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朝、いつものように配達に出掛け、それが終わり帰宅し、送りの商品の到着を待っていた。
ドライバーによって配達される時間は違うが、早い時は9時頃には着いているし、あるメガネのドラーバーはいつも11時過ぎに来る。
先日も11時過ぎに来たので、嫌味を言ったが、今日もこの時間に来ないと言う事は、嫌味が効いていなかったのだろう・・・そしてきっと彼の当番なのだろう・・・。
暇にかこつけてネットサーフィンをしていたら、「泣ける話」で母への思いが綴られているページにたどり着いた。
俺は母子家庭で育った
中学生になったある日、母が俺の部屋に来て今日のごはんについて聞いて来た「たけし 今日ご飯何が食べたい?」
唐揚げが食べたかったが、素直に「唐揚げが食べたい」と言えなかったので「なんでもいい!」と答えた
「なんでもいいが1番困るのよ~、ねえ何がいい?」
母があまりにしつこいのでついつい言葉を荒げてしまった
「うるっせーな!何でもいいって言ってるだろ!」
母はすこし悲しそうな顔で台所に向かった
しばらくして母に呼ばれた「たけしー ご飯よー」
が、すぐには向かわなかった。少し照れ臭かったのだ
呼ばれてからかなり後に食卓に向かうと、そこで母は待っていた
母が作ってくれたのは、俺が食べたかった唐揚げだった・・・
本当は、アツアツの唐揚げを俺に食べさせたかったのだろう
なんだかとても嬉しかったし、申し訳なかったので 洗物をしている母の後姿に「ごちそうさま、美味しかったよ」と言った
すると母は今まで見たことのないくらいの笑顔で「今日はどうしたの?気持ち悪いわね」と言った
久々に見た母の笑顔だった
嬉しかったが、今まで「ごちそうさま」の、こんな当たり前の言葉も言えなかった自分が恥ずかしかった
今度機会があったら、母に「ありがとう」と伝えようと思う・・・
母さん、いつもありがとう
母への感謝の思いは、万国共通、永遠のカテゴリーのようだ・・・
今日は叔母の四十九日の法要。
朝方ひどい土砂降りだったが、何とか大雨にならずに過ぎそうな感じ。
写真は、一昨日ベランダへ出てホタル族をしていた時に、うっすら浮かんだ月を撮りたくなった一枚。
この月が満月になるのは何日後の事だろうか・・・
10月の最後の週に京都旅行が決まりそう。
11月になると、急に新幹線とホテルのセットが5000円程高くなる。
紅葉シーズンで需要が増えるのだろう。
5年前の11月に京都へ行ったが、市内の高級ホテル、高級旅館、例えば、炭屋旅館、柊屋旅館など…今では星の屋旅館かな? それらの旅館が早いうちから予約が詰まっていた。一泊4~5万円するのにねぇ・・・
優雅でリッチな奥様方が予約を入れるのだろう。
チョコボ家では新幹線(ちょっと贅沢にグリーン車)&ホテル(朝食付き)で¥20,000のお得旅。
今度はちゃんと段取りをするつもり・・・
どうか、ドタキャンになりませんように・・・。
毎週水曜日の夜中に放送される「中居のとびら」というバラエティー番組がある。
確か、1時か1時半頃の放送で、生では見られないから毎週録画して見ている。
先週の放送での話。
陣内智則のマネージャーが、とんでもないボケ男でいつもイラつく事ばかり仕出かすと言う話をしていた。
例えば、ある2時間の特番のオファーがあり、内容も知らされないまま現場へ行くと、陣内はその番組のMCだった。
怒った陣内は、自分の立ち位置(役割)は、ひな壇芸人の扱いなのか、MCのメインなのかをテレビ局に聞いて、せめてそれをちゃんと報告せよ、と叱ったそうだ。
そして、ある日の事、テレビ局へ移動中のタクシーの中で、マネージャーに番組出演のオファーがあった。
快く了解して電話を切ったマネージャーは、陣内の顔を見て、はっ!と思ったのだろう。再びテレビ局に電話をしたそうだ。
「あの~・・・その番組の陣内の立ち位置ですが、MCではなく、ゲストと言う事で宜しいでしょうか?」と・・・
電話を切った後、陣内がマネージャーに何と言う番組からオファーがあったか聞いた。
マネージャー、「ええ!世界ふしぎ発見です!」と堂々と胸を張って報告したそうだ。
陣内曰く、「今度テレビ局で草野さんに会ったら、なんて挨拶をしたら良いのだろう・・・」だそうな。
それを聞いていた中居くん、「昔付いていた僕のマネージャーだってひどいもんですよ。」と・・・。
局へ移動中に、コンビニへ寄る事になった。喉が渇いた中居くん、「缶ジュースを買って来て。炭酸系が良いかな」と伝えたそうだ。
数分後に戻って来たマネージャー、缶ジュースを渡してくれない。
「俺が頼んだの、忘れたの?」と聞くと、「ちゃんと買って来ましたよ・・・はい!単三の乾電池!」と言って渡してくれたそうだ。
「あれにはズッコケたなぁ・・・今彼は、吾郎君のマネージャーやっていますけどね・・・」に爆笑だった。
天然には、イラつく天然と、可愛い天然がある。
チョコボの周りの天然は、可愛い天然ばかりだけどね・・・。
先日、テレビのWOWOWで「トーマス・クラウン・アフェアー」と言う映画を観た。
主演は、007でお馴染みのピアース・ブロスナン。
久し振りに、面白く痛快に観られた映画だった。
この映画を調べていたら、1968年にスティーブ・マックイーンが主演した「華麗なる賭け」のリメイク版だった事が分かった。
そして、なんとその「華麗なる賭け」が、今日放映されていた。
早速録画をして見る事に・・・
う~~ん、なるほど・・・。
