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昨日の話。。外見の事を書いたが、彼の高校時代の事。
高校2年の時、彼は生徒会の会長に立候補した。
当時はまだ出来の良い生徒、又はイニシアティブのある生徒が生徒会に立候補していたと思う。
そこに彼が立候補して来た。 みんなは、色物を見たさに集まる群集心理で、ヤンヤの喝采である。そして、見事当選したのである。
(彼は確か弁論部に在籍していたと思う。決して上手くはないが、演説に迫力があったように記憶している)
それからが彼の真骨頂である。
(当時、生徒会が何をやるのかを理解していなかったし、お飾りだろう・・。と思っていた)
彼はまず、県の教育委員に掛け合い、高校の制服、制帽を止めさせようとしたのである。。
すなわち、”制服は悪しき軍国主義日本の名残である。「七つボタンは桜に錨」と歌われた特攻隊の制服ではないか。又、セーラー服も、同じく海軍の水兵の制服を模したものである。あの忌まわしい戦争を懺悔する事無く、その名残を公立の高校が制服として義務付けるとは、何事だ!。”と言って掛け合ったのだ。
大拍手!!である。
そして、体育祭の最後に、校庭で落ち行く夕日を背に皆で火を囲み、フォークダンスを踊るファイヤーストーム(当時高校は、夜である事と、火が危ないと言い、又、男女が手を繋いで踊るのは教育上駄目だと言う事で中止していたのである)の復活をさせたのである。
(我々の大切な青春の思い出を、教師の勝手な一存で止めさせられてたまるか!との思いである)
さすがに制服は廃止にならなかったが、制帽は義務付けされなくなり、帽子を被らず登校し、いつも生活指導の教師に叱られていたチョコボは大手を振って歩いた記憶がある。 (ただ・・・ファイヤーストームで女の子と手を繋いで踊った記憶はない。このチョコボのこと。。サボったな。。。)
それ以来、靴もカバンも規制が緩くなった。 彼のおかげである。。
田舎の高校ではあるが、素晴しい高校であると確信している。
そんなバイタリティのある彼が、何億も稼ぎ出す会社の今の地位にいるのは、何ら不思議な事ではないのかも知れない。
彼の名は、「小島晃」
チョコボの高校の同級生である。今では、産廃業界で名を馳せている。
そしてこの絵は、息子が14~15年前に描いた彼の似顔絵。
非常に良く似ている。
そして不思議なのが、ずいぶん前にもかかわらず、今でもこんな感じで歳を取っていないのだ。 考えてみれば、彼は高校時代からこんな感じだったかも知れない。
卒業後の同窓会などでは、生徒の中に一人教師が混じってる図なのである。
彼が結婚したての頃、彼の奥さんが「若い頃、”可愛い”。”格好良い”って言ったって、歳を取ればみんな変わる。 そこへ行くと、あなたは絶対に変わらないから大丈夫よ」と彼に言ったらしいが、 本当だな。。。と思う。
結局は彼の方が得?したのか。。
まぁ、今だからそんな話になるが、70歳位になったら、”どうでもいい話”なんだろうなぁ。。。
ご存知、オッパッピー「小島よしお」
今小学生の間で大流行りだと聞いた。
先日聞いた面白かった話。
小学校の授業で生徒が言う事を聞かない。 教師が怒ると、”でも、そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!”とやるらしい。 それが他の生徒に大爆笑らしいのだ。
業を煮やした教師が「廊下に立ってろ!」と言っても、、”でも、そんなの関係ねぇ!”とやるらしい。
困り果てた若い教師。。生徒が、”そんなの関係ねぇ”とやった時、、、、、
負けじと、”ウェ~~ィ”とやり返したそうだ。
この話を町内会の寄り合いで話していたら、横で聞いていた元校長先生が「まったくふざけてる!そんな教師がいるから教師の地が落ちたと言われるんだ!」と、すごい顔をして憤慨していた。
笑って済ませてくれない?、、、、、、笑い話なんだから。。。。
あはっ!
