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左の絵は、フェルメールの代表作「真珠の耳飾りの女」。
先日、テレビの特番でこの絵を写真家の篠山紀信が写真家の目から見た光と影の感性を語っていた。
その時に、この少女の付けている真珠の耳飾りは、この時代にはなく、実際にはもっと小さな真珠しかなかった。と語っていた。
このサイズの真珠が出来たのは、伊勢の英虞湾にある養殖所でこのサイズの養殖に成功してからだと言う。。
そしてフェルメールは、この絵にはこの大きさの真珠の耳飾りしか似合わない。と考えたのだろう。
今思えば、すごい発想力である。
そして番組では、この真珠の耳飾りを当時あった大きさの真珠にCGで入れ替え見せていた。
確かにピンと来ないし、この真珠一つで絵の出来栄えが違って見えるから不思議である。
先日、アナウンサーの「田中みな美」嬢の写真をネットで検索していた。
彼女の耳に大きく飾られているイヤリング・・・。
このイヤリングが、あるかないかで彼女の印象が違って見える。。
男性陣にとっては、あまり興味のないイヤリング。
あるなしでこんなんに違って見えるとは・・・・。。
女性の化粧と一緒で、女性としての魅力として不可欠なものとなっている事を実感した日・・・。。
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先月の秋分の日、いつも豊川へ行く道を運転していると、「そう言えばねぇ、最近彼岸花って見かけなくなったよね。」と隣りの席に座っているお局が言う。
あ~~、、、そう言えば、この時期になると決まって田んぼのあぜ道やらそこら辺りの道端に咲き誇っていた彼岸花が見当たらない。
インフラ整備と言う名の経年変化なのだろうか・・・・。と思っていた。
子供の頃に決まって遊んでいた稲刈り後の田んぼ。
赤とんぼと彼岸花を見ると、秋の訪れを実感したもんだ・・・。
先週、いつも通る道を走っていると、前方に赤い花のかたまりが見える。
近付いてみると、真っ赤に咲いた満開の彼岸花だ。。
あれっ!?・・・・先週哀愁に浸っていたのは、まだ開花していなかった彼岸花の蕾を、そこらにある草にしか見ていなかったせいなんだ・・・・。。
彼岸花の密集する裏道を通り抜け、子供の頃に感じた秋を見つけ、何だかふと嬉しくなったチョコボだった・・・。
昨日の遼くん、スコアカードの印刷通り。
Noバーディ、Noボギー・・・・。
遼くんにしては珍しい。きっとプロ入りして初めての事ではないだろうか・・・。
優勝は無理だろうがトップ10目指して頑張って欲しいな。
さてさて、観戦に行った予選2日目の事。
非常識な夫婦の事を書いたが、その後昼食時に一緒に行った方々とクラブハウスで合流。
いつもお世話になっている先輩と、今年から女子のアジアンツアー開催に参加した「夢屋」の実行委員の方。 そして東海テレビの営業の方2名。都合5人でクラブハウスの2階にある食堂へ向かった。
ビールと昼食をご馳走になり歓談していると、な・な・なんと!ハーフのプレイを終えた遼くんが、我々のテーブルの隣に座ったではないか・・・。
すぐ横、2mくらいの所に遼くんが居る。 いつもテレビで聞こえて来るあの声で話している。。
横に居た東海テレビの担当者に小声で聞いてみた。
「プレイ中ではないから、写メ撮っても良いのですかね?」と・・・。
すると、「今ね、とってもうるさいのですよ。先日のプロアマ戦の後の懇親会でも、参加者の方に引っ張りまわされて食事も取れない状態でした。 だから、我々(主催者)が配慮してあげないといけないね。と話していたんです。 だから、、隠れて撮るなら我々の居ない所で撮って下さい。」と言われて断念。
まぁ、撮ったところで飾って置く訳ではないし、一時のミーハー感だけだろうな・・・。 なんて思ったら少し恥ずかしかったけどね・・・・。。
そうこうしている内に、東海テレビの常務が同席した。
名刺をいただき雑談していると、その方が豊川の出身だという事が話題に出た。
