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先週の土曜日、配達が2~3件あったのだが、お局が付いて行くと言う・・・・。
結局、そちら方面にあるサイエンスコアと言う施設でアジアンテイストの雑貨店が開かれていたのである。


いつもそうなのだが、私はサッ・・っとひと回りすればそれで終りである。
お局は、色々見て廻りたいらしい。


その間丁度、TVチャンピオンとか、週刊朝日の山藤章二似顔絵塾で特待生を取っている「内藤勲」先生が似顔絵を書いていた。



と言う事で早速描いてもらうことにした。  およそ5分ほどで描き上げた作品がこれ。。。。  


買い物を終えたお局が「あはははは・・・・良く特徴を捉えて似てるじゃん。」
と言っていた。「ちょっと髪の毛が多すぎるけどね」とか余計な事を言いながら・・・。。。


まぁ、記念には良いか!と思いながら大切にしまっておきます・・・。
ハイ。。。。
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晴天の日曜日、東の方面へドライブ。


まず行った先は、掛川にある「花鳥園」http://www.kamoltd.co.jp/kke/
テレビで引っ張りだこの「ポポちゃん」を見に行く。
残念ながら、あの痩せ細る姿は公開していないとの事。
(そりゃそうだ。。人間は面白がって見てるが、本人にしてみれば死活問題である。。) 全ての鳥が人間に懐いている。 肩に、手の上に舞い降りてくる。
可愛いもんだ。。


続いて行ったのが、浜松の郊外にある「ぬくもり工房」http://www.nukumori.jp/
まるでおとぎの国へ来たようである。 来る途中、うなぎを食べて来た為のどが渇く。屋外にあるテーブルに座りコーヒーを飲む。   いいなぁ・・・こういった時間・・・。。。


次に行ったのが「龍譚寺」。 http://www4.ocn.ne.jp/~ryotanji/ 
ここの庭園は「小堀遠州」が作った庭として有名だが、それより、彦根藩主井伊家に縁があるとは知っていたが、ここが井伊家の菩提寺だったとは・・・・。。(あの歴史上の人物として有名な井伊直弼もここに眠っていました。。)  関が原の戦い以後、彦根に移ったのだが、それまでは、この辺り一帯を治めていたと言う。  ふ~~~ん。。知らなかったなぁ。。。であった。
先日彦根城へ行ったばかりなだけに、変に興味を抱いた。


最後に行ったのは「ラ・ローズデパン」http://la-rosedesvents.com/ 
去年も行ったのだが、もう少し夏に近い季節だったと思う。庭一面にバラが咲き誇り、綺麗だったのを覚えている。
残念ながら、今回はまだ蕾すら膨らんでおらず。。。


でも、人、一杯だったな・・・。


夜は友人達としゃぶしゃぶパーティ。


楽しい楽しい、大人の遠足でした。。



若い頃にこんな夢を見た。
結婚する少し前の話だ。



ある日突然、自分が住んでいる街が大洪水に襲われた。
全ての物が濁流に飲まれ流されて行く。
流されて行く最中、ふと何かを掴むとそれは頑丈な造りの瓦屋根だった。


それに這いつくばり、ふと見ると色々な人々が流されている。
そこへ、どこからか声が聞こえて来る。『今からお前は一人の人間を助けられる事が出来る。その人間を助ける為に一本の櫂を与えよう。しかし、その櫂に二人の人間がしがみついた時には、その櫂は紙と化すであろう。さぁ!助けなさい。』



あなたなら誰を助けますか?


私は、今のお局だった。 もうすぐ結婚するであろう伴侶をどうしても見捨てる訳には行かなかった。世界で一番愛を充実させている時期である。助けない方がおかしい。流されて行く母に涙し、頭を下げながら彼女を助けた。
母でもなく、父でもなく、兄弟でもなく、友人でもなく彼女だった。


もしそこに生まれたばかりの子供が居たらどうしただろう。。。とふと考える。
生まれたばかりの乳飲み子を無条件で助け、流されて行く女房を見捨てるのか、又は、女房を助け、これから生まれて来るであろう子供にその子の分まで幸せを託すのか、・・・・・・・・今考えてもはっきりとした判断が出来ない。  でもきっと、後者であろろう・・。。


今でもこの判断は変わっていないと思う。  しかし、女性に聞くとほとんどの女性が「子供」と即答する。
では、子供が3人いたらあなたは誰を助けますか?
長男なのか、長女なのか、又は末っ子なのか、又は、馬が合う子なのか。。
考えれば考えるほど憂鬱になって来る。



30年以上経っても忘れられない夢の中の出来事。
出来る事なら、せめて10人は助けたい。。




又、腹立たしく気持ちの悪い事件が頻発している。


19歳の女性が連れ去られ行方不明になっている事件。
バック、靴などは見つかったと言うから、結果は残念な事となる可能性が高いだろう。  加害者は、覚醒剤を常用していたと言うし、出会いが携帯サイトの出会い系と言うからその目的は想像に難くない。