藤村操
旧一校(東京大学)にて哲学を学ぶ。
明治36年、18歳の折、人生の「不可解」さを嘆き日光の華厳の滝から身を投げる。
その折、ミズナラの大樹に辞世の句を残した。
その後、彼に感化され投身を試みるもの180名余り(遂投40名)警察官に保護される。
事件の重さを感じた警察は、この木を伐採したと言う。
かの夏目漱石の生徒であり、英語の授業の予習をして来なかった彼を叱ったと言う。 それが原因ではないのか・・・と言う思いが、漱石のその後の文壇生活に大いに影響したと聞く。
悠々なる哉天襄、遼々なる哉古今、五尺の小躯を以て比大をはからむとす。
ホレーショの哲学ついに何等のオーソリチーを値するものぞ、万有の真相は唯一言にしてつくす、曰く”不可解”。
我この恨を懐て煩悶終に死を決す。
既に厳頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。
この句を残した。。
高校の時この句を目にしたチョコボは、何故だか一所懸命覚えた。
今でも空で口に出来る。
同じ年頃の天才の仕業に感嘆、感銘したのだろう。
”天才とは1%の才能と99%の努力で成り立っている”と言ったエジソン。
あれは嘘だと思う。。。。
天才と言われる頭脳を持った偉人。驚くべき身体能力を持つアスリート達。
世界陸上を見てそう思った。
”天才とは、溢れるほどの才能と、数%の努力で出来ている”と。。。
何でも努力!努力!は、悪しき軍国主義の名残ではないか?
我々一般人は、己を知り、それに向かって努力する。それが真の”切磋琢磨”であろう。
”鵜の真似をする烏”となるべからず。
節度を保つ事。節度を保つ事。
昨日の記者会見。
大毅は坊主頭で、うなだれて一言も発せず、2分後抱きかかえられるようにして退席。一週間前、15歳も年上(先輩)の男をつかまえ「内藤君には、このジャケット、似合わへんやろ」とか、「切腹する!それだけ命懸けやと言う事や!」 とか威勢の良い言葉を会見で言っていた金ピカジャケットとサングラス男と同一人物とは思えない姿だった。
親父も真摯な態度で、さすがにいつも見られる威嚇、恫喝の態度は見られなかった。
まぁ、考えてみれば18歳の少年である。いくら突っ張っていても、あのバッシングは答えたろう。(あの記者会見の態度が本当の姿だとは思わないが・・・)
本心を言うと、ホラ吹き大毅が、もしあの大口通り内藤を2~3R位で、見事なワンパンチKOで勝ったとしたら、皆の大毅に対する見方が変わったのだろうな。。。
と思う。
いかんせん、あの実力では・・・。正直もう少し強いかな?と思っていただけにガッカリした。
ホラ吹きクレイで有名な「モハメッド・アリ」。彼の記者会見もパフォーマンスが一杯だった。相手に掴みかかり、KOラウンドを予告する。 そして予告通りKOした。
ボクシングファンのみならずとも拍手喝采である。 こうして民衆の心を掴み世界一有名なボクサーとなった。
ひょっとしたら、亀田家もこれを狙っていたのかも知れない。。
アリが、もし弱く、反則技を使って世界チャンピオンになっていたら、あれ程有名にはなっていないだろうし、一生の汚名を背負って生きて行かねばならぬチャンピオンで、とおの昔に名前は忘れ去られていた事だろう。
亀田興毅、大毅兄弟が世の喝采を浴びるには、大毅の言う”宇宙一”のパンチで世界の強豪をバッタバッタと倒しまくって、宇宙一強いチャンピオンになる事だろう。
人間の評価は、”何かを言った”のではなく、”何をやったのか”。。。だと思う。
誰も遊んでくれないすべり台、ぶらんこ、シーソーがあった。
子供の頃遊び場の定番だった公園に、今では子供の姿はない。
以前、街中パトロールで町内を廻った時、夕方の公園に子供の遊ぶ姿がないのを驚いていると、一緒に廻った、校長先生だった自治会長が「今の子供は、家から帰るとまず机のパソコンに向かう。それから塾へ行くから公園で遊ぶ機会がないのですよねぇ」と寂しそうに言った。 そして、「それを母親が良し、と思っているからですね。。。」とも付け加えた。
そう言えば、以前小学校のアスレチック場(丸太を縦に並べて渡る設備)で誤って滑り落ちた子が、打ち所が悪く、亡くなってしまった事件があった。 結局その設備を取り払って”一件落着”となったが、何だかスッキリしない対応に思えたのは、このチョコボだけではあるまい。
「では今後、木登りをして落ちたら、公園、学校の木は全部無くなりますね。」と半分皮肉を込めて言ったら「いや~堤さん、、今の子供は誰も木になんか登って遊びませんよ」と言われた。。。
そうか、、、、このすべり台も、ぶらんこも、シーソーも、、、
もう懐かしの遊び道具になっているのかも知れない。
そう言えば、定番だった”ジャングルジム”の姿がない。
こりゃぁ、何かあったのかな。。。
おしどり夫婦。
うらやましい限りである。。
縁あって一緒になった仲。 人生の最後まで一緒に添い遂げたいものではある。
私の友人(酒を飲んだり、ゴルフへ行ったりとか、かなり近い友人なのだが・・)の2人が、一人は一昨年に離婚。もう一人は、完全な別居生活をしている。
不思議な事に、籍こそ入れてはいないが、それぞれが新しい伴侶を見つけ生活している。
まぁ、よくある人生の縮図であろう。
我が家も御多分に漏れず何度も喧嘩&離婚話は出た。(今でも一触即発かも・・?)
