり、シャイな感じは幼少の頃から変わらないものなのだと、改めて感じた一枚。
あと20日足らずで結婚式。
式の最後に父親のスピーチがある。
短い簡単な挨拶くらいどうって事はないし、安堵感の方が強いのだろうと思っていた。
しかし、こんな写真をスライドで見せられ、成長の過程を思い出し、「ありがとうございました。。」なんて言われたら、涙もろいチョコボの事、、、、言葉にならないのかも知れない。。
(花嫁の父だったら号泣だろうな・・・。。)
そう、、、、我々にも、幸せな時があったのです。
それはチョコボが、まだ4歳だった頃・・・。
28、29日と行って来ました。神戸、相生、大阪へ。
但し、今回は観光ではなく、義母と神戸と大阪にある治療機関を見学する為の旅。
故にほとんど観光はなく、電車の乗り継ぎも少なめにし、移動はもっぱらタクシー。
どうせ関西へ行くなら・・・。
と言う事で、有馬温泉へ一泊旅行を決行した次第。
ネットの旅上撰で見つけた旅館がここだった。
新神戸から有馬温泉までタクシーで7,000円程。
タクシーの運転手さんに聞いたところ、有馬温泉ではかなり有名な旅館だとか。
何でも、12歳未満のお子さんはお断りなのだそうだ・・・・。
それに追従する旅館も増えたらしいが、最初の決断はいかがだったのだろうか・・・。
あえてその是非は書かないでおこう。。
玄関を入ると、築山が広がる。
ロービーは、その池と繋がっており池の鯉が来客を出迎える。
館内には貸切の露天風呂が設置してあり、思わず入ってみたくなるような造り。。
(チョコボは、お局にあっさりと却下・・・。。)
料理も工夫を凝らしてあり、量も年寄りには多いくらい。
後で料理をアップします。
以前アップした「長野時計店」のCM。
http://www.youtube.com/watch?v=9ND9zq3AQHs&feature=related
改めて見てみた。
今必要な事は、やはり皆で力を合わせる事なのだろう。
山本太郎が言っていた。
「頑張れ!」なんて言いません。
「どうぞ、甘えて下さい! 僕達で出来る事なら何でもします」
と・・・。
かりそめの 人の情けに身に沁みて 涙流すも 老いの始めや
来週の月、火と急遽有馬温泉に行く事となった。
泊まる旅館は、「中の坊瑞苑」
http://www.zuien.jp/relaxation/index.html
但し今回は、いつも一緒に行く友人夫婦とではなく、大局と3人。
神戸へ連れて行きたいところがあり、それを兼ねての旅行。
本当は、親子水入らずの旅が良いのだろうが、旅先案内人として(ただの添乗員か・・・。)行って来る。
さぁ、どんな旅になるのやら・・・。。
昨日の事、仕事で通った豊川の土手で老夫婦が車を停め土筆を採っていた。
そう言えば、子供の頃、母と土筆を採りに行ったなぁ~、と昔を思い出していた。
ビニール袋一杯の土筆を抱え家に帰り、2~3日すると、土筆の佃煮が食卓に上がっていた・・・・。
思わず、「えっ!・・・」と絶句した。。
後にも先にも、土筆の煮物を食べたのは、この時だけだと思う。
父、母、姉は毎年食べていたのだろうか・・・?
秋になり稲穂が垂れる頃、学校から帰ると母から日本手拭いを縫い合わせ、竹を口にした袋を持たされた。
家の前に一面に広がる田んぼにいるイナゴを捕るのである。
稲穂に付いているイナゴをヒョイと摘まみ上げ、竹の口から押し込み、袋が一杯になるまで捕るのだ。
やはり2~3日経つと、、イナゴの佃煮が食卓に上がった。
今は食べられるが、その時口にしたかどうか、記憶にない。。
以前、お局にその話をした。
「え~~~っ!・・・バッタを食べてたの?」と絶句した。
(おいおい・・・同じくらいの年代だろ・・・。。人を田舎人みたいに言うな・・・。)
20年程前、我が家の愛犬クッキーが秋に妊娠した。
通例の散歩に出掛けたお局、クッキーが、稲に潜むイナゴを見つけパクリとやったらしい。
衝撃的な出来事だったそうである。
まさか・・・。と思い、イナゴを捕まえクッキーの口に持って行くと、パクリと食べたそうだ。
殿様バッタやらショウジョウバッタも居るが、見向きもせず、ひたすらイナゴだけを食べたそうである。
そして、出産後の散歩時には、見向きもしなかったそうだ。
「誰も教えていないのに、すごいねぇ~~。。タンパク源って事を知っているんだね・・・。」と感心しきりだった。
それ以来、「チョコボ家にはイナゴの佃煮が・・・」と言っても、白い目で見ることはなくなった。。
イナゴと殿様バッタ。 ナマコとウミウシ。。
誰がこの差を見つけたのだろうか・・・・。。
旅行、時間、車、ゆとり・・・
色々とまだ欲しい物がある。
以前にも書いたが、
「おもちゃ屋の前に立ち、あれもイヤ、これもイヤ。 では何が良いのだと問われ、空に浮かぶお月様を指差す子どもに相似たり。」
と自分を揶揄した。
子どもだからまだ可愛いし、お月様だからポエムの世界である。
