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誰でもが知っている「西郷隆盛」。


が、この肖像画は西郷が死んで数年経ってから描かれたもの。
しかも、描いたのはキョッソーネと言うイタリア人。


もちろんキヨッソーネは西郷との面識はないし、西郷の写真も無かった為、弟の西郷従道の輪郭と、従兄弟の大山巌の目が似ていたと言う事で描いたもの。


事実、この肖像画を元に高村光雲によって造られた、上野にある西郷さんの銅像の除幕式に立ち会った奥さんの「西郷いと」さんは、「あの人は、こげな人じゃなか・・・。」 とつぶやいたと言う話が伝わっている。


西郷が上京する折、泊まった宿屋の主人が西郷の顔相をこと細かく書いて残していた。
それには、”耳の形は福耳で、耳の中の折れなどのくぼみが無く、まるで餅を伸ばしたような形をしている。そして目は、まるで黒ダイヤのように大きく、引きこまれるようであった”と書いてあると言う。


そして、右の写真の右から2人目の座った人物、これが西郷ではないか、、と言う説がある。
右端に立っているのが「伊藤俊輔(後の伊藤博文)」。一番左に座っているのが「大久保利通」。
この写真は、薩長同盟が交わされた直後の写真なのだそうな。


専門家が検証した所、耳は福耳で間違いがない。 目が、聞いている西郷の目と違うように思われるが、これは、目をつむった状態での写真であって、目を見開いた時の状態は、かなり大きな目であると言える。 と・・・・。



確かに、薩長同盟の写真であれば西郷がいない方が不自然だろう。
しかし、伊藤博文、大久保利通である事が確認出来たなら、裏書にでも、言い伝えでも西郷の名が伝わっていても不思議ではない。
当時、”これが西郷だ”などと言う事は誰も言っていない。。
想像しているのは、我々現代の人間達である。


坂本竜馬は何枚もの写真を残している。
徳川慶喜にいたっては数十枚の写真があるし、晩年の慶喜を含めれば100枚を越えるだろう。


当時の明治政府の閣僚全員が、西郷本人を知っている。
しかし、銅像にしても、肖像画にしても、誰も「そっくりだ!」とか「これは違うな・・・。」と発した人物はいない。


明治維新に活躍した人物のほとんどが、写真なり、似顔絵と言うか、肖像画を生前に残している。
誰か一人くらい西郷の似顔絵を描いて残していても不思議ではないはずなのにそれも無い。。



本当の「西郷隆盛」。。。
益々謎が深まるばかりである。


だから歴史は面白い。
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