私も豊川出身ですよ。と言う話から、出身地、出身校の話になったのだが、なんと、中学校&高校も同じ学校だった。。
2学年年上の先輩。。
そして、その方の父親も国鉄マン。
常務から父上の名前を聞かされ、お父さんに聞いてみて下さいと言われて、帰宅後オヤジに確認した所、なんと!オヤジが駅長をしていた時の助役だった方だった。
東海テレビの常務さんか・・・・。
丸っと同じような境遇なのに、えらく差が付いてしまったな・・・。
話が盛り上がり、「まるで兄弟みたいな感覚ですなぁ。」と言われ、来年の再会を約束し、お世話になったお礼に常務が好きだと言う「チャオ」のギフトセットを贈る約束をして来た。
色々と知人が増える。
来年の「中日クラウンズ」も「東海クラッシック」も楽しみだな。
昨日行って来た「東海クラッシック」。
怒れる事一つ。。嬉しかった事一つ。
7時過ぎに家を出て、ゴルフ場に8時半頃到着。
遼くんのスタートは9時10分と言う事で、練習グリーンに行くと、遼くんがパットの練習をしている。
スタートの1番ホールから2番ホールまで遠巻きに付いて回る。
(今日は、ティーショットが引っ掛かり気味。。)
3番のティーショットを見、セパレートされている林を抜けると、6番ホールのグリーンがあった。
グリーンの周りが土手に囲まれていてすり鉢状態になっている。
土手を少し上がり、松の根っ子の少し平らな所に腰を落とした。
グリーン全体が見渡せる。 ここで後続の組(もちろん遼くん目当て・・・。)を待つ事にする。
少しすると、チョコボより少し年配の夫婦がやって来て、チョコボの横にビニールシートを敷き出した。
チョコボの左は、大きな松がありこれ以上は移動出来ない。。
その夫婦、もう少し向こうへ行ってくれ!と言わんばかりにこちらの平らな場所に押し詰めて来る。。
奥さんの座った所は、少し急な斜面になっており、今にもビニールシートがずり落ちそうな位置である。
こちらはこれ以上動けない。 (違う場所へ行けば良いのに・・・。。)と思っていた。
するとその旦那、バックからデジタルカメラを出して、パチリ。 「うん、ここなら良く撮れるね」と言い、構えている。 すると、奥さんの方もカメラを取り出した。。
(しかも、二人ともシャッター音を消音にしてある。)
余程注意してやろうかと思ったが、「おい!」の声が出なかった。。
少しすると、その夫婦、2~3m上の少し平らな場所に移動した。(最初からそこへ行けば良いのに・・・。)
移動する時、旦那の足がチョコボの太ももを蹴った。。
「痛てぇ!!」わざとらしく声を出してやった。
「あっ・・・すんません。。」とポツリ。
(本当に!もう・・・。。)の世界である。
暫らくすると遼くんがやって来た。(前半唯一バーディを取ったホールである)
後ろから「おい!ここは撮影禁止だぞ!しかもカメラなんか持ち込み禁止なんだから!!」と怒鳴る声がした。
振り返ると、その夫婦が、私服のセキュリティに叱られている(後から聞いた話だが、遼くんの組には私服のガードマンが付いているらしい。)
(あ~~~あっ、、、あの馬鹿夫婦・・・・。)の思い。
ざまぁみろ!である。
遼くんの組が行き、次組がグリーンに上がって来た。
多くのギャラリーも過ぎて行ったし、チョコボも移動しようかな・・・
と思って立ち上がると、後ろに座っていたその馬鹿夫婦、又カメラを取り出しシャッターを押している。。
しかもファインダーを覗かず、人に気付かれぬように膝にカメラを当て遠目からピンとを合わせて撮っているのだ・・・・。
(音がしないから良いと思っているのだろうか・・・。)
もう呆れてしまった。。 本当に非常識な奴っているよな・・・。
そして嬉しかったクラブハウスでの昼食、、長くなりそうなので続きは又後日。
火曜日、伊良湖CCでのプレーを終え、用事のある息子を一人帰し、悪友3人と久し振りの反省会と称する飲み会。
ゴルフ場からの帰り道、どこへ行こうか?あそこに行こう!、いやここへ行こう!と・・・。
結局、3ヶ月ぶりの「飛騨路」へ行く事に決定。
ここの料理は、チョコボの口に合っている。
