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咲き誇った「馬酔木」。
馬が酔う木・・・・・。面白い名前を付けたもんだ。。
GW中、日本は普天間問題で揺れていた。
政権を取る前から「国外移設、最低でも県外!」を掲げていた鳩山民主党。
では、具体的にどこへ?・・・の問いには答えなかった。
チョコボは、この頃から歯がゆくて仕方なかった。
そして、この始末・・・・。。。
本来なら2014年には辺野古沖に滑走路が出来、普天間は全面返還されていたはずである。
”十数年かけて杭の一本も打てなかったではないか!” ではなく、”十数年かけてようやく案がまとまった”のだ。
それを、兎に角「NO!NO!」と言い続けて来た。
そして政権交代の名の下、駐留なき安保と訴え、全てを白紙に戻してしまった。
どんな案があるのだろうか・・・・と日本国民全てが、期待を持って迎えた。
あるコメンテーターが「そもそも米軍基地が日本に要りますか?まずその事を国民に問うべきだ」と胸を張って言っていた。
(要るか、要らぬか、ではなく、何故沖縄に米軍が居るのかを知るべきである)
そもそも普天間飛行場は、太平洋戦争中、日本の沖縄基地だった。
負けた日本はこの基地を米軍に譲り、日米安全保障に基づき、他国からの脅威と国民の安全を掛けアメリカに依頼した。
当時この近辺に住んでいる住民は地主、軍関係の数千人余り・・。。
そして、米軍居住者の為の道路が出来、スーパーマーケットが出来、繁華街が出来、大きな街となった。今では3万人の住民がいると言う。
小学校の上を米軍機が爆音を出しながら通って行く。。
日本国民皆が「あっ!危ない!!」と叫ぶ。
だが、小学校がある場所に基地が出来たのではない。
基地がある、軍用機が通る真下に小学校を造ったのだ。
婦女暴行が起き、ヘリが墜落し、普天間移設問題が大きく取り上げられた。
我慢をしろ。とは言わぬ。
以前にもブログに書いたが、汚物処理場、、、我々の子どもの頃は衛生車という排泄物を運ぶ車が道を走っていた。 それをある施設で浄化し海に流すのだ。
社民党に問えば、「そんな物は要らない!兎に角外国で処理をしろ!」と言うのだろうか?「では自分達で処理しますか?」と問えば、「そんな物を出さない世界を造る事が大切だ!」と言っていると同じである・・・・。。。。
議論になっていない。。。
私が住んでいる場所から3Kmほど南に行くと市の斎場がある。所謂「焼き場」と言われる場所である。今でこそ煙は出ないが、半世紀前の事を考えると、想像に難くない。
それが造られた当時は、畑の中、森に囲まれ本当に「ポツン」と言う言葉が似合っていた。先日、その前を通ってビックリした。
正面玄関の前にまで家が建っているのだ。
きっと条件付で地代が多少安いのだろう・・・。。
世帯主は、充分承知で移り住んだのだと思う。
しかし、チョコボはこう思う。。数十年経って世代が変わった時、我々の住んでいる街にこんなものは要らない!出て行け!とは言わぬだろうか・・・?と。。
普天間も同じだとは言わぬ。
しかし、勝者の米軍が「うん」と言わない限り、この問題は解決しない。
それ程この普天間、しいては沖縄と言う地理が、アジアを睨む米国にとって必要不可欠な場所なのである。
どうしても「出て行け!」と言うなら、アメリカと再度戦争を起こし、それに勝利するしかない。。
戦争は良い事ですか?と言う、結論が100対0の馬鹿な議論をする前に、どうすれば平和を保たれるのだろうか・・・。と言う議論を真剣に考えるべきである。
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