しかし、理由はどうであれ、テレビに流された母親のコメント。。。
「あなたねぇ、いかにもうちの息子が悪いような事を言っていますが、ひょっとしたらその女性に非があるかも分からないじゃぁないですか」・・・・・・。。
アホか!・・・・。


兎に角”連れ去り、行方不明”と言う事件を息子が起こしているのだ。
プロセス&結果がどうであれ、まず「お騒がせ、ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」と言うのがスジであろう。
子供が可愛いのは分かる。私がかばってやらなければ・・・と言うのも分かる。
しかし、あの状況においてあのコメントは、日本中の人々の顰蹙を買った。
「あの母親にて、あの子あり。。。」を地で行ったようなものだ。
救われない。。。


そして、山梨県警の2度の通報後の対応。
何の為の110番か。
きっと覚醒剤を打たれて、俗に言う”ラりった状態”で通報してきた為、イタズラと思い込んだのであろう。
県警の初期作動と言うより、その通報を受けた個人の判断によって起きた不祥事な事件。 きっと電話の向こうでは「おいおい・・・ふざけんじゃぁないぞ!」位の態度だったと思う。  
こっちこそ「ふざけるなよ!オッサン!何の為にそこに座ってたんだ。」と言いたいくらいである。。。


社保丁然り、国土交通省然り、地方の公務員に至るまで、中には公務員と言うと何か自分は殿様だと勘違いしている輩が居るのではではないのか・・・?




我々から見れば、最後には切られてしまう悪代官にしか見えない事を知らずして。。。




一昨日の事、我が家の息子の同級生であり今のバンドの前身「ウインドミルズ」のメンバーからの付き合いの功三が我が家へやって来た。


聞けば、父方の祖母の葬儀があったそうで、95歳の大往生だったそうだ。
その帰りに挨拶がてら寄ったと言う。 が、、、、、、寄ってくれたのは、もう7時が廻った頃。。 こちらはもう晩酌を始めていてほろ酔い気分。。
すぐ帰る予定のところを、(千葉までなんです・・・。。)夕食を無理矢理取らせ、オヤジの議論に付き合う羽目になってしまった。。(ゴメンよ~コーゾー。。無事に着いたかな。。)


彼は今、千葉県で学習塾の塾長をしている。
去年の年末から春にかけて忙しかった事だろう。
で、このオヤジが絡んだのが、「学習塾の使命は、志望校へ入学させる事である。では、それで見事入学出来た子は皆豊かな生活が待っているのか?もしくは、志望校に入学出来なかった子はどうなるのか?」と言う事を、塾の講師の立場からの意見を聞いてみた。
入学したら、”ハイ終り。。。”ではなく、コーゾーとしてもっと違った指導もあるではないか・・。
みたいな事を絡んだ。。。


彼は嫌な顔一つせず、酔っ払いの意見に一つ一つ答えてくれた。たまに「オヤッサン!その通り!」とかヨイショしながら・・・。


息子の友人の中でも、もう一人の友人”シゲオ”と並んで可愛い。


又一緒に飲みたい。。



進学で有名な塾長になるより、人間的に素晴しくて有名な塾長になって欲しい。
でもコーゾーなら、なってくれそうだな・・・・。




昔、笑い話でこんな話があった。


ある町内にすごく仲の悪い2軒の八百屋がいた。
ある日一軒の八百屋が「日本で一番安くて新鮮なA八百屋」との看板を揚げた。
もう一方の八百屋はそれを見て「世界で一番安くて新鮮なB八百屋」と書いた看板を揚げた。
頭に来たA八百屋は、その看板を「宇宙で一番安くて・・・」と書いた看板に替えた。


困り果てたB八百屋は、2~3日考え抜いた挙句こんな看板を揚げたと言う。
「この町内で一番安く、新鮮な八百屋」と。。。



ではこんな問題分かりますか?


あるお寺に殺風景な池がありました。和尚はある日一枚の蓮を植えました。
すると、その蓮の葉は倍々と増えて行ったのです。1枚が2枚。2枚が4枚。4枚が8枚。と言うように。


この池は、計算上では30日経つと蓮の葉で覆われてしまいます。
ある朝和尚が池を見ると、蓮の葉が池の4分の1の所まで増えていました。


さて、これが問題です。和尚が見た”ある日”とは、蓮の葉を植えてから何日目の朝だったでしょう?