しかも、大好物の「ヘボ」が食べられる。(瓶で買うと持て余してしまうのです・・・。。)
刺身、焼物、飛騨牛のタタキ&朴葉味噌焼ステーキ、そして名物のドジョウ。。
少し前なら、「さぁ!次はどこへ行く?」から始まり、午前様になるまで飲んだものだが、8時前にはお開き。
火曜日の疲れが、昨日の晩にドッ!とやって来た。
ビールと焼酎一杯飲んだところで急に睡魔が・・・。
早めに就寝。
久し振りに朝まで熟睡。。
朝起きると喉の調子がおかしい。
まいったなぁ・・・・。。
今日も早めの就寝だな。。
昨日、豊川への配達がてら豊川稲荷の前を通ると、境内に続く入り口に「骨董市」の看板が目に入った。
そう言えば、豊川に「B1グルメ」の大会があったはず・・・。と思ったチョコボ、ついでだと思い、「行ってみる?」とお局に聞いてみた。
思っていた通り、「骨董市!??見てみようかな!」と言う。
近くの駐車場に500円払い境内をに入ると、そこには数店の骨董店がポツリポツリ。
「あれ?数えるほどしかないな・・・。」と思っていた。
最初の店にお局の好きな、「蛸唐津焼」のそば猪口があった。
古い焼物ではない為、安価である。。(でも、好みの柄なようだ。)
「他の店も見て、あとで又寄ろうか」と言いその店を後にする。
2~3軒の店を見て、次の店に寄ろうとすると、そこは食べ物屋で、普通の屋台が並んでいる・・・。
何の事はない、、骨董市の出店は4~5店舗だけだったのだ。。
本来、購入して我が家のお気に入りの棚に飾られるはずだった蛸唐津も我が家の茶箪笥に仲間入りせず、そのまま本堂へも行かずUターンして帰って来た。
しかし、、、この近くで「B1グルメ」を開催しているはず・・・。
案内係のおじさんに聞いてみた。
「B1グルメって、、この辺でやってますよね?」と・・・。
「あ~~!やってますよ!え~~~っと、、ここから歩いて30分くらいかな。。車だと、駐車場が無いからやめて、・・・この道を・・・云々・・。」と説明された。
説明された場所はチョコボ、、、意外と詳しい。。
(あ~~~。。そこだったんだ。。)の話。。
歳が歳だけに、歩いてそこまで行く興味&行動力が湧かない。。
結局、断念して10分足らずの、金¥500の駐車金を払い帰宅。
しかし、「もったいないな・・。」の気が起きないから不思議・・・。
配達の途中の500円で貴重な時間を過ごせた気分になったのは、、決して歳のせいではないと思う事にしよう。。。
この3連休、どの道を走ってもアベックやら家族連れの車で賑わっていた。
たまにノロノロ運転のお年寄りの車・・・・。
(我々もそう見られてるのか・・?)
すれ違いのきつい細い道路で、子供やら年寄りが車道に出てきてフラフラしながら自転車を運転している時がある。
運転免許を取得した時の筆記問題を思い出していた。
「左前方に、お年寄りがフラフラしながら運転する自転車がいます。この時どうしたら良いでしょうか」
1、クラクションを鳴らし、後ろに車が来ている事を知らせる。
2、徐行運転をしながら、安全を確認しながら走行する。
答えはもちろん「2」である。
分かっていながら、「1」と答えた記憶がある。
もちろんそのクラクションは、「プップゥ~~!!」ではなく、「プップッ・・・」と言う、「後ろにいるからね・・・。」と言うお知らせ程度のもの。
(普通は、そうだろう・・・。)と思い、間違っている事は承知で引けなかった思いがある。
もちろん、自転車、歩行者に対し威嚇するようなクラクションは鳴らしてはいけません!。が正解。
こんな問題が何問かあり、きりきりの得点で通った記憶がある。
そして、現実。
信号待ちにしても、フラフラ運転の自転車にしても、「プップ~~~!!」と鳴らした覚えはない。
但し、答えが不正解である「プッ!」とは鳴らす。。
試験の通り、ノロノロ運転やら、車道にはみ出す自転車を徐行しながら、クラクションを鳴らさず運転していたら、後ろの車に「プップゥ!~~~」とやられてしまうはず。
(皆、、、不正解じゃないか・・・。。)
市電だってバスだって、電車だって警笛を鳴らして走っている。
公だから良いのだ!って事?
