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宇梶剛士のちょっといい話。
実は俺、子どもが小さい時から一緒に住んでいなかったんです。
子どもは、彼が小さい頃別れた嫁さんのおじいちゃん、おばあちゃんと住んでいました。 いつもおじいちゃんから「子どもの面倒はみるから、安心していい。でも、我々は必ず先に死ぬから、この子とは絶対に関係を持っていなさい。週に1回は必ず子どもに会いに来な、ぜったいに電話で済ませちゃだめだよ」
と、言われました。 でも、地方で住み込みで働いたり、
忙しかったりで、会いに行けない事もあったんです。 そういう時には必ず留守番電話にメッセージが入っていました。 「どうして会いに来ないんだ、おまえは父親なんだぞ」って・・。 |
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そんな素晴しい人に、素晴しい環境を貰っているけれども、俺はその家に泊まる訳にはいかないんです。泊まってけ、泊まってけって、
何度も言われたんだけど。 |
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そこで泊まったら俺、頑張れなくなるって思ったの。
俺は、ずーっと人に甘えて、人に寄りかかって、言い訳して生きて来たから、こんなにいい人にとことん甘え切っちゃったら、もう頑張れなくなる、ダメになると思った。 |
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子供とは小学校から中学校くらいまでの頃は、よく遊びましたよ。
彼が夕方になると学校から帰って来るから、その時間からレゴとかお絵描きをしたりして遊びました。食事して、風呂入ってね。 でも10時になったらオレ、帰んなきゃいけない。 子どもはそれを分かってて、時間が近くなると、時計をチラチラ見出すんです。 あいつ、急にあわてて早口でしゃべり出したりするわけ。 でもオレは、帰んなきゃいけない。 「よし、キューだ。チューだ」って抱きしめて、子どもも「おう、又ね!」って 玄関でバーンと元気よくハイタッチしてくれる。 それで、オレは帰るんです。 |
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ある日、そうやって別れたあとに、「あれ? 煙草がない」と思って、急いで家に引き返したら、玄関のところであいつが声を殺して泣いていたんです。
一生懸命、泣きやもうとして顔を拭いては泣いていたんです。 おじいちゃんとおばあちゃんに心配かけないように、家の中に戻る時は、明るい顔をしなきゃって思っていたんだね。 そういう社会性を、小学生の頃からあいつは身に付けていた。 それを見た時に、オレどうしよう・・・と思った。 本当は出て行って抱きしめたいけど、あいつがせっかくガキなりに一人でおじいちゃん、おばあちゃんに心配を掛けまいと頑張ってる、それが台なしになる。 それにあいつだって、オレに弱いところを見られたりしたらそれ以上頑張れなくなるだろう。って・・。 自分の子どもだけに、それが痛いほど分かった。
だから、そのまま帰るしかなかったんです。 辛かった思い出ですね。
今ではとっても仲の良い友達みたいな関係ですけどね。
目頭が熱くなった、ちょっといい話。 |
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