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今週の土、日の二日間、チョコボの生まれ育った牛久保のお祭り、「うなごうじ祭り」が行われる。
(県の無形文化財になっているのです)
写真には見えていないが、右手にもう2台の山車があり、そこに稚児&青年団(若衆)達がお囃子で各町内4つのダシ(マトイの様なもの)を迎える
夜の8時半を過ぎた頃、全5台の山車が囃し立て、4ッのダシを八幡様に奉納するまでがクライマックスの祭りである。
チョコボは、小学校の頃から、お囃子、中学生の時には大山(写真に見えるちょっと高い山車)、18歳から23歳まで若衆。と、ず~っとこのお祭りに関与して来た。
この祭りは、元々、吉田城(当時は今橋城)の初代城主「牧野古白」を祭った祭りで、今に至っている。
「牧野古白」は牛久保城の城主であり、この牛久保城には、長篠の合戦に援軍に向かう「羽柴秀吉」、「徳川家康」、「織田信長」等々歴代の武将が宿泊したと言う記録が残っていると聞いた。
この祭りの言われは、城主の牧野古白が、常日頃の農民の苦労を癒すため、農民達を城内に招き、酒を振る舞った所、皆酔っぱらってしまい、人の助けを受けないと起き上がれないほど御馳走になった。
その城主の恩義を忘れない為に、祭りが始まったと聞く。
行列の最後に「やんよー神」(これが、うじむし→ウナゴウジ)と呼ばれる農民に扮した男達が、道路に寝転がり、最後に八幡様へ奉納するのだが、一度寝転がったら、自分では決して起き上がってはならない為、時間がかかる・・・。
チョコボが子供の頃のクライマックスは、夜も10時に近かったと思う。
眠い目をこすりながら、大人達の歓声を不思議な感覚で聞いていたのを思い出す。
ダシと呼ばれる纏の様なものを両手で持ち上げ、数歩歩いて収めて、また進む、と言う、各町内の行列の先頭で青年団の見せ場があるのだが、総長(そう呼ばれてましたね・・・。)副総長、等々役員が紋付羽織袴を着て号令を掛けて進んで行く。
これが格好良いんですわ・・・。
チョコボも紋付羽織袴の出で立ちで並んでいる写真が残っているが、ひょっとしたら、、、それを見たお局が、その一場面だけを見て付き合ってしまったのではないかな・・・と思っているほどである。。
3年前に友人をこの祭りに連れて行った事あった。
その友人、感激する事しきり・・・。
話には聞いてはいたが、所詮田舎の祭り、、、大した事はないだろうと高をくくっていたらしい。
「これはすごいな・・・いい祭りだな・・・」と絶賛してくれた。
今週の日曜、8日、クライマックスの祭りを見に実家へ行く予定。
但し、その日の午後から町内の花見宴がある。
昼間から飲み過ぎでダウンして、折角の祭りが見られなかった。。なんて事がないように、昼間のお神酒は程々にしておこう・・・。。
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