しかし・・・・何せこのチョコボに勇気がないのだ。 ”いやだぁ~”と愚図った覚えもないし、土下座して謝った記憶もない。
きっと動物好きなお局の事・・・・。”私がいなくっちゃぁ・・・。”と思ったに違いない。
ある時その友人が「お前は、若い頃さんざん遊んどいて、今仲良く女房孝行しているみたいだが・・・本当、バカヤロウだよな。。。うらやましくは思うが・・。」と半笑いでつぶやいた。
「どうせ遊ぶなら若いうち、、、、。若い頃真面目で遊びもいっさいしなかった男が定年を迎え金を持ち、女遊びをしたら、かなわんぞ。。。同じ期間を遊ぶなら、どっちがいいと思う。」と強がりを言ったら、横でお局が「どっちも一緒だよ!」と言った。。。
うん。確かに。。。
”生まれ変わったら、幸せになりたいな・・。”と言うお局に、「生まれ変わって違う男と一緒になって生活してごらん。”あんたの方が良かった。”とは言わないだろうが、”なんだ!・・・。みんな一緒なんだね。。”と思うから。」と言うと、「そうかもね・・・。でも、今度はお金をいっぱい持ってる人を選ぶけど。。」と真顔で言った。
(俺は貧乏人か!。。) でも、宝くじでもロトでも、一億とは言わないが一千万位当たって、ポンとお局に渡す。 その時の本当に嬉しそうなお局の顔を見てみたい。。
もう息子が結婚しても良い年を越えつつある。 息子の友人、私の友人の子供の結婚式に去年の暮れから4回程出席した。
いつも彼らに言う言葉。「ここに出席してくれた200名近い友人、親戚の前で一生の愛を誓ったのだ。せめて、この200人には嘘をつくな。」と。。。
10月12日は我が家の結婚記念日である。
今年で31年。。 思えば、うちのお局とは35年程の付き合いになる。
35年。。。すごいなぁ・・・・。と思う。 自営をしてからは、朝も、昼も、夜も同じ屋根の下にいる。
最近では小言で朝が始まるのが通例となってしまった。
十数年前にTVで、うだつの上がらない亭主を上地康雄が演じ、美人の奥さんを浅野温子が演じたドラマを観た。
二人で車の中から星空を眺めながら語り合うのだが、上地が「結婚した日から、お互いが100点の持ち点があるとする。そして、そこから日々の点数を減点して行くのだ。子供の出産時に立ち会えなかった。マイナス1点。夜、むしゃくしゃして飲んで帰って女房に当たってしまった。マイナス0,5点と・・・。」
「そして、その持ち点が無くなった時、この夫婦生活は破綻になる。 ふと考えてみたら、自分の持ち点はもう30点足らずだ。そして、君の持ち点は、まだ90点も残っている。」と言って泣きながら懺悔するのだ。 何故だか身につまされ心打たれたのを思い出す。
自分の持ち点を数え直してみた。。
いけねぇ!!とおに赤点になっていた。
追試を申し込んでみよう。。。
一昨日、前々日と町内の秋季大祭が執り行われた。
各町5町でそれぞれの志向を凝らして金比羅神社を祭るのだが、客観的に見るとそれぞれの工夫と苦労が垣間見れて面白い。
で、祭りが終わってから役員の慰労会と反省会での出来事。。
宴もたけなわ、さぁ中締めでも・・・と言う時にある区長がおもむろに言い出した。
「町内の長老として一言言いたいのだが・・・」と。
(実は、3~4年前から一人の町内の住人が盆踊り、敬老会、祭り、体育祭と全ての行事に率先して参加してくれている。 例えば、一昨日など町内を”お車”が練り歩くのだが、自前の法被を用意して、その列の先頭に立ち、行き交う車の交通整理をしてくれる。又敬老会など11時開始にもかかわらず我々と同じ9時に集合して雑用の手伝いをしてくれるのだ) 「Aと言う男がいつも行事に参加している。役員でもないのに何をでしゃばっているのだ!と言いたい。」と。。。
一瞬耳を疑った。 残りの役員全員も凍りついている。
いつしか他の役員が私を見ている。”おい!何とか言っておくれん”と小声で囁く役員もいた。 正直、”呆れてものが言えない”と言う言い伝えはこんな時の事を言うのだろうと思った。
実を言うとこの方、学校の教師であった方である。
