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薩摩芋のツタ。
芋は、子供の頃から定番のオヤツだった。
大人になってからは、焼酎でお世話になっている(と言っても、芋焼酎にはまったのは数年前からですが・・・。。)
たまに食べるアツアツの芋の天ぷらは、何ものにも代え難い美味な食べ物だと思う。
我々の時代は、食事に関して”出された物を残すな”と教えられて来た。
食卓に苦手な物が並ぶと、どうしても食べ残す。 そんな時、親父は決まって「我々の時代、戦時中はイモのツタを食べて生き延びて来たのだ。それを思えば全部が御馳走だ。食べろ!」と・・・。。
そうして教わって来たものの、今でも嫌いな物には一切、手を付けない。
賢人曰く、我慢が足りないのかも知れないが、そんなもので人間形成が出来るものか!と曳かれ者の小唄ならぬ、ひねくれ者は思う。。
若い頃、ある商事会社の営業をしていた。勤務していた当時の所長が朝礼時にいつもこんな話をした。(営業マン全員が逆らっていましたから・・・・。。)
「君達は幸せだ。我々の修行時代は、リヤカーを自転車にくくり付け、坂道だろうがデコボコ道だろうが、荷物を一杯乗せ営業をしたものだ。 それに比べ君達は、エアコンの利いた車を与えられ、荷物は配達専門業者が配達してくれる。僕達の苦労に比べたら・・・云々」 と・・・・。
その話が始まると営業マン全員が黙ってしまう。 話が終わると、サッサと外交に出掛けてしまうのだ。 後日、事務員の女性が「あのね・・・所長がね、”あの話は効くな~・・・あんなにうるさい奴等が、あの話だけは黙って聞いてるものな。”と言っていたよ。」と話してくれた。
ほぉ~~・・・完全に勘違いしてるんだ。。
あの話が出ると、あまりのアホらしさに黙っているだけなのに、感心して聞き入れてると思い込んでいたらしい。
あなたと、我々がどうだ?・・・と言うことではなく、その当時他の方はどうでしたか?が問題なのだ。周りの状況が、皆さんそうであったなら、それは当たり前の事をしていただけの事である。
では、あなたに比べ、弥次さん喜多さん等の時代は、もっとすごかった事になる。
東京へ行くのに新幹線を使って2~3時間で行ってしまう我々を見て、「おいおい、、、、冗談じゃぁねえよ。。こちとら、一月もかけて山道、川を歩いて行くのに、新幹線とか言う文明を使って、何を楽してんだよ!」と言われそうである。
自転車だって叱られる。。
イモのツタさえそうである。 当時は誰もがそんな生活を強いられた。
私がその時代に生きたら、やはりそんな生活をしなければならなかっただろう。。
この事は今始まった事ではない。 今後我々が、若い世代に苦言を呈す時にも何気に話してしまう事なのかも知れない。
イモのツタを見て、ふと思い出した謙虚な初心。
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