簡単すぎましたか?。。




※答えです。

この池は、30日で一杯になるのですから、29日目には、池の半分まで来ています。 そしてその又半分ですから、その前日、つまり28日目と言うことです。




川崎徹、CMディレクターである。最近ではキンチョールのCMで有名だが、一躍名を馳せたのはビールのCM「どうしてビールに取っ手が付いてるのでしょうかねぇ?」と初代貴ノ花がやった一連のCM。
とても衝撃的だったのを覚えている。


今から15年程前、私の知人が彼を招いて講演会を行った。
非常に身近な話ばかりで、とても面白く聞いたのを覚えている。


質疑応答に入り、ある豊橋の新興企業の社長婦人がこんな話を切り出した。
「外国へ行っていつも思う事は、沢山の日本の若い女性がルイビトンとかシャネルの店に行ってその商品を買いあさっている。日本へ帰れば6畳一間のアパートとか自分の部屋でも8畳あれば上等な人種が高級なバックを持っている事が異常に思えるのですが、どう思われますか?」との質問をした。
正直、いや~~~な感じがした。言い換えれば、「私は社長夫人だから身分相応だけれども、貧乏人が持ってはおかしいではないでしょうか?」 と言ってるように聞こえたからだ・・・。


川崎徹の答え・・・。
「日本人の生活において6畳とか8畳の部屋と言うのは当たり前の生活環境です。  そこへ行くと、米国とかヨーロッパの若い女性の部屋は12畳とか15畳位あるかも知れません。そして家も100坪位の家に住んでいるでしょう。・・・。  でも、逆に考えれませんか?  部屋は4畳半しかないかも知れない。しかしその分、せめてカバン、アクセサリー類は贅沢したっていいじゃないか。と思う気持ちはありませんか? 私は、そう思いますが・・・。」と答えた。



その社長婦人は黙っていた。  しかし、私は”そうだ!そうだ! お前、何様だ!”と心の中で叫んでいた。



しかし、残念ながら「何を贅沢な・・・」と言われていた女性が、今度は「何を贅沢に・・・」と言う方の立場になって行くのかも知れない。。




やはり歴史は繰り返されるのだろうか。。。




例えば朝刊の見出しに
『20歳の若者 30歳代のサラリーマンに刺殺される!』
とあったら、この事件をあなたならどう思うのであろうか。


前途ある若者が中年の酔っ払いに将来を閉ざされた・・・。
とか思うのが一般的だろう。


事実はこうだった。
その事件は、ある夏の日、帰宅するサラリーマンやらOLで混雑するバスの中で起こった。


丁度土砂降りの雨が止んで、帰宅する乗客が皆傘を手に持ち満員のバスに乗り込んだ。
出発間際、そこにほろ酔い気分の若者が乗り込んで来た。
その若者は、嫌がる女性に息を吹きかけたり抱きついたりしている。
挙句の果ては、その女性に「何で嫌がってるんだよ!」と絡み出した。
しかし、それを見てみぬフリをして誰一人として止める者はいない。


凍りついた時間が数分過ぎた頃、後部座席に座っていた男性がその光景を見かね止めに入った。
しかし、その若者は悪びれる様子もなく、護身用に持ち歩いているナイフを出し威嚇し出したのである。 それを取り上げようとした男性と若者がもみ合っている内に、そのナイフが若者の腹部をえぐった。
結局その若者は、出血多量で死亡し、勇気ある男性は殺人罪で起訴された。
その若者は無職で組織の構成員であったものの、尊い命を奪ったと言う事で、そのサラリーマンは一生をふいにしたと聞いた。


あなたならこの事件に何を思うのであろう。


こんな隠れた事実のある事件の報道は、今までにいくらでもあったと思うし、これからも又あるであろう。。



人をねじ伏せる為の暴力は反対である。
しかし、「何を~~!」と威嚇してくる輩に対して、「よしなさい。怪我をしますよ」と言って立ち去る。 そこへダァーっと向かって来た暴漢を一撃でチョンと倒す。



考えただけでも、スカッとする物事ではある。。



HN”チョコボ”の謂れ。。。


以前Mixに書いた事があるからミク友の方はご存知だろうが、謂れをちょっと・・。。


今から30年程前の事、豊橋のあるパブで5~6人の知り合いと飲んでいた所、ある一人の女性が突然「堤さんてさぁ・・・・あの~~・・・チョコボールに似てるよね。」
とポツリと言った。他の知人達も「おぉ~・・・そう言えば似てるなぁ・・。」と言う。


言われてピンと来なかった私は、翌日スーパーへ向かいそのチョコボールを手に取った。 てっきりクロンボのキャラがあると思っていた私は、手にしたそのチョコレートの箱を隅から隅まで見たのだが、やはりそのカラスしかいない。。。


後日その女性と逢った時に「そう言えば、あのチョコレート、カラスしか載ってないぜ」と言うと、「そうそう!あのカラス、堤さんソックリだよね。」と言う。。。


何?あのカラスだったの。。。オイラは。。。(; ̄- ̄;)