で、「例えば、数年後にこのような方が5人、10人と増えて行き、祭りを、行事を盛り上げてくれるとしたら、これは迷惑ですか?ありがたい事ではないでしょうか。 そう言った参加を集う事がが我々の務めではないですか?」と問うと、「役員でもない人間がそこに居て仕切っているのがおかしい。駄目だ!気に入らん!」と言い張る。しかも、「彼は、ボランティアと称して金銭を要求していると聞いた。」とまで言い出した。我々町内四役、もちろん会計さんにも、こんな話は伝わっていないし、金など出す訳がない。彼がそんな人間でない事は、区長を含め町内役員知っている。但し”その方を除き。”だが。。。そうやって自分の意見を正当化しているのであろう。
そもそも町の役員なんてものは偉くもないし、ましてや”選ばれし人達”でもなんでもない。 何か勘違いしているようである。
倫理馬鹿も、ここに極めり。。である。
この役員とは以前にも、2度ばかりぶつかった。
今年の春、”ごくろうさん会”での寿司屋の宴会での事。中締めが始まる頃、日曜日だった為店内が混み合っていて最後の寿司が揃わない。 ある区長がストップをかけ、中締めをしようとした時、その区長が「おい!俺の寿司がない。何故だ!」と言い出した。ストップを掛けた区長が「とりあえず中締めなんで・・・」と言うや否や
「おい!お前に俺の寿司を止める権利がどこにある!え~~っ!説明せい!」と怒鳴りだした。
誰か止めるだろうと思い静観していたが5秒経っても、10秒経っても皆下を向いたまま何も言わない。。
あまりの阿呆らしさに「ちょっと待って!。今このやり取りをビデオに撮って、区に帰って町内の皆さんに見てもらいましょう。”あ~うちの区長さんは一所懸命やって下さっているな”なんて思う町内の方は居ない筈だ。恥ずかしい。子供の喧嘩だ。。」
「寿司なんか後で食べれば良いし、私も今年、来年と役を仰せつかったが、こんなくだらない、恥ずかしい町内会なら降ろさせてもらう。。そして、町内の一住民として、この町内役員会に異議を申し立てる!」とまくし立てた。
その後、説明せい!と怒鳴られた役員は、私を2次会へ連れ出し、涙流さんばかりに喜んだ。
余程、常日頃絡まれた鬱憤が溜まっていたと見える。(彼は工務店の社長、すなわち大工の棟梁である。しかし、学歴において何かしら教師と言う名にコンプレックスを抱いていたようである。)
私は、”あんな訳の分からない屁理屈オヤジより、職人の代表の棟梁であるあなたに敬意を抱いていますから”と言うと、嬉しそうな顔をしてその顔を赤らめた。 純粋でいい男である。
又、盆踊りの祭餅投げの行事を提案したのだが(これは実現させたが・・)その時にも、したり顔して「う~~~ん・・・問題ですなぁ~・・・・。第一、餅投げなんかすれば、我が町内だけでなく、隣の東西南北の町内から餅を拾いに来てしまうじゃないか。これは、いかがなものかと・・・・それなら住所を確認し、町内の子にお菓子を配った方が良い。」と顔を強張らせて言った。 又あんたか・・・。。
と思いながら「餅投げは、お祝いのお裾分けである。建て舞時に拾う人のくくりが出来ないと同じ様に、近所の町内の子供達にも来て貰いましょう。それこそが、我々の住んでいる町内の誇りとなるではないか」と。
そして「住所を聞いてお菓子を配るようなことをしていたら恥ずかしい。自分が子供だった頃に、親戚の祭りに参加して住所を聞かれ、地元以外は駄目。と言われたら、そんな町内会は最低だ。と思うでしょ!」と加えた。
こんな輩はどこにでも居るのかもしれない。(特に酒の席では勢いが良くなるから敵わない。。 ”俺を誰だと思っている”。。。とでも言いたそうに)
22歳で教師になってから人様に頭を下げた事もなく、そのまま歳を取ってしまった弊害がここら辺に出る。
ただでさえ我儘なのに、お神酒が入っているから手に負えない。。。
社会に定年と言う制度がある。今は60歳。。思考能力、判断力、体力が衰えるからである。
昨今、政治の世界もこの定年制度を取り入れた。
彼は74歳。。ふんぞり返ってくだらない事を言っているだけの長老は早く引退させなければならぬ。
