×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
これ、使用前・使用後の写真ではなく、勝海舟の若かりし頃と晩年の写真。
一介の下級武士から徳川幕府の頂点に立った男の生き様は面白い。
最後の将軍、徳川慶喜の片腕となり辣腕を振るったが、結局は徳川幕府を蘇えさせる事は出来なかった。
徳川幕府の重鎮だったにもかかわらず明治政府にも仕えた海舟に、福沢諭吉は「変節」と揶揄し攻撃した。
しかし海舟は、これに完全無視を決め込んだ。
諭吉は勝ち誇ったように又翌年攻撃した。(何だ!グーの根も出ないいのか・・・と。。)
海舟は、ついに筆を取った。
「運命を含んだ我が身の進退の決断は本人にしか下せず、それを他人がどう批評しようが、関係のない事である。関係のない輩は黙っておくがよい・・・見苦しい」と撥ねつけた。
見事、勝海舟の一本勝ちである。
後年、江戸城の無血開城の際、何故幕府として反撃をしようとしなかったのだ・・
と明治政府の要人に問われた時、
「幕府軍の海上戦艦からの砲撃、天皇の居住の確保、英仏が介入した時の処理、日本の二分化による混乱・・・その時にあなたならどう対処したと言うのか・・・」と説かれ、完璧に頭を垂れさせたと言う。
今の日本を作り上げたのは、薩長連合の志士達ではなく、本当は勝海舟なのかも知れない。
そして、日本全国どこへ行っても勝海舟の銅像がない事が、明治以降の教育に根があるような気がしてならない。
勝海舟の最後の言葉、「これでおしまい・・・」
何とユニークな言葉であろうか・・・。
まだまだ興味は尽きない。
PR
COMMENT