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母を亡くし1年半が過ぎた。
最初の数ヶ月は何の気力も無く、ただメソメソしていた親父だった。
今では、大した用の無い外出は嫌がるものの、本を読んだり、町内の友人の誘いには出掛けているらしい。
去年の秋に我が家の解体が始まり、飼っている金魚数十匹とプラ船(左官さんがモルタルを練っている、四角い樹脂の箱)数個を預かってもらった。
”金魚でも飼えば?”と言うと、”そんな面倒臭い事・・・・”との事であった。
今年の3月、引越しも無事終え、金魚を引き取りに行くと、”何だ、、、全部持って行っちゃうと寂しくなるなぁ・・・。”と言った。
今では、置いてきたランチュウの仔引きをし、その稚魚を近所の方に分けたりして、結構な趣味になっているようだ。
5年程前から姉が、隣接する土地に家を新築し面倒を見てくれている。
しかし、週に1~2度は顔を出すようにしている。 それが、今出来る唯一の親孝行かも知れない。。
母が生前、私に突然こんな事を言い出した。
「ねぇ、、、私も若い時にはねぇ・・・”あのくそ親父!絶対に許さないぞ!”なんて思った事も一杯あったけど、こうやって病に倒れてからは、”足が痛い。腰が痛い。”って言うと、もういいよ。。。って言うまで、一時間でも2時間でも、ずーっと足やら腰を揉んでくれるんだよ。。。本当に夫婦っていいよ・・・・。」
とポツリと言った。
きっと、我々が喧嘩でもしていないかと心配してたのだと思う。
いつも姉に、母親に対しての小言を言われていた父だが、この母の言葉を知らない。
ある日、感謝の気持ちと、頑張って。のエールの気持ちを込めた手紙を父親に書いた。 きっと母は、最期は父に”ありがとう”って気持ちだったんだよ。との言葉と 、母が私に言った言葉を添えて・・・・。
2日後、照れ臭さそうに電話をしてきた父は「おまえ・・・・あんな手紙をくれるから、昨晩は、ずーっと泣きっぱなしで、眠れなかったじゃないか・・・。」 と電話口で涙ぐみながら言っていた。
親父・・・・。お袋が”早くおいで”と天国の入り口で待ってるかも知れないけど、お袋の出来なかった、やり残した事を土産話にして頑張って長生きして欲しい。
又みんなで食事にでも行こうよ。
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