「そんな事を書くと、見てるかも知れないよ」と 後ろでお局の声が聞こえた。
見てるかも知れない?・・・・。いや!逆に、見ていて欲しいと思うくらいである。
一人の『勘違い爺さん』のお陰で、久し振りに感じた憂いの日。。
東の空から上った日の出。
まるで新しい生命の誕生のようだ。 みなぎるエネルギーを醸し出す。
よく日の出に手を合わせている老人を目にするが、このチョコボも数年後には手を合わせているのだろうか。。
こんな話を読んだ事がある。
同じ畑に並んで芽吹いた雑草と、とうもろこしの芽。
数ヶ月経ち雑草は数センチ伸びただけ。方やとうもろこしはもう1mを超える丈に成長した。
雑草が羨ましそうに「ねぇ、もろこし君・・君は自由で幸せそうでスクスク育って良いね。ところで君はどこへ行くんだい?」と聞くと、もろこしは「さぁ・・・そいつは俺にも分からない。。。ただ、俺が伸びて行く方向に太陽が当たっているみたいだぜ。」と。。
この話をどのような意図で書いたか理解が出来なかった。太陽と言う究極的な不可欠な物質を人生に置き換えたかったのか、はたまた、人間模様の複雑さ、かつ、置かれた立場があるんだよ。のメッセージなのか。。
今なら「ふふっ・・・。」と笑いながら読み過ごせる事が出来るかも知れない。
”今時の若い者と言ったら・・・・。”の言葉が慣用語のようになってしまったが、私はこの言葉と「人生そんなに甘いものではない」の言葉を人様に言うのだけはしない。
チョコボがまだ30歳の頃だったと思う。 いつも行く喫茶店で私の斜め左前に3人の若者が座っていた。
その喫茶店はBGMがクラシックなので、結構周りの人達の会話が聞こえる。
その若者3人は、一人の大学の上級生と、同じ大学の新入生2人のようであった。
本を読みながら何気なく話を聞いていると、その先輩が(まだ21~22歳だろう)かしこまって座っている後輩に向かって「いいよなぁ~お前等若者は・・・・何も考えなくっていいから・・・。」と言ってる言葉が聞こえた。 何か違和感を感じたが、まぁそんな事を後輩に対して言いたい年頃かな?などと微笑ましく聞いていた。
が、その後「おまえらな、人生ってそんなに甘いものではないんだよ。。」との説教に、私の体は全身鳥肌に覆われた。。。
何と似合わない言葉だろう。 黄色い帽子を被り、手を繋いで通園する可愛らしい幼稚園児の顔にヒゲがあったようなものだ。。。
聞けば古事記に「今時の若者は・・・・。」の言葉があると言う。
我々も若い頃、年配者からこの言葉を言われた覚えがある。
きっと、これから何年経とうが言い伝えられて行く言葉使いなのであろう。
10年程前、友人等4人で酒を飲んだ時、一人の友人が「お前ら、人生はそんなに甘いもんではないぞ!」と酒の席で自慢げに語った時、思わず「それは分かる。、、、ではお前は、その人生の苦さをどれ位知っているのだ?」と問い返した。彼は”ぼんぼん”である。 人をひれ伏させるのに都合よく使う言葉ではない。
きっと彼も今では矢鱈と使わない言葉になっているであろう。
他人に言わない方が良い言葉と、自分に何度も言い聞かせて良い言葉は、同じ言葉尻でも、意味が違うものである。
喫煙者の肩身が狭くなって久しい。。
ここで是非を問うつもりは無い。 このチョコボもヘビースモーカーの一人である。
実は、2週間ほど前に親父に微熱があると言う事で豊川の市民病院で検診を受け、その結果結核の恐れがあると言う事で、急遽岡崎にある「愛知がんセンター」の隔離病棟へ入院をしたのである。
診断結果は、豊川市民病院でも、愛知ガンセンターでも最終的には結核菌は発見されず、明日、明後日にでも退院の予定である。(まぁ、ひとまず安心である)
昨晩親父から電話があり、検査結果と退院の手続きの話が事務方からあるから病院へ来てくれとの事であった。 その折、タバコを持って来てくれと言う。
隔離病棟に入院。と言うにも拘わらず、タバコをカバンの中に隠し持っていて、看護士さんに取り上げられていた。
「この際、丁度良い機会だから禁煙しましょう」と言われ苦笑いをしていたが、入院中何の楽しみもなく、退院したらタバコを吸う事ばかり考えていたようだ。。。。
