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明治4年、新政府はそれまでの藩を取り止め県とした。
先日、本を読んでいたら面白い話が載っていた。
あるジャーナリストに、重鎮と呼ばれ何期も勤める代議士がこう言ったそうだ。「廃藩置県なんてものは、明治新政府の思い上がりだ。新政府に協力的だった県は、県庁所在地と県名が一緒で、そうでなかった県は、県庁所在地と県名を別にさせられた。その後どう協力するか・・・まぁ、踏み絵みたいなもんだ。」と・・。
特に、最後まで抵抗した県などは、当時栄えていた市を指定せず、遠く離れた市を県庁としたとも書いてある。
例えば、福島県の県庁は福島市で一致しているのだが、本来、会津若松が栄えていた。その憎き市を僻地化(へきちか)させようとしたのだ。
確かに、倒幕色が強かった九州全県、県名と県庁所在地が同じ呼び方である。
長州だった山口県も山口市、土佐高知県も高知市。
そして徳川御三家のあった水戸市は、茨城県で、尾張は愛知県・名古屋市となっている。
そして和歌山・・・・。あれ? 和歌山は和歌山市だな・・・?
徳川家康の居城 静岡県も静岡市・・・?
念の為、他県も調べてみた。
何だか、まゆつば物であった。
その本を今一度読んでみた。
最後に、「この話がどこまで信憑性があるか確かでないが・・・」と書いてある。。
都市伝説ってこんな所から出来上がって行くのだろうな・・・。
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