お局にそれを報告すると「何言ってるの~私昔からあのディズニーのおとぼけカラスにあなた似てるわね。って言ってるじゃん」との事。。。  とほほ。。。(;´д` )




その後、何故か気に入り、「チョコボールパパ」とHNを名乗るも、ある日息子が「うちのチョコボがね・・・」と言うのを聞き、結局「チョコボ」に決定。
最近では我が家へやってくるお局の友人までが「チョコ爺」やら「チョコパパ」やら「チョコボさん」と言い、本名は、一度も言ってもらえず。。。



でもまぁ、本人甚く気に入っていますがね。。




円山公園のしだれ桜。



すぐに散ってしまう桜の花をツマミに酒を飲む。
これ風流なり。





(竜馬も桜を楽しんでいた。・・・でも、、、この銅像、知ってる竜馬とはイメージ違ったなぁ・・・。。)


秋には紅葉を眺めながら感慨にふける。
これも風流なり。。





そうだ!・・・・10月には京都へ行こう。



朝9時過ぎに彦根の宿を出発。
この宿も、テレビでよく見かけるように仲居さん、若おかみが駐車場まで来て、車が見えなくなるまで見送ってくれる。 サービス業の精神を改めて教わった気がする。


10時過ぎに京都へ到着。最初に行ったのは嵐山。 月曜の朝と言う事で京都市内に入る営業車&トラックでICが異常に混んでいる。ナビを使い、別のルートで向かう事にする。 本当!便利だ。。


渡月橋も、もうすでに観光客で一杯。車も徐行運転でしか進めない。
続いて「天竜寺」へ行く。  10年程前にNHKのテレビで天竜寺の伽藍堂の天井に”加山又造”氏が龍の絵を描いた様子が放送されていたのだが、丁度今その天井図が公開されていた。”八方睨みの龍”と言う事らしく、どこから見ても龍がこちらを睨んでいる。  うん。これだけでちょっと得した気分。
しだれ桜が綺麗。


次に向かったのが「大河内山荘」→「仁和寺」→「上賀茂神社」→「なり田」(京漬物の老舗。いつもここの本店でお土産&自家用を買う)→「平安神宮」(岡崎公園近くのそば屋で昼食を取る。月曜で動植物園が休みにも拘らず30分ほどの待ち。。)
「二条城」→「柳苑」(京菓子の老舗。お局のお気に入り)
「八坂神社」、「円山公園」→「祇園」→「建仁寺」
円山公園では、花見の席取用のブルーシートがギッシリと引かれていた。
その日の夜は大宴会だった事だろう。


これにて帰途に着く。

          


桜が咲いていて良かった。


桜の樹そのものはどこで見ても同じなのだが、見る方の思いが違う。
京の桜が美しく映えるのは、若い頃の恋愛と一緒で脇目も振らず思いを込めながらジーっとそれを見る心だと思う。


目張りをはずした馬は、、キョロキョロしてしょうがないものなぁ・・・・。。(反省)。。




夕方、彦根城を後にして予約しておいた「やす井旅館」へ向かう。
http://www.ryoutei-yasui.jp/


こじんまりとした宿。  離れの特別室2部屋を含め11部屋の旅館である。
チョコボ好みの造り。
各部屋からは、それぞれの庭、又は坪庭が見渡され、非常に落ち着いた感じ。


一緒に行った友人も旅が好きで各地へ行くそうだが、この旅館には感激していたようだ。  一般の旅館と、俗に高級旅館と呼ばれる旅館との違いは、部屋の造り、調度品はもとより、料理のもてなし方&質が違うと思っている。





まず、どん とテーブルに並ばない。
先付け、八寸、刺身etc・・・と言うように一品一品食べ終わるのを見計らったように出て来る。 見た目も美しいし、素材も吟味されていてどれを食べても新しい感激がある。
一緒に行った友人も、今まで旅館でズラーっと並べられた料理のほとんどを手を付けただけで完食出来なかったらしいが、この料理は全て完食していた。


出された地酒の美味しかった事。
(追加注文したら、2合で2800円もしましたが・・・。。。)


なんやかんやでこのチョコボ、、運転疲れの為か、9時過ぎには床に入ってしまい爆睡。。。zzz・・・。(みんなは12時近くまで飲んでいたらしいですが・・・。)



すっかりオヤジ化・・・・いや!オジン化しております。。。。




行って来ました。彦根に京都



友人夫妻と、車で9時に東名高速豊川ICにて出発。
まず行った先は、佐川博物館。
「平山郁夫」の絵画。「佐藤忠良」のブロンズ彫刻。
そして、水に浮かぶ”現代の茶室”を造った「楽吉左衛門」の茶碗の素晴しい事。