喫煙者は平均寿命が3~4年短いと言われる。
うちの親父は今年で85歳。 あと4~5年は元気で長生きしそうだ。
もし、90歳で天寿を全うしたら「禁煙してたら、あと4年は長生きしたのに・・・。」
と言う話になるのだろうか・・・。。
まぁ、退院して来てもチョコボは禁煙を勧めるつもりは無い。
ここまで来たら、”酒が飲めなくなった。タバコがまずくなった。”と言うまで喫煙、飲酒を楽しめば良い。 85歳まで生かせて貰えば、もしそれが原因で命を落とす事があっても、それはそれで本望であろう。。
それよりこのチョコボ、、酒は嗜む程度に・・・・。タバコは・・タバコは、、、、きっと、親父と同じ事を言ってるんだろうなぁ・・・。
更新は後ほど致しますゆえ・・・・・
昨日の事、私用で岡崎まで出掛けようと、午前10時過ぎに豊川ICに入った。
しばらくすると(本当に2~3Km走ったくらい・・。)渋滞が始まった。 交通情報を聞くと、美合のSA辺りで事故が発生して、音羽・蒲郡ICと岡崎IC間が通行禁止になったそうである。 結局東名高速を音羽・蒲郡で降りて、国道1号線を走らなければならならなくなったのだが、ICを出るのに3時間程掛かってしまった。。
普段遊園地とかで、順番待ちで並ぶのが大嫌いな性質であるゆえ、外食などでもまず並んでまで食べた事が無い。 渋滞が始まって30分くらい経った時、イライラしてるのかな?と思ったが、そうでもない。 まぁ、テレビが付いてるし退屈はしなかったせいなのかも知れないが、3時間のノロノロ運転を当たり前のように過ごした。
ICを降りると国道1号線も大渋滞。。。。
結局岡崎行きをあきらめ、Uターンして帰って来たのだが、下りの国道が、ず~~~っと大渋滞なのである。 あのまま岡崎を目指していたら又3~4時間掛かってしまったかも知れない。。
つくづく、今の社会が自動車社会である事と、事故パニックによる恐ろしさを感じた日。
しかし、盆・暮れの大渋滞。。。。。分かっていて、、、すごい忍耐力。。
結局、辛抱強い方が勝つのかな。。。。人生って?
先日、取引先(仕入先)の常務と、今年定年を迎える客先の部長と3人で歓談していた時の事。 今年58歳になる常務が「チョコボさんは、幾つくらいまでお仕事されるんですか?」 と聞いて来た。 そう言われると、別に決めていた訳ではないし、息子も跡を継がず、別の道を(商いとして・・・)選びそうだし・・・。
「まぁ、65歳くらいでしょうか?」と答えると、その常務は、「私も役員待遇で63歳までは会社でお世話してくれるけど、その後の身の振り方を考えています」と言う。
二部ではあるが、上場会社の役員がそんな事を考えているとは・・・。と少しビックリした。 あと数年経つと、退職後の悠々自適な生活が待っているんだろうなぁ~ と思ったからだ。 聞けば、出身は神戸の芦屋であり、そこに年老いた母親を一人残していると言う。 自分は数年前、東京支社長だった時に千葉に5000万のマンションを購入し、奥様と住んでいるとの事・・。 「まだ半分のローンが残ってるんですわ・・・。」と苦笑いしていた。
そして、「日清食品の創業者・・・安藤百福は、60歳を過ぎてからチキンラーメンを世に出したんですわ。」と目をキラキラさせながら、他にも人生の熟年期に会社を立ち上げた人達の話をしてくれた。
60近くになって、こんなに熱く将来を語る男を私は知らない。
うらやましさを通り越して嫉妬すら覚え、そして、その後エールを送りたくなった。
真面目に起業を考えているのだ。
人生を、”君はまだ若いから・・・”とか言いながら語る男より、幾つになっても純粋に夢を語る男の方が好き。 気持ち悪くないから。。。
”人生はチャンスだ。恋愛もチャンスだ。としたり顔して説教する輩が多いが、私はそうは思わない。 私はそれを、意志だと思う。”
昨日の敬老会での太鼓の演舞。
我々が住む町内で、対象となる75歳以上のお年寄り118名の内48名の方が参加された。
昼食を取りながら、日本舞踊、カラオケ、幼稚園児のお遊戯、写真の町内有志による太鼓の披露などでもてなした。
