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4月の8日、午後からの花見を終え、行って来ました。 牛久保のうなごうじ祭りに。
一しきり料理を食べ、酒を飲み(と言っても、昼間のお酒が利きすぎてあまり飲めなかったですが・・・。)夜の8時頃から、牛久保の八幡様前で行われる、祭りのクライマックス「三つ車」を見に行って来ました。
写真の「やんよー神」と呼ばれる農民に扮した男達が、最後に八幡様の境内へ入って無事神物を奉納するまでがクライマックス。
所が、行列はすでに7時半頃には八幡様に到着しているのだが、このおじさん達が中々境内に入らない・・・。
町内が違ったので、我々の仲間がこの役をもらった事はないし、(扮する人は、皆おじさんだし・・・。25歳で牛久保を離れてしまったので、同級生がなっても後年の事だろうし・・・)聞いた事はないが、きっと、八幡様の前に来ても、一時間くらいは入らないで下さい。と言う決め事があるのだろう。
(先日も書いたが、一度寝転がったら、誰かに起こしてもらうまで自力では起きてはいけないのです。。)
その人達が鳥居を入ると、お車5台、だし持ち4本がお宮の前の広場で今までの倍くらいの速度で笛や太鼓、演武を演じ、ダシ持ち4本は、お宮の前を走り回る。
このダシが30Kgほどあり、下手をすると倒れてしまう。
棒の2か所を持ち、手をピンと張り持ち上げる。これが結構大変なんです。
100年経っても200年経っても決して絶える事のない町の祭り。
我々が今住む新興住宅街も、「我関せず」ではなく、古くからある祭りを継承しながら、老いも若きも皆が参加出来る祭りを作り上げて行かなければならない事案かも知れない・・・・。
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ヒイラギの花。
ヒイラギの葉には棘があるため、侵入者除けに垣根だとか、庭周りに植えられることが多い。
棘と言えば先週の事。
知人に誘われ、いつも行く近所の居酒屋へ行った。
車で行ったのだが(帰りは、ちゃんと代行で帰って来ますよ)、店に入って車の中に忘れ物に気付いた。
車に忘れ物を取りに行ったのだが、その店の駐車場の一角に2m近いサボテンが植えてある。
助手席側に忘れ物があったため、そちらのドアを開けた。
が、、、その時に、サボテンに背中を擦ってしまったのだ。。
チクリと痛みが走ったが、蚊に刺された程度の感覚だったので気にもしなかった。
30分ほどすると、背中がいやにチクチクする。
「背中に何か付いてないかい?」と聞いてみたが、さっさと手で払い、「何もないよ・・・。」と言う。
2時間ほど飲んで帰ったのだが、さっきより背中の痛みがひどくなっている。。
裸になり、お局に見てもらった。
老眼鏡をかけて見ても何もないと言う。
虫メガネで見てもらった。
すると、、透明の、本当に数ミリの小さな棘が、何か所ヶに刺さっていた。
透明な分だけ、光を通さないと見過ごしてしまうらしい。。
恐るべし、サボテンの棘・・・・。
Tシャツ、ポロシャツ、トレーナーを着ていたのだが、早速洗濯をしてもらった。
昨日あたりから、お局が、「背中とか、肩とかがチクチクする」と言う。
きっと、洗濯機の中に落ちた棘が、他の衣類に付着したのだろう。。
どうすりゃいいのか。。
明日からは、サボテンの木には近付かないでおこう・・・。。。
平日の夜中に放映されていたバラエティー番組。
国分太一が司会をし、日本在住の外国人30名ほどをスタジオに集め、色々な各国のしきたりやら慣習を現地のロケを交えて放映されていた。
先日、最終回と言う事で、ゴールデンの時間帯に放送されていたが、最終回なのが残念なくらい面白い番組だった。
一年ほど前のある日、夜中に目が覚めてしまい、何気なく点けたテレビで放映されてたのがこの番組。