昼を廻る頃、彦根に入り、夜の日本料理は分かっている為、下調べをしておいたイタリアレストランを昼食に選ぶhttp://www.slow-db.com/lunch_01.html


その後、彦根城を見学に行く。
その頃にはパラパラと雨も降って来て、ちょっと肌寒い。。
後日書くが、城内の至る所にある桜のほとんどがまだ蕾の状態であった。
(梅が、7分咲程度なのである)
琵琶湖大橋のふもとにある美術館から彦根へ向かう道すがらも桜街道があるのだが、全部が蕾。。(しかも寒い・・・。。)
明日の京都が不安になった彦根城の桜でした。


上2枚は、「佐川美術館」
下右は、井伊の殿様が愛用した茶室の水場。


 


井伊直弼が産まれたと言われる藩主の屋敷「楽々園」から彦根城を眺める。



昨日のTV「何でも鑑定団」をHDDに録画し夜それを見ていた。
番組最後のお宝に「柴田是真」の蒔絵のタンスが出て来た。
漆特有の艶を消し、しっとりと創り上げられていた。
何でも借金の片に貰ったと言う怪しげな経緯があったのだが、300万円の借金の価値が、な・な・何と!1300万円・・・・。
確かに素晴しい!。


何でも、この柴田是真と言う人物は、従来から伝わる蒔絵の技法を自ら工夫し、改良、改革を重ね新たな蒔絵の世界を創り上げたそうだ。





そう言えば、以前このブログでも紹介したWOWOWの「銘酒誕生物語」で紹介があった芋焼酎”富の宝山”の産みの親「西陽一郎」氏がテレビでこんな事を言っていた。


「伝承と言うのは、古くから伝わる工法、技法を我々の手を経て正確に後世へ伝える事だと思います。伝統と言うのは、古くから伝わる良い物を我々の手によって改良、改革を加え、それを後世に伝える事だと思います。そしてその二つを我々は後世に伝えていく義務があると思います」と・・・。


なるほど・・・・。。





昨日のテレビを見ていて、”う~~ん・・・・。こう言う事か・・・。。”と唸ってしまった一つの芸術作品。




国民的英雄「長嶋茂雄」


我々が子供の頃、作っていた野球チームの背番号3はいつも取り合いだった。
長嶋の面白エピソードは沢山あるが、長嶋らしいな・・・と思った話。


亜希子婦人と交際が噂されている頃、スポーツ新聞の記者がスクープを狙い長嶋を誘った。長嶋は大のフグ好きと聞き、ある高級料亭へ誘ったのである。
そこには、記者、部長、デスク、カメラマンが居たと言う。
大きな皿に盛り付けられたテッサが運ばれて来て、まず長嶋が食べ始める。
ところが、そのテッサを箸でグイっと回し、それを3~4回繰り返し、その5人前のテッサを全部食べてしまったと言うのだ。
唖然とする4人に向かって長嶋が言った言葉は「あれ?・・・みんなの分はまだ来ないの?」だったそうである。
愛すべき人間である。


又ビートたけしがこんな話をしていた。
たけしがフライディ事件で謹慎してる頃、たけしの家に長嶋から電話が掛かって来たと言う。 ”元気を出しなさいよ”と言う励ましと、ゴルフのお誘いだった。


憧れの長嶋からゴルフの誘いを受け、前日は興奮のあまりほとんど寝られず朝を迎えたそうだ。
10時のスタートにもかかわらず7時頃からゴルフ場に行き、ワクワクしながらその時を待っていた。


9時になり長嶋が着いたとの報告を受け、玄関まで迎えに行った所、長嶋がたけしを見つけ「お~っ!たけちゃん久し振り!。ところで今日は何?・・・ゴルフなの? あそぉ~~。。」と言われてしまったそうである。。
しょんぼりして”もう帰ろうかな~・・・”と思ってコーヒーを飲んでいると、「いやぁ~ゴメンゴメン今日はたけちゃんと廻るんだったよね~」と長嶋がラウンジに現れ、コヒーとサンドイッチを注文してトイレに立ったと言う。
ホッとしたのも束の間、5分経っても10分経っても長嶋が戻って来ない。。。
スタートの時間が迫っているので呼び出しを掛けてもらおうと席を立つと、、、
何と、、、、、うしろの席で、違う人が頼んだコーヒーとサンドイッチを食べている長嶋が居たそうである。




こんな話、大好きである。。 (^^)




会社社会では春を迎え、転勤、新任、退任と歓送迎会で忙しい毎日であろう。


宴会時に必ずあるのが、挨拶、そして、乾杯の音頭、中締めの挨拶である。
挨拶慣れした人は良いが、急に指名されオロオロした経験も皆さんお持ちだろう。


以前聞いた面白かった話。


田舎の結婚式で、甥のお祝いにスピーチの代わりに乾杯の音頭を頼まれた男が居た。
農業を営んでいるのだが、とても寡黙で今まで人前で話などしたことがない。
しかし、甥に頼まれればやるしかない。(まぁ、乾杯の音頭の前に簡単な挨拶をすれば良いと思っていたのだろう)
そして当日・・・・乾杯の時がやって来た。。