11時から始まったそれは午後1時過ぎまで続き、中には、お酒を飲みすぎて動けなくなってしまったお年寄りもいたが、みなさん楽しんでくれただろうか。。。
校区内の他の町内も、こういった会を催さず、粗品を配って終り。という町内が増えていると聞く。 参加者も段々と少なくなって行き、主催する方も”まぁ、それでいいか・・・。”となってしまったようだ。
核家族化が進み、新興住宅地では2~3軒隣の人との情報交換もままならないと言う。(お年寄りは、もっと疎遠であろう)
帰りがけ「楽しい時間を過ごさせてもらいました。ありがとう。」と言ってくれたおばあさんに 「退屈しませんでしたか?」と聞くと、「いえいえ、もっともっとここに居て楽しく過ごしたいです。本当に楽しかったですよ。」と、目に涙を浮かべながら答えてくれた。
本当、、、、癒される瞬間だ。
我々が役員をやらせてもらっている以上は、絶対に、この会を絶やさずに続けて行こうと思う。
昨晩の事。町内の秋季体育祭の反省会に行って来た。
9月2日に校区の秋季体育祭が行われた。
その反省会と称した飲み会が行われたのだが、”中締め”をしてくれと頼まれた。
明日は”敬老会”が行われるのだが、そこでも絞めの挨拶をしてくれと頼まれた。。
事前に依頼は受けたものの、何を言おうか難しい。。。。長いスピーチは嫌だし、町内会ではウイットも利かないかな?と思う。。
結局2~3分の挨拶を簡単に済ませたのだが、皆さんお神酒が入っているせいか、話の途中に”そうだ!そうだ!”とかの合いの手(?)が入ってくる。 賛同の合いの手は嬉しいのだが、あれが、”何言ってるんだよ!”とかのヤジだと思うと、絶対に上手くなんかしゃべれるはずがないなぁ~・・・なんて事を考えていた。
現に国会での証人喚問で、大企業の社長やら社会的地位の高い人達が呼ばれ、質疑応答に答える場面をテレビ中継で何度も見るのだが、一度のヤジで、しどろもどろになってしまう場面を目にする。 きっと普段はスピーチ慣れしてるはずの人達であろうに、あの辛辣なヤジは、、人の冷静な判断力を奪い去ってしまうのだろう。。。
明日は敬老会の挨拶。
正しく、私の親父、お袋の年代の人達。。。。。
喜んでくれるスピーチを用意しなければ・・・・・・。
気の利いた言葉はないものか、、、、。
言葉は、短い方が良い。
それで本当に分かり合えるならば。。。。
町内会の会合があった。
去年一年区長を仰せつかったのだが、今年に副総代の方が総代になると言うことでそのポストが空いてしまい、一本釣りのような形で受ける羽目になってしまった。
町内の大きなイベントとして、盆踊り、町内体育祭、敬老会、秋季大祭の4ツがあるのだが、そのうちの2ツは終わった。あとは敬老会と祭りを残すだけとなった。
敬老会は、75歳以上のお年寄りを呼び、食事、余興などで楽しんでもらおう。と言う趣旨なのでなんら問題なく進行して行くだろう。
今我々が進めているのが、町内の有志を募り、能登太鼓をルーツとする大太鼓、小太鼓で演じる同好会。去年の秋から30代、40代の主婦の方、(男性は集まらないんだな・・・・これが。。)小中学生。町内のもう一人の役員の方と私を会長、副会長とし総勢20名で練習が始まった。
まず始めに、盆踊りの休憩の合間に初披露をしたのだが、周りを多くの人達が取り囲み大盛況であった。 このグループ、町内の冠を付けると、色々なしがらみが出てくるであろうし、中にはうるさいのが居るかも知れないと言う事で、町内がバックアップするという形でスタートした。
しかし、太鼓の修理、法被の新調等予算が必要となって来る。会費を集めて運営しているものの、それだけでは、法被どころか鉢巻すら買えそうに無い。
で、総代に頼み、一回1万円の出演料を出して貰う様交渉した。(実際山車には太鼓の先生と言う肩書きの二人がいて、それぞれ2万円づつの寸志を出している。)我々太鼓グループのリーダーは、元プロの陣太鼓集団の出身である。
で、盆踊りが終り、予算の提出時にその出演料が入っていない。