それ以来、録画をし、毎回楽しみに見ていた。
各国のお国自慢、ライバル心等々、見ていて面白いものだったが、それが興じると(多数の人間が絡むと)戦争になるのかな・・・。なんて思ったりもして・・・。
各国のゲスト?パネラー?達は、日本に来てもう10年ほど経っていて、日本語の達者な外人ばかりだったが、お国自慢を延々とした後、それでも住んでみて、やっぱり日本が一番いい!とも言っていた。
今の生活が当たり前のようになっているが、やっぱり日本は良い国なんだと嬉しくなった一時間番組。
(今の政府の行政を除いたら・・・だけどね。。)
今週の土、日の二日間、チョコボの生まれ育った牛久保のお祭り、「うなごうじ祭り」が行われる。
(県の無形文化財になっているのです)
写真には見えていないが、右手にもう2台の山車があり、そこに稚児&青年団(若衆)達がお囃子で各町内4つのダシ(マトイの様なもの)を迎える
夜の8時半を過ぎた頃、全5台の山車が囃し立て、4ッのダシを八幡様に奉納するまでがクライマックスの祭りである。
チョコボは、小学校の頃から、お囃子、中学生の時には大山(写真に見えるちょっと高い山車)、18歳から23歳まで若衆。と、ず~っとこのお祭りに関与して来た。
この祭りは、元々、吉田城(当時は今橋城)の初代城主「牧野古白」を祭った祭りで、今に至っている。
「牧野古白」は牛久保城の城主であり、この牛久保城には、長篠の合戦に援軍に向かう「羽柴秀吉」、「徳川家康」、「織田信長」等々歴代の武将が宿泊したと言う記録が残っていると聞いた。
この祭りの言われは、城主の牧野古白が、常日頃の農民の苦労を癒すため、農民達を城内に招き、酒を振る舞った所、皆酔っぱらってしまい、人の助けを受けないと起き上がれないほど御馳走になった。
その城主の恩義を忘れない為に、祭りが始まったと聞く。
行列の最後に「やんよー神」(これが、うじむし→ウナゴウジ)と呼ばれる農民に扮した男達が、道路に寝転がり、最後に八幡様へ奉納するのだが、一度寝転がったら、自分では決して起き上がってはならない為、時間がかかる・・・。
チョコボが子供の頃のクライマックスは、夜も10時に近かったと思う。
眠い目をこすりながら、大人達の歓声を不思議な感覚で聞いていたのを思い出す。
ダシと呼ばれる纏の様なものを両手で持ち上げ、数歩歩いて収めて、また進む、と言う、各町内の行列の先頭で青年団の見せ場があるのだが、総長(そう呼ばれてましたね・・・。)副総長、等々役員が紋付羽織袴を着て号令を掛けて進んで行く。
これが格好良いんですわ・・・。
チョコボも紋付羽織袴の出で立ちで並んでいる写真が残っているが、ひょっとしたら、、、それを見たお局が、その一場面だけを見て付き合ってしまったのではないかな・・・と思っているほどである。。
3年前に友人をこの祭りに連れて行った事あった。
その友人、感激する事しきり・・・。
話には聞いてはいたが、所詮田舎の祭り、、、大した事はないだろうと高をくくっていたらしい。
「これはすごいな・・・いい祭りだな・・・」と絶賛してくれた。
今週の日曜、8日、クライマックスの祭りを見に実家へ行く予定。
但し、その日の午後から町内の花見宴がある。
昼間から飲み過ぎでダウンして、折角の祭りが見られなかった。。なんて事がないように、昼間のお神酒は程々にしておこう・・・。。
豊橋から多米峠を通って三ヶ日へ向かうと、三ヶ日の手前に「尾奈」と言う駅がある。
その駅の裏山に「乎那の峯(おなのみね)」と言う、マンサクで有名な観光名所がある。
マンサクの見頃は2月~3月のはじめなのだが、同じ山に「三ヶ日桜」があると言う。
「三ヶ日桜」?・・・・・
ネットで調べてみたところ、新種の桜で、八重桜の一種で里桜と言い、ソメイヨシノより4~5日開花が遅いとの事。
昨日、三ヶ日へ行く用事があったので、夕方の親爺の病院への送り迎えの前に行ってみた。