列席者の方々に立席してもらい簡単な挨拶をしたのは良いが、舞い上がってしまいカミカミの挨拶である。出席している方がハラハラものである。


そして、乾杯の時がやって来た。
ところが、”乾杯~~!”と言う所を”ばんざ~い!”とやってしまったらしい。。。。



人間とは不思議なもので、おかしいな?と思いながら思わず反応してしまうものである。
数人かは、コップのビールを頭から被ったと聞いた。


出席していた人間から聞いた話だから間違いない。



これ・・・・・テレビのお笑いでやれば絶対に受けるのにな・・・・。。




昔読んだ太宰治の本にこんな話があった。


”私の友人に頭抜けた我利我利亡者がいた。
彼は教師になったのだが、生徒の事より我が身が大事。。
誰もが認める我利我利亡者だった。


そんなある日、屋外授業で生徒達を連れ田んぼの生態を観察に行った時の事、 
一人の生徒が近くを流れる川に落ち溺れかかったのである。
その友人は、真っ先に川に飛び込み溺れる生徒を助け出した。
翌日の新聞にはこんな見出しが載った『見上げた教師!我が身を省みず溺れる生徒を助ける!』


数日後彼と会った私は、こう切り出した「へぇ~・・・驚いたなぁ・・・。。まさかお前が川の中に飛び込んで生徒を救うとはなぁ~・・・」
すると彼はすかさずこう答えた「冗談じゃない!、、あれをほって置いてみろ。。。俺の首が危ないよ」と・・・・。”


何故だかクスッと笑った事を思い出した。




どこか物事を斜めから見ていた、青春時代。。




タレント知事として話題を振り撒いている二人。


先日大阪府内の若手を集めた朝礼で橋下知事に噛み付いた若い女性が、今も尚2チャンネルでターゲットとなって叩かれている。


あの「あなた」発言をテレビで見た時、正直言って気持ちが悪かった。
「何も知らないくせに・・・」との発言も、”こりゃぁ・・・・叩かれるな・・・。。。”と思った次第である。


古くは、田中長野県知事。 就任の挨拶時に部署廻りをした祭、ある部長に「あなたは、言うならば社長です。社長がいちいち部下に名刺を差し出しますか?ですからこの名刺は、こうさせて頂きます」と言うなりそれを二つ折りにした。。
例えば、この行為を他社から来た日産自動車のゴーン氏が新社長に就任した時に部長がしたらどうなったであろうか・・?と言うより、絶対にしないであろう。
田中知事に世間の同情票が集まった。  私は、田中康夫を作家の時からあまり好きではなかった。言ってる事が理屈っぽいし、話し方が気持ち悪かった。
でも、あの事件以来応援するようになった。(今は元に戻ってしまったが・・・。。)


そして、東国原知事・・・・当選した時、自民党の議長が「まぁ、我々は30年政治の世界にいる。何たって彼は素人・・・色々教えてあげますよ」とテレビの前で発言した。それを見ていたコメンテーターが「何をこの人言ってるんでしょうか・・・。。キャリアだ何とか言っても、この人は、県民の1万5千人の票を集めただけ。。何をふんぞり返っているのででしょうかね?   東国原知事は、20万人以上の宮崎県人から信任を受けているんですよ。そして、この人は選挙に落ちたら、その辺を歩いている”ただのオッサン”だと言う事を分かっていないんじゃないでしょうかね」と言っていた。
私は心の中で拍手をした。そしてその後の県会議員選挙でその議長は落選した。
ただのオッサンである。。。


私はこの二人に明治維新の「坂本竜馬」「高杉晋作」を見る思いがする。
坂本竜馬は脱藩士である。高杉晋作は劣等性のヤンチャ坊主である。
同期の優等生らは藩に忠誠を誓い、プライドだけを残して滅びて行った。。
そんな二人が国を動かした。
古く、どっぷりと浸かった体制体質を改革打破し、県民が本当に住み易いのは・・・と言う明確なピジョンがある。 利権体質とはかけ離れた純粋な改革を目指している気がする。  心から応援している。


話を元に戻すが、あの「サービス残業発言」の彼女、「我々だって一所懸命にやってるんです。何も知らないあなたに・・・」と言って噛み付いた。
私の若い時、車のセールスマンをやっている友人が居た。彼は会社を顧客に持ち、社用車、従業員の車を多く獲得していた。昼間はパチンコしたり、遊びにふけることも多かったのだが、キッチリと月間50台以上の高級車を販売していた。片や真面目で営業活動に励む男が居た。朝から晩遅くまで働くのだが事務所にいることが多かった。
兎に角真面目なのだ。しかし、販売台数は10台にも届かない。
さて会社としたら、どっちの男の評価が高いだろうか。 
「一所懸命やってるんです」と自分で言っただけでは世間の人は認めないだろう。
しかも、その累積赤字が5兆円ともなれば”何をか言わんや”である。。