それを問いただすと、“彼らは、披露の場所を欲しがっている。出演させてやっただけでもありがたいのに、金など出せぬ。あてにしてもらったら困る”と言う。。。 唖然とした。
そして、昨日の打ち合わせ・・・・
山車の後に着飾った稚児を乗せる為ワゴン車を出すのだが、当たり前のように「では、車はチョコボさんに任せて・・・」と言って来た。“冗談じゃぁない!”ビール、ジュースを冷す氷を大量に作り、町内の人の笑顔を見るのが好きだった。餅投げをし、“楽しかったね”の言葉にどれだけ癒されたか・・・。
キッパリと「今年は、仕事で使いますので・・・。」と断った。
“あてにされては、困る!”と思いながら・・。
私利私欲のないボランティアを上から見下ろし、自分の意見をふんぞり返って通す。
こういう輩には、へつらわず、堂々と渡り合わなければ駄目だ。
それを日本国民はよく知っている。
母を亡くし1年半が過ぎた。
最初の数ヶ月は何の気力も無く、ただメソメソしていた親父だった。
今では、大した用の無い外出は嫌がるものの、本を読んだり、町内の友人の誘いには出掛けているらしい。
去年の秋に我が家の解体が始まり、飼っている金魚数十匹とプラ船(左官さんがモルタルを練っている、四角い樹脂の箱)数個を預かってもらった。
”金魚でも飼えば?”と言うと、”そんな面倒臭い事・・・・”との事であった。
今年の3月、引越しも無事終え、金魚を引き取りに行くと、”何だ、、、全部持って行っちゃうと寂しくなるなぁ・・・。”と言った。
今では、置いてきたランチュウの仔引きをし、その稚魚を近所の方に分けたりして、結構な趣味になっているようだ。
5年程前から姉が、隣接する土地に家を新築し面倒を見てくれている。
しかし、週に1~2度は顔を出すようにしている。 それが、今出来る唯一の親孝行かも知れない。。
母が生前、私に突然こんな事を言い出した。
「ねぇ、、、私も若い時にはねぇ・・・”あのくそ親父!絶対に許さないぞ!”なんて思った事も一杯あったけど、こうやって病に倒れてからは、”足が痛い。腰が痛い。”って言うと、もういいよ。。。って言うまで、一時間でも2時間でも、ずーっと足やら腰を揉んでくれるんだよ。。。本当に夫婦っていいよ・・・・。」
とポツリと言った。
きっと、我々が喧嘩でもしていないかと心配してたのだと思う。
いつも姉に、母親に対しての小言を言われていた父だが、この母の言葉を知らない。
ある日、感謝の気持ちと、頑張って。のエールの気持ちを込めた手紙を父親に書いた。 きっと母は、最期は父に”ありがとう”って気持ちだったんだよ。との言葉と 、母が私に言った言葉を添えて・・・・。
2日後、照れ臭さそうに電話をしてきた父は「おまえ・・・・あんな手紙をくれるから、昨晩は、ずーっと泣きっぱなしで、眠れなかったじゃないか・・・。」 と電話口で涙ぐみながら言っていた。
親父・・・・。お袋が”早くおいで”と天国の入り口で待ってるかも知れないけど、お袋の出来なかった、やり残した事を土産話にして頑張って長生きして欲しい。
又みんなで食事にでも行こうよ。
昔、あるTV番組で青森の片田舎のお年寄りに参加してもらい、方言の検証をする。と言う番組を見た。
それは、「地図」と「知事」の絵を見せて発音してもらうのだが、ディレクターが、あるおばあさんに「地図」を見せて、「これは何でしょう?」と聞くと、「ツズ」と答える。で、「知事」を指差し「この人は誰でしょう?」と聞くと、「ツズさん」と答えた。
我々にはまるっと同じ発音でしか聞こえないのだが、それを音声分析に掛けたら、全然違った声紋として現れたのである。
そして、同じ地方に住むおじいさんに、そのおばあさんの言っている意味を理解してもらうのだが、「ツズ」と言っているのを「地図」と言い。同じく「ツズ」と言っているのを「知事」と言い当てた。
思わず、唸ってしまった。
初めて博多へ行った時、前を歩く高校生の会話が「お前なんば言うとっとよ・・・」と聞こえた時、思わず「やった!」と心の中で叫ぶくらい嬉しかった。
『訛りは国(地方)の宝』。。。
正しくそうかも知れない。
全国で標準語が溢れないで欲しい。