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8月の終りに一通の招待状が届いた。
それは、息子が以前(学生時代)活動していた4人組バンドのVo田辺からの結婚式の招待状だった。
今から2年程前、ベースの重雄、ギターの功三は、豊橋、千葉の成田でそれぞれ結婚式を挙げた。残るは、我が家の息子のみとなっていた。
と言うのも、今回式を挙げる通称タベは2年前の夏、彼を追って豊橋へ来た今の奥さんを呼び寄せた時点で入籍してしてあったのだった。
ようやく落ち着き、夢だった結婚式を挙げると言う。
目出度い事に違いない。
そう言えば、2~3年前のその頃、姪の結婚式が3件、重雄、功三の結婚式と全てスピーチを任された。
今回も、スピーチをお願いしますとの事であった。
新郎の紹介だけでは間が持たない。。。かと言って、彼らに関するネタは話し尽きてしまった。。。 何を話そうか、まだ決めてない。。
まぁ、差し障りのないお祝いの言葉で行くか・・・・。。
前回のスピーチでこんな話をした。
私事ではあるが、、新婚時代に、仕事から帰り、リビングに座り、「お~ぃ!ビール!」とやると「はぁ~い」と声がしてお盆に乗った冷えたビールとおつまみが運ばれて来た。 新婚時代の甘い幸せを噛み締めていた。。
それから半年、我が家の息子がお腹の中にいた。
仕事から帰り、いつものように「お~ぃ!ビール!」とやると、ベットに横になっていた今のお局が(可愛かったんだな・・・これが・・・まだ。)「ねぇ、つわりがきついから、自分でやってくれない?」と言う。 それならば当たり前である。
分かった。と言い自分でつまみを見繕い、ビールを飲んでいた。
それから1年後・・・。
やはり仕事から帰り、「お~ぃ!ビール!」とやると、奥から「は~ぁ!!??」との怒りにも似た声が聞こえて来た。
我が家の亭主関白時代は、見事、たった半年間で滅びたのである。
若い頃は、孫悟空のように、お釈迦様の手のひらから逃げ出したくて、ばれぬよう、そ~っと隠れて遊んでいたつもりでいた。上を見ても、下を見てもお局の姿、イヤ手の平は見当たらない。 阿呆面をして思いっきり浮かれていた。
しかし、結局は全てバレていた。。。 何の事はない。。手の平を返せば、その指の付け根に、阿呆面して浮かれて遊んでいるチョコボがいたのだ。
今では、直立不動で話さなくてはならない唯一の相手となってしまった。。
襟首をつままれ、微動だにしない猫と同じである。
しかし、この姿こそ夫婦円満の秘訣ではないのかな?・・・と今では思う。
(いや・・・そう思うようにしているのかも知れない・・・。。)
「曳かれ者の小唄」(強がり)・・・。そう。。
でも、たまには「フン!」と言ってみる。
ベタベタの恋愛時代。イチャイチャの新婚時代。
こんな物は、訳なく終わりを告げる。
「この人と一生 一緒に歩いて行こう」 そう決めたあの日の思い。。
この思いが、50年経っても続いている事が大切なのだよ。
と。。
親父が机に張って、いつも見て涙ぐんでる句を思い出す。
病む妻の 背中に詫びて 肩を揉む
男って、自分勝手で我儘で、淋しがり屋で、はにかみ屋・・・。
どうしようもない生き物なんだけど、それをどうしても許せない女性が増えているようだ。。
しかも、一緒に暮らして30年も経ってから、、、。 寂しいことである・・・。
家族を守るって素晴しい事なんだけどね・・・。。
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