ここいらでは、桜が満開に近く咲いている。
もうそろそろ見られるかな?と思っていた。
期待して行ったのだが、何の事はない、、、2分、3分どころか、枝に一輪、二輪と咲いているだけであった。。
三ヶ日育ちの親爺に聞いてみた。
三ヶ日桜で有名な「乎那の峯」って知ってた? と・・・。
すると、「乎那の峯」?・・・そりゃぁマンサクの群で有名なところだな。と言う。
三ヶ日桜? 何だそりゃぁ・・・とも言う。
やはり知らなかったようである。
この三河地方では、今週末に花見が開かれそう・・・。
来週の中旬あたりにもう一度行ってみよう。
本来はこんな感じだそうです。
黒船カステラ。
我が家のお気に入りのカステラは、「福砂屋」と何度もこのブログに書いた。
最近、とみにこの「黒船カステラ」が、芸能人のおミヤ(お土産)とか、御用達とかで話題になっている。
口の肥えた芸能人が、「おいし~~~い!フワフワですね」とやっている。
美味しいに違いない。。
ネットで調べたら通販もやっていた。
で、早速注文してみた。
2~3日経ったら届くのだろう・・・・。
楽しみだ。
で、、、もっと調べてみたら、この「黒船カステラ」、カステラの老舗、あの長崎堂の商品だった。
個人的には、「あれ??・・・・。」だったが、きっと一般的な、今まで食べてきたカステラとは違うんだろうな・・・。
いや!違うはず!と思っている。
このチョコボ、はかりじゃぁないけど、ちょっと天秤にかけて、美味しさを計ってみようじゃないか・・・。
庭に咲いた馬酔木の花。
馬が酔う、って、、この花を食べるのだろうか、香りが好きなのか・・・。。
先月、さかんにAIJの年金運用資金の破綻が放送されていた。
国会招致に出て来た浅川社長の年収が7000万円だとか・・・。
破綻したから非難を受けているが、このくらいの年収は、多々ある企業のトップでは当たり前なのだろう。
そこで、年々叫ばれてる官僚の天下り。
彼らは、小学校の頃から英才教育を受け、中学・高校・大学(もちろん東大法学部)を常にトップの成績で卒業し、富士山で言う、本当の頂上の一部しか登れない所で過ごして来た。
そして55歳になり、数十人いる同期の人間が事務次官(官僚のトップ)になった時点で、その他の同期は、同じ職場ではやりにくいだろう、、、と言う事で、国が(彼ら官僚が・・・)官僚の為に作った外部団体、もしくは公共的な仕事をしている企業に天下って行く。
そこで、給料が2000万とか、数年勤めただけで退職金が一億円とかが問題となって報道される。
しかし、彼ら(官僚)にとってみれば、自分は、日本の中で一番難関の大学を出て、難関の国家試験を受かって官僚となった。
同期で、少し出来の悪い奴らが、一流企業と呼ばれる会社の社長とか役員になって、年収一億くらいもらっている。
ならば、我々は、それ以上の報酬をもらってしかるべきだ。
と思っているのではないだろうか。
武士の時代からある、己の出世の為(世間的な社会的な出世)浪人をしながら士官先を見つける。と言うのと同じ。
まさか、国民の皆様の為に働きたい。なんて政治家みたいな事を言って官僚になった人間は数少ないと思う。
まぁ、報酬が我々の税金から出ていると言うのが、我々小市民からすれば少し腹立たしいのだろうが、これはいつの世でも仕方がない事。。
それより、選ばれし経歴(東大法学部)を出て官僚になった国家公務員と、身内のコネで入った(今は違うようですが・・・)地方公務員(市役所)の年収が、100万くらいしか差がないっておかしいよな・・・。
そして、市民への対応・・・。
チョコボ、市役所へ行くたびに嫌な思いをして、いちゃもんを付ける事がある・・・・。。
あのふんぞり返った対応、事務的な返答、、、何とかならないものかな・・・。。
お前らは、エリートの選ばれし人間じゃない!!ちゅーの!!