注意!の警笛は必要だと思うのだけれど・・・。
(やっぱ、、不正解か・・・。)
「建前と本音」
なんだか今の政治と一緒で、綺麗ごとばかり言って偉そうにふんぞり返っているのが正しいのだ!と言ってるようで、運転しながら少し笑えて来た。
缶入りの両切りショートピース。
健康被害による禁煙が叫ばれている今、フィルターのないタバコは、もうこれくらいではないのだろうか・・・。
先月、実家へ泊まった時に親父が(やっぱり、ヘビースモーカーなんです。。)このタバコを吸っていた。(メインは、フィルター付きのピースライトを吸っているが。。)
チョコボも学生時代から馴染んだタバコである。
一缶買ってみた。
チョコボが今吸っているのは、タール1mg、ニコチン0,1mgと言う軽いものだが、これは、タール28mg、ニコチン23mgと言う恐ろしく強いタバコである。。
しかし、、、このタバコが美味しい。。
朝の起き掛け、食後の一服など至極な一時なのである。
タバコを缶から取り出し、吸い口の方を机などにトントンと叩き、吸い口の方を固くしてやる。
そうしないと、タバコの葉が口に入ってしまうのだ。
だがさすがに、1日3~4本の頻度にしている。
そして、2~3服すると、パイプで吸う事にしている。
フィルター部分が濡れない事と、やはりタール&ニコチンの数値が気になるからである。。
このパイプ、中に活性炭の入ったフィルターが入っており、交換出来るようになっている。
そして、写真が1日経ったときのフィルター。。
先日、2~3日フィルターを交換しなかった事があった。
フィルターは正に、チョコレート色・・・・。。
こんなのが、肺に溜まっていたら・・・・。。
の思いである。。
うちの親父の喫煙暦は、もう70年になる。
数年前に「すわ!結核か!!」で大騒ぎになったが、何て事はなかった。。誤診だったのである。
(タバコの大嫌いな姉夫婦などは、「良い機会だからタバコは止めなさい!」とオヤジを説得していた)
90歳になるオヤジが今さら止めてもねぇ・・・と思っていたが・・・。
先週、市民病院へオヤジを検診へ連れて行った折、肺のレントゲンを撮ってもらった。
呼吸科、内科(腎臓)、整形外科、皮膚科と診てもらっている。
いつも、病院の先生に、「オヤジも車で言えば、20万Kmを遠に越えたエンジンを載せた車みたいなものですから、どこかにガタが来てますものねぇ・・・。」と言うと、「おっしゃるとおりですね・・・」と苦笑いをする。
肺のレントゲンを前に、「どうですか?肺なんかもう真っ黒でしょ?」と聞くと、「いえいえ、、綺麗なもんですよ」と言う。。
「え~~~~っ!!」であった。。
来年で、数えで言う90歳になる。
同級生も、職場の後輩ももう現存していないであろう。。
(世間で言われるほど我儘ではないし、一人で生活しているからありがたい事なのだが・・・)
親子でありながら、絶対的に違う事、、、、
オヤジは、体に変調をきたすとすぐに病院にかかる。
チョコボ、、ここ数十年で医者に掛かったのは、喰い道楽にバチが当たり、脂の乗った鯖に当たった時の一度だけである。。
薬も、サプリメントも飲んだ事がない。。
それを思うとやっぱりチョコボは、オヤジの歳までは長生きが出来そうにないな・・・。。
トムハンクスとメグライアンのラブロマンス映画「ユー・ゴット・メール」。
(ユー・ガッタ・メール、、、夕方メールと覚えていた記憶がある。。)
10年程前、映画館で見た映画である。
先日BSでの放送があり、録画しておいた。
最後のシーンで、公園で待ち合わせをし、メグライアンが涙ぐみながら「あなたで良かった」のセリフが強く記憶にあった。
やはりいい!
