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織田信長が上杉謙信に贈ったと言われる「洛中洛外図屏風」。
先日放送の”美の巨人たち”で紹介されていた。
この屏風そのものは有名だし、知ってはいたが、その経緯などをテレビでは紹介していた。
一般的にこの屏風は、織田信長が狩野永徳に描かせ、上杉謙信のご機嫌取りに贈ったとされている。
テレビでは、この屏風の左隻に描かれている京都の名所の中に、ひときわ大きく描かれた、当時の京都を仕切る管領「細川家」の屋敷と、公方様御殿と呼ばれる「足利将軍邸」に注目していた。
http://www.rakuchu-rakugai.jp/world/world.html
これは何を意味するかと言うと、描かせたのは織田信長ではなく、衰退した室町幕府の再興を願う、室町13代将軍「足利義輝」だと言うのだ。
実際にこの絵の中に、将軍邸へ向かう上杉謙信と思われる行列が描かれている。
きっと、義輝は北陸の雄「上杉謙信」に室町幕府再興の思いを託したのだろう。
志半ばにして世を去った義輝の元へこの絵は届かず、時の権力者「織田信長」の手に渡った。
上杉謙信の行列が描かれているこの屏風を入手した信長は、謙信と同じく武田信玄に敵対する同胞として謙信に贈ったのだとしている。
尚、上杉家の資料によると、織田信長の家臣「柴田何某」がこの絵を持って上杉家を訪れた事は記載されているが、織田家の資料には、この絵を謙信に贈った事は、一切触れられていないそうだ。
何故なのか、これも又興味深い。
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