我々町内の役員も、町内会で皆さんから預かっている町内費で無駄な物を買ったり、遊行費に使ったりしてしかも赤字になっていたとすればどうであろうか・・・。。
「一所懸命やっています・・・。」
とんでもない話である。町内、市、県、国。数が増えるだけで理屈は一緒である。
ただ違うのは、多くなるとそこに利権が発生すると言う事実なのだ。


「一所懸命」と言う言葉は自分自身の為に使う誉め言葉ではない。
そうでなければ、自己弁護の時に使う言葉になってしまう。。


他人がどう見るか。と言う時に使う言葉だと思う。



漢字の読み方で、「あれ?」と思ってしまう事が度々ある。


例えば、通夜(ツヤなのかツウヤなのか・・) 年俸(ネンポウorネンボウ) 功徳(クドクorコウトク)  相殺(ソウサツorソウサイ) 刺客(シキャクorシカク) 奥義(オウギorオクギ) 礼賛(レイサンorライサン) 発足(ホッソクorハッソク) 食物(ショクモツorショクブツ)・・・。
又、御利益(ゴリエキorゴリヤク) 職人気質(キシツorカタギ) 御用達(ゴヨウタシorゴヨウタツ)


又は、出国は(シュッコク)と読ませるのに出獄は(シュツゴク)のように『ツ』の字が小さく発音しない。。。
誰が決めたのか・・・又はそんなルールが存在するのか聞いた事がない。


誰か”こうだよ”と教えてくれないかな・・・・・。。。



昨日、母の3回忌法要が執り行われた。
早いものであれから丸二年が経つ。
兄弟、親族が集まり思い出話に花を咲かせたのだが、今度会う時は5年後。。
同じ様に皆の元気な顔が見られるだろうか・・・


母を思う時、いつも頭に浮かぶのは、割烹着を着て元気に動き回っている若かりし頃の母の姿と、頭を短く刈られて、もう動く事もままならなくなった晩年の母の姿である。 特別な思いやりや思い出があるわけではないが、不思議と母のこの姿を思い出す。
本当は、、、もっともっと母の笑顔が見たかったなぁ・・・




母へ捧げる詩


知っていますか、私がこの世に生を受け、初めて眼を開いて見た物、、、それは微笑みながら私を見つめるあなたの笑顔だった事を・・・。


覚えていますか、私が幼い頃、泣いて帰って飛び込んで泣きじゃくったのは、いつもあなたの暖かい胸の中だった事を・・・。


知っていますか、まだあなたが元気だった頃、皆で行った北陸旅行での金沢城門前のスナップ写真、、満開に咲く桜の樹の下で微笑んでいるあなたは、とても素敵にキラキラ輝いている事を・・・。


覚えていますか、孫のランドセル姿が見たいと、入学式の当日、、ずーっと学校まで附いて行った日の事を・・・。
一人きりの孫ともっと一緒に遊びたかっただろうな。。。


覚えていますか、動けなくなったあなたを病院の簡易トイレに抱いて運んだ時、あなたははにかみながら”すまないねぇ”と言いましたよね。 何を言っているのですか、私はあなたに何年かも世話になったのですよ。そんな当たり前の事に照れていたあなたの顔をいつも思い出します・・・。


そして、、知っていましたか、私はあなたの事が、、、、この世で一番大好きだった事を・・・。



去年の7月、何気なく見ていたニュース番組で、ある乙女のドキュメンタリー映像が流れていた。
タイトルは「余命一ヶ月の花嫁」
http://www.tbs.co.jp/eve5/feature/20070718_sp.html


一人の乙女。彼女の名は「長島千恵」 彼女は乳がんを患い、幾度かの手術で危機を乗り越えるものの、春には”余命一ヶ月」と宣告されてしまう。
父一人との暮らし。そしてそこに現れた優しい彼氏。
彼女は死の宣告を知らず、夢にまで見た結婚式でウエディング姿になり皆から祝福される。 しかし、その一ヵ月後、皆の願いもむなしく、彼女は天に召されてしまった。


このドキュメント映像が流れた時、私は画面に釘付けとなり、そして、当たり前のように涙した。
TVの視聴率1%が100万人という話を聞いた事がある。この番組が何%の視聴率だったのかは知らないが、1000万人近い人がこの悲しすぎる話に涙したのだと思う。
本当に悲しい人生の哀話である。


