×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
昭和20年8月、ここ広島に人類初となる原子爆弾が落とされた。
その後、長崎にも・・・・。
そして、日本の敗戦が決まった。
昭和20年8月。。終戦当時私の親父は、満州に居た。
玉音放送を聞いた時、どんな気持ちだったか?と聞いた。
テレビでは、皇居の前で泣き崩れる人々を映し出している。
立って号泣する軍人の姿がある。
親父は、ポツリとこう言った。
「あ~良かった・・・・。これで日本へ帰れる」 それだけかな・・・。と。
「敗戦の口惜しさで泣く事はなかったのか?」とも聞いた。
すぐに「そんなものあるか」と答えた。
親父は将校だった。少尉と言う位で、日本刀と皮の長ブーツが三ケ日の生家に残っていた。 士気を高め、軍団をまとめなければならない将校が、終戦を望んでいた。
その地では、何万もの日本兵が死んで行ったのだ。日本本土も空襲、爆撃により悲惨を極めていた。
我々が生まれるず~っと前の出来事だと思っていた。
昭和40年代に入り、反戦歌が流行った。 朝鮮戦争、ベトナム戦争、日米安保条約等が重なり、我々も反戦に奮起した。
正しく「戦争を知らない子供達」の主人公だった。
今、還暦を間近に控え、我々が生まれるず~っと前に・・・。ではなく、我々が生まれた、たった6年前に・・・。に思いが変わった。。
そう・・・。。たった6年前にあの悲惨な戦争が繰り広げられていたのだ。
今振り返っても、6年前などは、ついさっきのような感覚である。
それが現実だったとは・・・・。。
今更ながら驚いている。
あの戦争は、いったい何だったのだろうか・・・・・。
PR
COMMENT