とてもキュートなメグライアンがいた。
同じコンビで何度もリメイクされているチョコボの好きな映画、「めぐり逢い」も見たが、この「ユー・ゴット・メール」と同じ監督だった。
ウォーレンビューティとアネットベニングの「めぐり逢い」も良かったけどね。。
この映画、ラストは、大型本屋とオーナーと、その本屋の進出によって廃業を余儀なくされた小さな絵本屋の店主とのハッピーエンドで終わるのだが、原作は、絵本屋の従業員を裏切り、金持ちになびいた店主に非難が集まり、最後は大型本屋の倒産と同時に彼に裏切られてしまう。。
と言う結末なのだそうな・・・。。
現実には、甘いラブロマンスばかり無いだろうけど、やはり映画のラブロマンスは、ホッとする結末であって欲しいよねぇ・・・・。。
またまた、初丸亀製麺。
もうほとんどの方が行かれた事があるとは思うが、我が家、、、初の丸亀製麺でした。。
行ったのは11時半頃。
もうすでに駐車場は、3分の2が埋っている。
どうってことは無いのに、何故だか緊張する。。
店内に入ると、10人ほどのお客さんが並んでいた。
「ねぇ、どうすればいいの??」とお局が隣りで呟く。
「ん??・・・知らない。。行けば何とかなるら。。」
まるで田舎もんがおのぼりさんしたような会話である。
注文窓口に行くと、大きなメニューの看板がある。
その中から選び、後はトッピングで会計を済ませる。
チョコボは、普通ののかけうどん。
トッピングは、えび天ときす天、お稲荷さん。
お局は、コロを頼んでいた。
料金は、二人で1200円程。
これって安いのかな・・・。。セルフだし。。
うどんは美味しい。
ただ、讃岐うどん特有のコシの強さが際立って、チョコボには少し硬かったかな。。
真夏でも食べたかった「味噌煮込みうどん」、今日は、「親子煮込みうどん」にしよう!
念願の丁子屋で食事をした後、今年国宝に指定された久能山の東照宮に行く事にした。
東照宮は初めてである。すぐふもとにある「日本平動物園」も「イチゴ狩り」も来た事があるのだが、別に家康を崇拝している訳ではないし、何せ、、、、1100段もある石段を登る事を、このチョコボが進んで行く訳が無い。。
今年国宝に指定された、と言う事で最近テレビでこの東照宮を取り上げられる事が多くなった。
知らなかったのだが、海岸から(南側、石垣イチゴで有名な・・・。)東照宮へ行くには、階段を登って行くしかなく、日本平から行くと、ロープウエイが東照宮まで出ているとの事。
ならば、一度登ってみようか・・・・となったのである。。
日本平動物園に続く道は、大渋滞。。
抜け道も無く、ひたすら渋滞緩和を待つ。
一時間ほどの渋滞を抜け、日本平に到着。
が、、、ロープウエイの待ち時間が50分だと・・・。。
遊園地の乗り物&買い物だと、絶対!に並ばない時間。。
しかし、今さら帰る訳にも行かず、大人しく列に並んだ。
日本平から見る駿河湾と石垣イチゴのビニールハウスが並んだ風景の綺麗だった事。。
他の3人を並ばせ、一人フラフラ散策に出掛けた。
50分後、待望のロープウエイ到着。
ロープウエイから下を見ると、ロープウエイの陰が、下の木々に映っていた。
頂上にある家康の廟をお参りし、刀、鎧、書簡等お宝を拝観。
いつも思うことだが、400年も前、機械もない頃によくもまぁこんな建物を造ったものだと感心する。
以前何かの本で読んだ事があったのだが、三代将軍家光が日光に東照宮を移転する時に、まず江戸城から真北に(北斗七星に向かい)線を引き、もう一つの線は、久能山東照宮と不死の山精霊富士山を結び線を引く。
そして、その交わった場所が、今の日光東照宮であると聞いた。
きっと、当時の風水から取り入れた位置関係なのだろうが、徳川の世が260年もの長きに渡って存続し得たのも、この風水(位置関係)によるものかも知れないな・・・。などと関心していた。。
行って来ました。とろろの「丁子屋」へ。
焼津インターを降り、国道一号線を走り、旧鞠子の宿にある「丁子屋」に到着。
旧街道から入ったので、いつも写真で見るような茅葺き屋根の店舗が目に入った。
ところが、駐車場に入ると店舗全体が見渡せるのだが、その大きい事・・・。
確か、鞠子の旧家から屋敷を移築したと聞いていたが、まさか、こんなに大きな店だったとは・・・。
店内は、幾つもの大部屋があり、それぞれの部屋がお客さんで一杯。
