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ご存知、関が原の戦いの西軍の将「石田三成」


歴史が好き。 特に戦国時代と明治維新前後。
小説ではなく、太陽とかの別冊とか写真特集は高くとも買ってしまう。
結局この手の本が数百冊ある。


この石田三成にも興味をそそられる。
”三成に過ぎたる物が二つあり、嶋の左近と佐和山の城”と謳われたそうだが、嶋左近は自分の石高の半分以上を捧げ家来に迎えたと言う。


東軍に付いた加藤清正、福島正則らとは馬が合わず、いつも喧嘩ばかりしていたそうだ。
考えてみれば、木下有限会社が数年後に天下の豊臣株式会社になるのだが、この大会社を築き上げ、汗水して働いたのは俺達だ。との自負が清正達にはある。
会社が大きくなってから、何も知らない、ちょっとばかり頭が良く、管理と上司への取り込みが上手い途中入社の男に、何で仕切られなければならないのだ。。との思いもあろう。


実際、中国地方の毛利や九州の島津などの記述を見ると、「三成は、太閤秀吉の権威を借りて威張っているが・・・」などの記述があるらしい。


しかし、彼ら大大名が西軍に付いたのは、太閤の跡目争いは実子に・・・。との大義名分からであろう。(当のの秀頼は、決戦当日大阪城から出ず、”我関せず”を貫いたと言う。もし、秀頼が関が原に来ていればきっと歴史は変わっていたはずである。)


戦の後、隠れていた穴倉で見つかり、その後京都の三条河原で斬首されたのだが、処刑場へ行く馬上から警護の兵に「のどが渇いたから何か口を潤す物はないか」と聞いたところ「柿しかない」と言われ「柿の身は、体を冷すと言うから体に悪い」と答え、「今から死ぬ奴が何を体の心配をしているのだ」の罵られたと言う。
三成は「今から死を迎えようとも、天人とは万事に於いて天下の憂いを思いやるものだ。お前達少人には解らぬ事だ」と答えたと言う。


今で言う官僚の中の、ずば抜けた存在の男だったのか、本当に真面目な政治家タイプの男だったのか興味は尽きない。


400年前のあの時代の男達が、何を思い、何を憂いて時代を過ごしていたのか、タイムカプセルに乗って、そっと覗いてみたい気がする。
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