×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
母を亡くして、来年の春で4年を迎える。
母が亡くなってからの半年間、親爺はどこへも外出せず、ただただメソメソしていた。
買い物に誘おうが、旅行へ誘おうが、車に乗る事さえ拒んでいた。
元気になったのは一周忌を迎える少し前だったと思う。
実家へ寄った時に、親爺が自然薯を持っていけと言う。
どうしたのかと聞くと、鳳来寺まで一人で出掛け買って来たのだと言う。
きっと、母とよく行った道を思い出しながら、一人でドライブしたのだろうと思った。
母が病に倒れ床に臥せっていた時、私にポツリと言った言葉がある。
「あのね・・・・。私はね、若い頃お父さんの事を”あのクソ親爺め・・・。。絶対に許さないぞ”って思ったことが随分あったんだよ。。でもね、こうして床に臥せってからは、腰が痛い、足が痛いと言うと、もういいよ。。と言うまで一時間でも二時間でも揉んでてくれるんだよ。本当・・・夫婦っていいよ・・・。」と言った。
きっと我々の夫婦仲を心配して言ったのだと思う。
この言葉を親爺は知らない。
それどころか、姉などは「母さんがこうなったのもお父さんに責任があるんだよ。心労ばっかり掛けさせるから・・・」とズケズケと言っていた。
一周忌を迎える少し前、親爺に一通の手紙を書いた。
母が生前に私に言った言葉と、 きっと最後は、親爺に”ありがとう”って言って天国へ旅立ったんだよ・・・。だからお袋の分も長生きしなさいよ・・・。の言葉を添えて。
母はせっかちな女性だった。 それに比べ親爺は6人兄弟の長男と言う事もあってのんびりとした性格である。
きっと母は天国への旅立ちも新幹線でピューっと行ってしまったのだろう。
親爺は、各駅停車の鈍行で、好きな酒をチビリチビリやりながら向かうのだと思う。
きっと天国の入り口で「おとう~さん!何をのんびりしてるの!もう知らないからね!」と怒っている母が居そうである。
早く会わせてやりたいが、母が経験出来なかった老後の楽しみもゆっくりと味わせてやりたい。
先日実家へ寄った時に、その手紙がメモ書き用のボードに貼り付けてあった。
今更ながら照れ臭かった事。。。
若い頃も、今も出来ない親孝行。。
きっと親爺も”出来の悪い息子”の思いのまま旅立って行くのだろう・・・・。
本当!親孝行って何をもって言うのだろうか・・・。。難しい事ではある・・・。。。
PR