チョコボは、刺身、揚げ物などが付いた2500円の定食を頼んだ。
チョコボ以外は、1300円の一般的なセット。
大きなおひつに入った麦飯を茶碗によそうのだが、とろろ御飯の食べ方は、茶碗に少しの麦飯をよそい、多めのとろろを掛け・・・云々 と聞いたことがあった。
でも、、、、お局のよそった御飯は大盛。。
まさか今さら文句も言えず、黙々と完食。
よそ見をしていたら、又大盛の御飯が目の前に置かれていた・・・。。
(え~~っ! いくら何でも・・・。。)
「まだ沢山あるからね。」の声に深呼吸をしながらとろろを流し込む。
チョコボはとろろが好きで、よく作るのだが、自作のとろろよりダシが効いていない感じ。
自然薯の香りを強める為、あえてダシの香りを抑えているのだろうか。
店内の一部が、江戸時代の日用品の展示場になっており、それをグルっと見学。
外へ出ると、汗が吹き出した。。
34℃と表示された車の温度計を見ながら、久能山へ上るべく日本平に向かった。
一昨日の土曜日、嫌がるお局を誘い配達で豊川へ行き、最後に豊橋の植田方面へ行って来た。
バイパスに面して「スシロー」がある。
11時を少し回った帰り道、お局に「入ってみる?」と聞くと、「う~~~ん・・・。そうだね、、一度行ってみる?」と言う。
実は、4~5年前、国道一号線沿いに出来た「かっぱ寿司」へ一度行った事がある。
レーンに乗って出てくる寿司に手が出ず、ビールとまぐろ2皿ほど食べ、それだけで出て来てしまった記憶がある。(やはり、100円は100円か・・・・・との思い。。回転寿司だったら、「魚々丸」か「武蔵」にしか行かない!と決めていた。)
まずマグロの中トロを食べてみた。
ん・・・・? 意外と美味しい。
タイラギも赤エビもある。。
アジも、イカも新鮮で美味しいではないか・・・・。
二人で15皿。
(安!!)
勘定をお願いしカウンターへ行くと、な・な・なんと、もう100人くらいの人が順番を待っている。。
びっくりしたなぁ~~もう!・・・・の世界である(古いか・・・。)
そう言えば、3~4年前に豊川のインターの出入り口近くに出来た「スシロー」に”スシロー渋滞”が出来ていてビックリした覚えがある。。
高級な寿司屋のカウンターで食べる寿司も、たまには良いが常日頃は「スシロー」客で良いかな・・・?
と思った、初スシローの日・・・・・。
以前から気になっていた「とろろの丁子屋」。
安藤広重の東海道五十三次に描かれている静岡「丸子の宿」、この画面に描かれているのが、400年の歴史を持つ「丁子屋」。
http://www.chojiya.info/jp/
今日、大雨でなかったら行ってみようかな・・・。
久能山にも登りたいし・・・・。
一昨日、知人と一緒に浜松にある、シーサイドのショートコースへ行って来た。
再来週、チョコボの友人2人と息子で伊良湖CCへ行く事になった。
まだまだゴルフを始めた息子には負ける訳には行かない。。
打ちっぱなしの練習も良いが、小技は、やっぱり本芝の上に限る。
と言う訳で、2時過ぎより行って来た。
チョコボもゴルフを始めた頃2~3度来た事があったが、なんせ数十年も前の事、、コースのレイアウトなど覚えているはずも無い。。
でも、各ホール、30ヤードから140ヤードくらいまで、27のホールがあり、9ホールづつ、3コースを選べる。
本コースに行けば、「あ~~~あっ・・・。」とか、「ファァ~~~」とかの声を出してばかりだが、ここ、、、安くて面白い。
又、暇を見つけてショートコースで小技を磨いておこう。
ジジイらしく・・・・。。
明治の初期、廃城(取り壊し)になる前の吉田城。
明治新政府の廃城令で取り壊された城が多々ある。
吉田城もその一つ。
元々牛久保城主の「牧野古伯」が作った城(当時は今橋城)であった。
牛久保で生まれ育ち、この「牧野古伯」を祭った「うなごうじ祭り」に小学校から23歳まで皆勤参加していたチョコボとしては、この吉田城は、”オラが村の大将が造ったお城”であり、より身近なステータスシンボルだった。
今川支配から徳川家康に代わり、明治まで藩主は代わって来た。(池田、本多、水野、松平など)
取り壊しの折、本丸は焼けてしまってもう無かったんだよ・・・。と言う話を聞いた事があった。
先日この古写真を見て、何だか嬉しくなった。
