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9月21日、「敬老の日」。
我々の町内でも75歳以上のお年寄り、御長寿の方50名を招いて敬老会が催された。
皆さん楽しそうに過ごされたよう、良かった良かった。
例年締めの挨拶を任される.
今年は何を話そうかと思っていたのだがアッという間に当日になってしまった。
結局、うちの父親の戦争時の話と以前足助の街で見かけた額に入った言葉を送った。
我が家の親爺の話はこうである。
今年のお盆に親爺と戦争時の話になった。
うちの親爺は大正12年2月の生まれだから86歳になった。
親爺の同級生は大正11年4月から大正12年3月生まれまでの一年である。
ところが戦火に於いては、大正11年生まれ。12年生まれ。と言うように生まれ年で区分されたそうである。
そして昭和20年夏、満州で終戦を迎えた。
そして田舎へ帰ってみると、大正11年生まれの同級生のほとんどが赴いた現地で戦死していたと言う。
「もしもあの戦争がもう一年続いていたなら、俺はいなかっただろうな・・・。」
とポツリと言った。
よくぞ生き永らえて帰って来てれました。
そのお陰で我々が居る。
出席されたお年よりも全員が戦争を経験されている。
戦後の復興日本。世界に名だたる経済大国日本の礎を作り上げてくれた。
戦争で失った青春を今取り戻して欲しい。
美味しい物を一杯食べ、楽しい事を沢山経験して欲しい。
と。。
100歳越えの御長寿の方が、去年は1万人いたと言う。
今年は4万人の登録があったと聞く。
我々が後期高齢者になった時、その比率は3人に一人が高齢者だと言う。。
”住み良い日本”とは何を持って言うだろう・・・。と考えてしまった一日。
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