先週の事、風呂に入った時にガラス戸を開け広げ露天風呂感覚で入ってみた。
夏にはちょくちょくするのだが、春先はまだ寒い為、ガラス戸は閉め切ったままで入る。
その日、昼間暖かかったせいか、戸を開けて入りたくなった。
さすがに、まだ外の空気は冷たい・・・。
と言う事で、ガラス戸は開けたものの、浴室内は暖房を入れて入っていた。
それを見たお局、、、「馬鹿じゃないの・・・。」とポツリ。
お局理論→外はまだ寒い。だから窓など開けず、閉めて、浴室内から外を眺める。開けて暖房・・・何を考えてるんだか。。
チョコボ論→気候も良くなって来たし、坪庭の新緑も芽吹いて来た。 折角の季節だから、窓を全開して春の季節を楽しもう。 しかし、まだ肌寒いし、浴室内は暖かくして開放感を味わおう。
と言うもの。
まず、窓を開ける事によって湯温が下がる。(ガスでの追い炊きがもったいない) そして、入れなくて良い暖房によって光熱費が上がる(無駄)と言うお局論。
この季節しか味わえない風情に、たとえ300円、400円掛かろうが、これを贅沢、無駄使いと言うなかれ・・・。
のチョコボ。
これが、家計をやり繰りするのがチョコボで、お局がチョコボと同じ事をしてたら、「お前・・・何やってんだ!」と言うのかも・・・・。
月の小遣い減らしてもいいから、月に一度くらいこんな贅沢をさせてよ・・・。
さっきの出来事。
いつものように豊川へ向かっていた。
国道1号線を通って行くのではなく、牛川街道を通って行く。
途中で抜け道があり、その道を通るのだが(と言っても、道幅5mはありますよ)カーブに差し掛かった時に、前方に乳母車を押して道を横切っているお婆ちゃんを発見。
ひたすら下を見て進んでいる。こちらの車には全然気付いた様子はない。。
徐行どころか、停車して通り過ぎるのを待っていた。
しばらくすると、そのお婆ちゃん、チョコボの車に気付き、「はっ!」とした顔をし、その場に立ち止った。
そして、後ずさりしようか、前に進もうか躊躇しているように見えた(猫か!!)
こんな状況で、ちょっと引っ掛けて打ち所が悪く亡くなる。ってな事は多々あるんだろうな・・・なんて事を考えていた。
そう言えば昔こんな話を聞いた事がある。
伊良湖岬に近い道が大幅に改装され、舗装道路となった。
当然、信号やら横断歩道も出来た。
ある日、地元に住むお婆ちゃんが、その道の信号のない道路を堂々と横切っている。
近くにいたお巡りさんがそれに気付き、「お婆ちゃん、ここは危ないから、あそこにある信号のある横断歩道を渡りましょうね」と言った所、そのお婆ちゃん、「うんにゃ、わしゃぁ子供の頃から80年近く、この道路のここを渡って向こうへ行っていた。今さら道は変えられん」と言ったそうだ・・・・。
笑っていいのか、納得していいのやら・・・・・。。
ある日の夕方、部屋に戻るとアンコが窓の立ち上がりに座って外を眺めていた。
アンコがチョコボの部屋へ来るのは珍しい。
夜は決まってお局のベッドの中で寝ているし、たまにチョコボの部屋に来てもグルリと見渡してすぐに出て行ってしまう。
アンコを部屋で見つけた時「あら~・・・アンコちゃん、いたの?」とか話かけてみたが、しばらくすると外へ出たがって、ドアを開けろと鳴く。
背中をさすってやる仕草をすると、近くへすり寄って来るのだが、普段はチョコボの顔を見ると逃げて行く。
外なんかで会うと、全速力で逃げて行く。
「アンコ!」と声をかけると、パッと振り返り、「ニャ~~」と鳴く。
このアンコ、外へ遊びに出かけているが、きっと、、、猫嫌いなおじさんに追われているのだろう・・・。
早いもので、アンコが産まれて6年が経った。
せめてあと10年、チョコボとお局を癒しておくれ・・・。
昨日の昼近く、客先のスーパーの総菜売り場で見つけた竹の子弁当。
今日の昼食はこれで決まり!と言う事で買って帰る。
さっさと赤出しを作り、「いただきます」。
これ、580円也。