今では再建されたコンクリート製の隅櫓がポツリと建っているだけだが、この写真には、立派なお城の体をなしている姿が写っている。
廃城令の基になっている発想が、反政府軍がこれらの城に篭城したりすると堅固な基地になってしまうから・・・と言う理由だったそうだ。。
廃城の難を逃れた城は、頑固な反対論者がいたり、取り壊しに莫大な費用が掛かったりしたために残されたそうである。(その後、ほとんどの城が、空襲やら火災で無くなってしまい、再建された物がほとんどですが・・・。)
最近行っていない城廻り・・・・。
又、マニアの血が騒ぎ出したな・・・・。。
我が家に居る猫の中で、唯一の迷い猫「シロ」。
(不思議な事に、この猫の写真だけが無い・・。よく似た写真を拝借して来た)
もう6年ほど前になるだろうか、隣家の庭先にグッタリと倒れ込んでいる白猫をお局が見つけた。
もう息も絶え絶えで、行き倒れ状態だったと言う。
当時、我が家には、もうすでに4匹の猫が居て、喧嘩をしないようこの白猫を事務所の一角にて介抱した。
一週間ほどすると、事務所のFAX機の上が暖かく気持ちが良かったのだろう、いつもそこにチョコンと座る白猫が居た。
程なく他の猫とも仲良くなり、目出度い事にいつの間にかこの白猫も我が家の一員となっていた。
ただ、この猫だけは年齢不詳で、医者に聞いてもよく分からないとの事。。
牙がないから、きっと歳は行っているのでは・・・。程度の返事だった。
お腹の皮も、タプタプしていたし、きっと10年以上は生きて来たよね・・・などと勝手な想像をしていた。
この猫は、人に飼われていたらしく、隙あらば膝の上に乗ってゴロゴロ言うし、ポテトチップやあられも食べる。
きっと、お年寄りの女性か、もしくは若い女性に飼われていて、何かの理由で置いてきぼりを食らったのだろう。
さすがに子猫の時代を知らない分、チョコボもこの猫を抱いて愛でる事はなかった。
今年の夏、7月に入るとこの白猫の様子がおかしくなった。
部屋の隅でうずくまり、イビキのような寝息を立て、元気がない。。
食欲もなくなり、見る見るうちに痩せて行った。
病院に連れて行き点滴やら、色々な薬で治療をしているのだが、あまり回復した様には見られない。。
お局は、15歳以上用のキャットフードを買って来てスポイトで給餌している。
喉に引っ掛かりがあるんだろうか、苦しそうにゲッゲッと咳をする。
「食べれないと、もう終わりだからね!」とか言いながら朝、昼、晩と定期的に給餌しているようだ。
捨て猫が、いつの間にか我が家の家族になっていた。
生のあるものに終わりがあるのはいつの世でも同じである。
覚悟はしているが、何だかやはり切ない・・・。。
晩年の6年間、うちで過ごした事が、彼の良い思い出となっていれば嬉しいのだが・・・。。
中秋の名月。
よく聞く言葉だが、一体いつの日がそうなのだろうか・・・と疑問に思っていた。
子供の頃から月見は9月の15日がその日だろう・・・と曖昧な感じで捉えていた。
中秋の名月とは、旧暦で8月15日の事を言うのだそうな・・・。
(何それ??の世界である。。)
西暦になって、その「十五夜」(秋の満月です)は毎年日が変わっていると言う。
ちなみに
- 平成19年(2007年) - 09月25日
- 平成20年(2008年) - 09月14日
- 平成21年(2009年) - 10月03日
- 平成22年(2010年) - 09月22日
- 平成23年(2011年) - 09月12日
- 平成24年(2012年) - 09月30日
- 平成25年(2013年) - 09月19日
- 平成26年(2014年) - 09月08日
- 平成27年(2015年) - 09月27日
- 平成28年(2016年) - 09月15日
が、満月の日だそうな・・・。。
今年は、昨日(9月12日)が、その十五夜の月。
(へぇ~~~そうだったんだ。。が本音。)
写真右が、昨日撮った月。
子供の頃、「お月様にはうさぎが居て、餅を~ついているんだって。」と教えられた。
数十年後に、その言葉が、”少し前の人類は、月にうさぎが住んでいると本当に信じていたんですね・・・。”
の都市伝説に代わってはいないだろうか。。
先週の金曜日、親父の面倒を見つつ、その晩は泊まる事にした。
夕方実家へ行き、6時過ぎには夕食の支度を済ませ、以前約束していた地元の同級生3人と飲む事にした。