しかし、今現在も世界の至る所で、テロであったり、天災であったり、又身近な交通事故であったりして亡くなった方の数は計り知れない。
日本も戦争と言う悲劇の中で亡くなった同胞が300万人を超えると言う。
この方々の人生もそれぞれあったはずだし、その死を嘆き悲しむ家族の心情を思うと60数年経った今でも気が重くなる。
あなたの愛する子供達が、戦争と言う筆舌に耐え難い悲劇の中に召集され、死を覚悟しなさいと言われたら、あなたの胸は、きっと悲しさのあまり張り裂けてしまう事でしょう。   テロ然り、交通事故然りである。
しかし、世間の思いは、彼女の死のように涙することなく、「可哀相に・・・」で終わってしまう。。




一人の死に面し、ふと考えてしまった想い。。



2月27日より3月10日までの13日間、「美の壺展」の名古屋展が開催されている。http://www.nhk-p.co.jp/tenran/binotsubo/index.html



目の保養に、絶対に行かなければ。。。。




先日、町内会の自治会長さんが我が家へ見えてこんな話を切り出した。


毎年秋に町内のお祭りが開催されるのだが、その時に700円の寄付を各軒にお願いする。 例年は、各区の組長さんが裸で集金し、それをまとめて区長さんの所へ持って行くのだが、去年から封筒を作り、その中に各軒寄付を入れて頂き集めるようにした。
だが、ある町内の方が、この封筒で集めるのは知らなかった。と言う事は前年の数年は寄付をしていないのではないか・・・。祭りの各軒の寄付金及び、収支を見せろ。と言って来ているがどうしようか・・。との事だった。
(封筒は初めての試みであるから、”見るのは初めて”は当たり前である)
結局、各軒の寄付は、しない、した、にしろ、お見せ出来ないと言う事で収まった様なのだが、この方、、色々なエピソードがある。


去年の祭りの日、我が町内は、山車と呼ばれその中で子供達が笛や太鼓で演奏する車を出している。  その車が午後一番で公民館の前から出発し町内を練り歩くのだが、あいにくその方の家が公民館の真ん前なのである。


さぁ、出発!と言う事で合図に爆竹を鳴らしたところ、その方が血相を替えて飛んで来た。 その車の前には、4年前に市内のある県立高校の校長を退職された区長さんが保安係として居た。 そのおばさまは、その区長さんに「もう!・・家の前では静かにして!っていつも言ってるのに何で分からないの!」と、、そして「あんたも良く見れば歳も行ってて、その位の分別が分かりそうな年格好なのに そんな事も分からないのかね!!」と怒鳴りだした。 その校長先生・・・唖然である。。
(きっと、学生時代は別として、あんなに怒鳴られた事は人生に於いて初めての経験であったと思う。その後の反省会で、その話ばかりしていたから・・・”あのばばぁ~・・・人の事を・・・” と。余程腹に据えかねたのだと思う。。)


又、公民館の隣に公園があるのだが、秋にそこで園児がお遊戯会の練習をしていた。 広い園庭があるのに、何故?と思い尋ねたところ、お遊戯会の音楽がうるさいから、ここではやるな!とのクレームが、例のその家から出てると言う。
公民館での踊りやら太鼓の練習時にもクレームが出てると聞いた。
ここまでやれば、もう何をか言わんや・・・である。


一々全て聞く訳にも行かず、かと言って無視する訳にも行かず・・・・。。


こんな時皆さんはどういった対応をしていらっしゃるのだろう・・・・。
出来れば聞いてみたいものである。。




ここ最近では、ゆっくり東京めぐりをしたことがない。
行っても、朝出て夕方の新幹線で帰ってきてしまう。都内のどこへ行っても駅の構内から出ずに目的地へ行けるから、帰りも気が付けば東京駅の構内に居る。。
又ゆっくりバスにでも乗って浅草観光でもしたいものだ。


5~6年前に東京に住む友人の家でお世話になった事がある。
泊まった翌日、彼が新宿、歌舞伎町等を案内してくれたのだが、彼曰く「東京の繁華街へ行ったら、絶対に上を見るな!」との事。 上を眺めると、それを見ていた客引きが、”こいつは、田舎者だ”と思い、ぼったくりバーへ連れて行かれると言う。


で、その歌舞伎町での出来事。
彼と歌舞伎町を歩いていたのだが、その彼が、「あのな、田舎者ってさぁ、こうやって上を見上げながら歩いちゃうんだよな」とリアクション付きで話した途端、、、、
どこに居たのか、すっと寄って来た客引きが「お客さん、いい所ありますよ。案内しましょうか」と声を掛けて来た。。
説明してくれた本人が田舎者と間違えられたのである。




あれには、笑ったなぁ~・・・・。。




こちら七分咲の梅




紅梅も綺麗だ。。







しまった! お局の写真を撮り損ねた。。。
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