おかずもそれぞれ美味しい。チキンの照り焼き、焼鮭、竹の子の新芽とタラの芽の天ぷら、がんも、卵焼き、切り干し大根、漬物。
たいがい、こういった弁当には食べれない、と言うかどうでもよい一品が入っているのだが、ここの弁当は、同じ種類でも、おかずの盛り付けの品種が違う事が多い。
メインは鮭なのだが、その他の一品が違ったりしている。
選べるからそれだけでも楽しい。
一般的な幕の内は398円。(これ、チョコボのお気に入り)
喫茶店でのコーヒーの400円が益々飲めなくなるよなぁ・・・・。
ゲストを迎える為の片付けも終え、久し振りに顔を出した和室の琉球畳。
と言うのも、我が家には猫が2匹、(5匹いたのですがね・・・)畳をそのままにしておくと、爪を研がれるから、いつも絨毯マットで保護してある。
この和室は、フロアから40cm高くしてある。ハウスメーカーの話だと20cmか40cmのどちらかしか規格がないとの事。(ハウスメーカーはこう言った所が融通が利かないのです。まぁ、それで良かったんですけど・・・。)
20cmだと、スッキリはしてるのだが、年老いた時につまずきそうだったし、襖(ふすま)のない和室に存在感を出すには少し床を上げた方が良いかな??と思ったせい。
この和室と風呂に面した坪庭だけは、このチョコボの要望で作った。
お局曰く、「この部屋、邪魔・・・。ここを潰してリビングを広くしたい!」と言う。。
先日も、友人にその旨を話すと、「この和室、いいよ!!ここで座って、お茶ならぬ、酒を飲みたい雰囲気だよ」と言ってくれた。お局はその場にいなかったが、居たらきっと、「そんなね、、、現実を見ないで願望だけの話はしないの!男はいつもそうなんだから・・・。」と一蹴されそうである。
我が家にただ一つある和室。
チョコボのお気に入りの場所ではある。
我が家のリビングに天吊りしてあるBOSEのスピーカー。
高尚な音楽を聴く趣味は持っていないが、たまに軽ミュージックやらジャズなどを聴くと心が休まる。
先日テレビの、「一分間の深イイ話」という番組でゲストの堺正章がBOSEの話をしていたが、思わず大笑いをしてしまった。
堺正章は例年、東京の増上寺でコンサートを行っているそうだ。
その時にはBOSEの大きなスピーカーを使用するのだが、リハーサルの時に右のスピーカーの電源が入ってなかったそうだ。
すると、音楽のミキサーを担当するディレクターがマイクで、「おい!右のBOSE(ボーズ)死んでるぞ!」と叫んだと言う。
近くで見守っていた坊さんは、皆慌てて立ち上がり、右の方をキョロキョロ見ていたそうだ。
増上寺のお坊さん、みんなビックリしただろうな・・・。
思わず大笑いしてしまった、本当にあった話。
だそうです・・・。
これも武田鉄也の話。
娘が小学校へ上がった頃、初めて武田鉄也の故郷である福岡の実家へ連れて行ったそうだ。
それまでは、いつも母親が上京して来たため、父親が育った場所を娘に見せたかったようである。
鉄也の実家へ行くには市電に乗って行くそうなのだが、その市電の中で娘は下を向いてジーっとしてものを言わない。
市電から降りて、「どうした?気分でも悪いのか?」と聞くと、「パパの田舎って、ニワトリさんみたいな言葉で話すんだね・・・。」と言われたそうだ。
そう言えば、市電に乗った時に一人のおじさんが、座席を二人分確保しながら、「ここ、とっとっとよ」と言い、連れが市電に乗り込んで来た時に、「はよーこっこっこ!」と言ったそうだ。
幼い子供の前で、「とっとっと」、「こっこっこ」と言ってれば、そりゃぁ、、、ニワトリさん言葉と思うに違いないわな・・。。
白蓮の毛玉。
来月には白い花を咲かせてくれるだろう。
先日テレビで武田鉄也が出ていた。
昔から彼のコメントは好きだったし、学生時代にエッセイ本を買った覚えがある。
海援隊時代に地方へ営業していた時、移動中に長女の誕生を知らされた。
その田舎から見た菜の花畑があまりに綺麗だったので、名前を「美菜子」とした。と言っていた。そんな名前の命名もいいな・・・なんて思った記憶がある。