6時半に友人の奥さんの運転で実家へ迎えに来てもらい、鳥の専門店へ向かった。
4人居る中で、一人は、まるっと下戸。。
もっぱら食べる専門。
チョコボを含めたあとの三人は、お酒大好きばかり・・・。
ビールから始まり、焼酎、冷酒、延々と11時半まで続いた。
数あるツマミを食べた中で、この鶏刺しの美味しかった事。
肝はゴマ油と塩で、ささみ&もも肉は、ショウガ醤油orワサビ醤油で・・・。
もう、絶品!! 又食べに行こう。
翌朝6時前に起床し、そのまま帰宅。
翌日、お茶を何杯飲んだ事やら・・・・。
午前中に豊橋の配達を済ませ、午後より蒲郡へ行く。
帰りの運転の辛かった事・・・・。。
「1~2時間飲もうか・・・。」で始まった飲み会。
延々と5時間も同じ店で飲んでいた。。
次回は本当に2時間だけにしよう・・・・。
チョコボの先輩に面白い社長がいる。
ある時、一方通行の道に入ってしまい、(あらら・・・まいったな。。)と思っていた所、その道の出口にオートバイに乗ったおまわりさんがいたと言うのだ。
照れ笑いを浮かべ、媚びを売りながら運転席の窓を開けると、そのおまわりさん、「お前なぁ・・・一方通行って事知っとんのか!!」と怒って言ったそうだ。
最初は、ニヤケながら窓を開けたそうだが、その一言で社長が切れた。。
「お前?・・・。 何だ!その言い方は!! 誰にでもお前はそんな上から目線の言い方をしてるのか!!」と噛み付いたそうだ。
するとそのおまわりさん、、「まぁまぁ・・・・。。これからは気を付けて運転して下さいね。。」と言い、そのまま立ち去ったと言う。
言ってみるもんだねぇ・・・・。。
その社長、もう十数年位前の話だが、豊橋の明海町にあるアウディの工場の仕事が欲しく、営業に出掛けた。
すると、まずアウディの車を買ってくれと言われた。
どのみち車を買い替えようと思っていた社長、すぐに買い換えた。
目出度くアウディの仕事ももらえたのだが、知人が、「アウディも良いけど、外車は特に電気系統が弱いから、メンテナンスを大切にしないとね・・・。」と言われ、機械音痴の社長、故障したら困ったなぁ・・・。といつも思っていたそうである。
購入して一ヶ月ほど経ったある日、国道一号線の豊川大橋を渡っていた時、急に車が動かなくなってしまった。。 始動エンジンのキィーをひねっても、うんともすんとも言わない。。
すぐにディラーに電話をして「すぐに取りに来い!」と怒鳴りつけた。
「なんだ!この車は・・・・。買ってまだ一ヶ月も経たないのに動かなくなる、、って、ふざけんな!!」と偉い剣幕で怒りまくったそうである。
数十分後、ディラーの整備士がやって来た。
車を確認して一言、「社長、、これ、、、、ガソリンが、空っ欠なんですが・・・・。。」
何の事はない、、、、ガス欠だったのである・・・・。。
その社長、チョコボにその話をしながら、「なぁ・・・思い込みって怖いなぁ・・・。」だそうである。
おまわりさんにしても、その整備士さんにしても、いい迷惑な話ではある。。
毛繕いをする「アンコ」。
台風により4日間も雨模様だった週末、あの雨にも関わらずアンコはいつものようにお出掛け。。
いつもは、夜になると帰っているのだが、その日はどこを探しても帰って来ている様子はない。
いつもいつの間にか帰って来て、お局のベットの中に潜り込んで寝ているのだが、その日は、お局も寝られなかったようである。
夜中に倉庫の定位置(積み上げられた段ボールの上)を見に行ったのだがそこにも居ない。。
あの雨の中、いつ帰って来ても家に入れるようにいつもの通り道を開けておいた。
朝6時、やはり帰って来ていない・・・・。
念の為、倉庫を見てみたが、やはり定位置にいない。。
「アンコ!」と呼んでみた。
な・な・なんと・・・・・段ボールの上でなく、反対側のパレットの中から「ニャ~」と答えるアンコが居た。
もう!、、、、本当に心配したんだから!!
部屋に連れて来ると、食事を済ませ、身繕いをし、又出て行こうとする。(さすがに土砂降りの雨に戸惑い躊躇してましたが・・・。)
お局がポツリと、「この子は、家の中でなく、交通事故で亡くなってしまうかも知れないね・・・。」と。。
困ったなぁ・・・・。
今さらリードを付けて自由を奪う事も出来ないし、、アンコちゃん、少し外出を控えてくれないかな・・・。。