チョコボ、、、あれもイヤ、これもイヤ。と言って、隣にある10万円のオモチャを指差し、これがが欲しい。と言うからたちが悪い。。
もしくは、知人の母親が子どもの為に手作りで作った洋服を遠めに見て、「あれでなきゃイヤだ!」と愚図っているようなもの・・・。
自分は何万円もの洋服を与えられ着ていたとしても・・。
人の持っている物を欲しがってはいけない。。
何度思っても、実行出来ない言葉、、、
「節度を保つ事。節度を保つ事・・・。」
東北地震の復興が日々進んでいる。
義援金詐欺、窃盗等被害報道がされている。
驚いたのは、火事場泥棒、墓場泥棒ならぬ遺品泥棒。。
2~3日経つと被害現場にはロープが張られ入れなくなる。
その前に(事故寸前)遺体に近付き、身に付けていた財布、時計などの貴金属を盗む輩がいた。と言うのだ。
確かに、外出中、もしくは逃げる途中には財布を持って逃げただろう・・・。
呆れてものが言えない。。
確かに、ピラミッドやら、江戸時代に入り放置された豊臣秀吉の墓などが荒らされたと言う事実があるから、死者に対し敬意を持たないふとどき者が居る事は否めない。
こんな輩は、撃ち殺しても良い。と言う法律でも作れば良いと思う。
一番腹が立った、クソ泥棒事件・・・。。
たけしにまつわるいい話は沢山ある。
以前にも、トカちゃんが燃え盛るセットの城に飛び込んで行った話とか、弟子の水道橋らの祝儀の話を書いた。
この間見つけた良い話。
アナウンサーの逸見政孝さんが亡くなった時、
たけしが葬儀で子供みたいにしゃくり上げて泣いてるの見て驚いた。
もう中継されてるのが可哀想な位の泣きっぷりで、ずっと小声で、「マーちゃん(逸見氏)、早く来てあげられなくてゴメンね…ゴメンね…」と泣きながら繰り返してた。
まったくタイプも歩んできた道も違う二人だけど、
番組内(平成教育委員会)だけでなく、ほんとに仲が良かったんだなぁともらい泣きした。
そして、平成教育委員会最終回の収録終了後、たけしに花束が送られたが、その時「逸見ごめんなぁ、俺だけこんなの貰って」と号泣。
その他に、弟子のつまみ枝豆が大阪の番組に出た時、鶴瓶がもの凄く気を使って接待してくれた。
「何でオレなんかにこんなに良くしてくれるんですか?」と聞いたところ、
鶴瓶は、「昔、ワイが東京進出で失敗した時、テレビ局のプロデューサーに『おい!鶴瓶をこのまま大阪へ帰すつもりか!』と怒鳴ってくれた。あれが、東京で一番嬉しかった事や・・・」と答えたらしい。
「笑っていいとも」へゲスト出演した時に、ゲストが誰だか当てるコーナーで、鶴瓶が、「天才!」と言うヒントを出すと、タモリが即座に、「たけチャン!」と答えた場面があった。
この3人の絡みが絶妙だなと思った事があった。
人はやはり、、、才能を持って生まれて来る人間と、そうでない人間がいる。。
サンドイッチマンの二人が、地震の際、仙台気仙沼にてライブを行なう予定だった所、奇跡的に避難して助かった事が取り上げられている。
被災者の方へ支援活動をする事が、ある方のブログにも、今日の新聞にも取り上げられていた。
そして、2chでも・・・。
伊達はブログに寄せられたコメント全てに目を通したと言い
「希望の光が見えて来たっていうコメントもあります。”救援物質が届かない…”。”まだ孤立している… ”。”まったく報道されない… ”。”都内に住む人達の態度がけしからん…”。 沢山のコメントがあります。僕はいま東京にいますが、都内も地震が凄く多いです。
かなり揺れる回数があります。地震にほぼ免疫のない東京で、みんな危機感を感じています」とした上で、
冒頭の買い占めに対する見解を述べた。
さらに「沢山の食べ物を作っている工場が計画停電により機能しない状況とか。
みんな、仕事なんて休んで大切な人達と一緒にいたい。でも、誰かが働かないと救援物質だって作れません。
放射能を浴びる事を覚悟して、福島原発の現場で修理をしている東京電力の方々や自衛隊の方々。彼らにも家族がいます。
だから、誰かを批判したり非難するのは良くありません」とし、現地で懸命に復旧活動を続ける人々がいると伝えた。
避難所に待避している人々は「大丈夫!」を合言葉に頑張っていると言い、
「人間は1人だと非力です。でも団結すれば最強です! 自分より酷い状況の人達がいるって常に考えて下さい。
この寒い中、水に浸かりながら助けを求めている人がいるって考えて下さい。
食料を買い占めたり出来ないはずです。頑張りましょう!俺達は強いぞ!『大丈夫!』『大丈夫だ!』」と呼びかけている。
の記事に、「頑張れ!」の声援の中に「卑怯者!」とか、「一人だ逃げ出しゃがって」とかの誹謗・中傷が見られる。。
まぁ、それが2chだと言えばそうなのだが、こんな輩はどこに行ったって居る。。
こんな輩に腹を立てる前に、我々に出来る事を真剣に考えよう。
昨晩も冷え込んだようだ。
毛布しかない避難生活。
今は、声援しか送れない。
「がんばれ!もう少しだよ!!」