先日のテレビでは、ある芸人がイビられた話をしていた。
すると武田鉄也が、「芸能生活を長くやってると、あるよねぇ・・・そういう事。」とフォローしていた。
「自分よりパワーがある奴が来ると失礼な態度で押し返すしかない時ってあるよなぁ。 人の悪口を言わないと自分が潰れてしまいそうな時があるんだ。。」
「俺なんか、井上揚水と一緒に出てた時、絶対に才能(音楽)では勝てないからステージでなぶるのよ。「さぁ、今から皆さんのお待ちかねの井上揚水の登場です。まぁ相変わらず貧乏臭い歌ですけどね。」なぁんて言って、相手のちょっとした悪口を言うわけ・・・でも、それが人間の、自己の防衛本能だと思うし、あるよね、そういう事。・・・」と言っていた。
聞いていて、変に納得してしまった。
彼がどん兵衛のCMに出ていた時、長女が学校でいじめられたと言う。
どん兵衛のコマーシャルに出て来る武田鉄也が格好悪いと囃し立てられたそうだ。
泣いて「やめて」と言う長女に、「馬鹿もん!父さんは、お母さん、そしてお前達を守るためにこんな仕事も一所懸命やっているし、それにはプライドを持って仕事をしているつもりだ。それが嫌なら今日から父さんの子供を辞めろ!」と叱ったそうだ。
数年後、成人した長女に、「お父さん、私達を一生懸命育ててくれてありがとう」と言われた時には号泣してしまったそうだ。
だよね・・・・泣くよね・・・・。
特別尊敬はしてないけど、いいよね、、武田鉄也。
アメリカPGAツアーの「プエルトリコオープン」で単独2位。
今週は、準メジャー大会、世界の名選手が集まる、「キャデラック選手権」が同時開催されていたため、遼君の上位入賞又は、優勝まで期待されていた。
と言うのも、180名近くの参加プレーヤーの中で遼君が、一番ワールドランキングが高かったからだ。
遼君より上の選手は皆そのキャデラック選手権に出場してしまっている。
出ているのは、ルーキー及び、ロートルばかり。
この4日間CSテレビの「ゴルフネットワーク」で毎日放映されていた。
と言っても、全日録画。
実際のリアルタイム情報はパソコンでその大会のHPを見ながら確認していた。
スタートは、真夜中・・・。
そして、今日。
夜中に目が覚めると、まだ4時前だった。
急いでパソコンで順位を確認する。
前半が終わったところだったが、今日は1アンダーで7位。
トップとは3打差開いていた。
しかし、6時過ぎに確認すると、なんと18番を終えてトップタイに付けているではないか。
何とかライバルの選手が残す2ホールでボギーを打って欲しいと願っていた。
が、、意に反してバーディ、バーディの上がり。
結局、2打差の単独2位。
でも、ワールドランキングは、47位と堂々とマスターズへ行ける(招待選手ではなく)権利をもぎ取った。
マスターズまであと2試合のアメリカでの試合がある。
どうか、2試合とも予選落ちをしませんように・・・。
先日居酒屋で、赤ら顔したオヤジが、「遼は、日本でももう駄目だぞ!」としたり顔で叫んでいた。
応援してるよ遼君。
むこう20年間、世界で戦えるプロゴルファーで爺やを楽しませておくれ。
あ~~~・・・・睡眠不足で 眠い・・・zzzz
お馴染みのキリンビールのラベル。
顔は龍、体は鹿、牛の尾を持ち、馬の蹄(脚)をモーチーフとしてあるそうだ。
このキリンビールの創業者は、かの三菱財閥(岩崎弥太郎)と長崎のグラバー邸で有名なT・グラバー。
パッっと見れば、顔は龍、体は馬。
漫画家の黒鉄ヒロシによれば、坂本龍馬と懇意だった両名が、龍馬を偲んで、ビール会社のラベルを麒麟のモチーフにしたのではないかと言う・・・。(面白い説ではある)
ところで、このマークのキリンの体の中に「キ・リ・ン」の文字が刻まれているのをご存じだろうか・・・。
確かに、よ~~~く見れば、「キ・リ・ン」とある。
若い頃聞いた事のある話だったが、最近また耳にした。
明日のブログで正解を発表しますが、皆さんもよ~~~~~く、見てみて下さい。
分かるかな・・・・。