大富豪が、趣味で銀行強盗を仕出かすのと、同じく大富豪がトリックを使って美術館から有名な絵画を盗み出すところは、ちと違ったが、保険会社の調査員の綺麗な女性と駆け引きをしながら恋に落ちて行くところは同じ。
最後はワクワク感満載。
チョコボは、最初に見たのが「トーマス・クラウン・アフェアー」だったせいか、この方が面白かったが(起承転結がはっきりしていたから)映画評論家やら、一般視聴者のプレビューは、圧倒的に「華麗なる賭け」の方を絶賛していた。
そっか・・・もう一度見てみよう。
朝夕はめっきり秋の訪れ。
読書の秋、芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋・・・
最近はまっているのが、日本画家。
特に「竹内栖鳳」、「伊藤若冲」。
後は、お馴染みの「円山応挙」、「酒井抱一」、「尾形光琳」、「鈴木 其一」の群鶴図。
京都や東京の博物館で展示会が開催されているようだが、見たい!行きたい!病に掛かっている。
暇を見つけて、日帰りで良いから行って来ようかな・・・。
2020年の東京オリンピックの開催が決まった。
前評判はイスタンブールと半々だっただけに大差をつけての決定が以外でもあった。
そして、翌日のYAHOOニュースでも、トルコのネットユーザーからの「日本おめでとう!」の多くの書き込みが話題となっていた。 もちろん美談として・・・。
そしてその翌日、日本の若い女性観光客2人が、トルコの若い男から刺され、一人は重傷、一人は死亡と言う痛ましい事件が起こった。
動機はまだ解明されていないが、オリンピック開催を巡っての逆恨みと考えても不思議ではない。
民主主義(多数決)での決定事・・・・49対51で決まる一つの事柄・・・。
そしてそこには49もの反論者がいる。
韓国、中国での東京オリンピック開催反対のネガティブキャンペーンと嫌がらせに近いロビー活動。
仕方がない事・・・と言って済ますには心が重いのだが、かと言ってそれを否定する良い方法も見当たらない・・・。
この悔しさを7年間も引きずって行かねばならないと言う事だけで、気が重いし、韓国&中国への思いも、より嫌なものになって行く。。
それより7年後に、元気で、オリンピックをテレビで、又は現地東京で見られる事を楽しみに、より節制した生活を送ろう・・・。
でも何だか、切ないなぁ・・・
先日見付けた”ちょっといい話”。
もう10年も前の話。
妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。
妻がいなくなった事をまだ理解出来ないでいる息子に対して、
私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。
実際私も、妻の面影を追う毎日であった。
寂しさが家中を包み込んでいるようだった。
そんな時、私は仕事の都合、出張で家を空けることになり、
実家の母にしばらく来てもらうことになった。
出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供達の声を聞いた。
2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのはいつも私のほうだった気がする。
そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。
“ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、
園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。
こんな時にそんなプログラムを・・・とは思ったが、幼稚園の運動会では当たり前のプログラムだった。
「正樹、行くよ♪」 娘だった。
息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走って行った。
一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。
隣に座っていた母がこう言った。
あなたがこの間、九州へ行っていた時に、
正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。
そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、
「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」
「本当はパパだってとっても淋しいの、」
「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」
「それはね、パパが男の子だからなんだよ。正樹も男の子だよね。」
「だから、だいじょうぶだよね?」
「お姉ちゃんが、パパと正樹のママになるから頑張りな。」
そう言っていたのよ。
何と言うことだ。
娘が私の変わりにこの家を守ろうとしている。
場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。
運動場の片隅で号泣した。
10年経った今、あの頃の事を思い出し、無性にまた涙が出て来る。
来年から一人上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?
君に今、どうしても伝えたいことがある。
支えてくれてありがとう。君は最高のママだったよ。
私にとっても、正樹にとっても。
ありがとう。最高の娘よ。
思わずもらい泣きしてしまった”ちょっといい話”