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昭和45年、三島由紀夫が市ヶ谷にある陸上自衛隊の駐屯地に押し入り、総監を人質に取り隊員達を説得した後自決。
このニュースを麻雀荘で流れていたテレビで見た私は大きな衝撃を覚えた。 後日その総監室の床に転がっていた三島の首を写真週刊誌の中で見たときのショックは今でも忘れない。
その2年後、ノーベル文学賞をも受賞した川端康成が自有するマンションでガス自殺で亡くなった。
その死が、当時から不思議で仕方がなかった。
73歳・・・・。もうすでに晩年の域へは遠の昔に入っているし、先行きの経済的な不安がある訳でもなかろう・・・。
穏やかに暮らせば、その一生は静かに終えられる筈なのに、何故又今・・・・・。。
と、当時学生であった私には非常に違和感があった。
晩年に服用していた薬中毒のせいだとか、三島の亡霊が取り付いていて、ノイローゼ気味だったとか聞いた。 ある作家は、あれは自殺ではないと言う説を本に書き出版したとも聞いた。
素人考えではあるが、作家はある種「夭折の美学」を美徳と考えているような事を聞いたことがある。芥川も太宰もそして一番に可愛がっていた三島も、夭折ではないが人生半ばにして自ら命を絶っている。
それに引き換え、自分は老人となり生き長らえている。
目の周りは皺ばかりとなり、体中の皮膚が見苦しく垂れ下がって来ている。
このまま生き長らえれば、寝たきり老人となり、下の世話もしてもらうようになってしまう。
そんな垂れ流しの終焉を迎えるならば、まだ己の意思で動ける内に自ら幕引きをしよう。と思ったのではないかと考える。
それを、男の美学と考えていたならば、それはそれで納得出来るのだが・・・。。
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