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人の命が永遠でない事は充分に承知している。
物事には順番がある事も承知している。。
ただ、身内の愛する人との別れだけに悲しい。
義父を14年前に亡くした。
当時72歳だった。
お局の、「私の人生は、70歳とプラスアルファーなんだよ。うちの家系はみんなそうだもの・・・。」 の言葉に、「男系はそうかも知れないが、義母さんを見てみろ・・・・100歳は生きるぜ!」 と笑って答えていた。
渋滞を避ける為に付いて行った車の先が、マックのドライブスルーの行列だったり、駅前のバス専用道路に入り込んでしまったり、お茶目なおばあちゃんだった。。
大局のDNAを引くお局も、可愛い天然が入っている。
少なくとも90歳までは元気でいてくれると思っていた。
2月の暮には、踊りの発表会で元気な姿を見せてくれていた。
足取りも軽く、まさか重い病気を抱えている体だとは、思いもしなかった。。
検査を受け、余命いくばくも無い事を知り、粒子線治療を受けに行ったついでの3月末の有馬温泉旅行。
母娘で入った温泉での思い出は、義母の心の安らぎとなってくれただろうか。
4月の息子の結婚式には、痩せてはいたが、用意した車椅子に乗ろうとせず、気丈に振舞っていた義母。。
どうしても出席するのだと張り切っていた。
一番可愛がっていた孫と腕を組んで歩いた披露宴での花道は、義母の嬉しい思い出のひとコマとして残っていてくれているのだろうか。
沢山の迷惑を掛け、一杯の恩恵を受け、思いっ切りの愛を貰った。
愛する人との別れは悲しい。。
長い間、ご苦労様でした。
本当に、ありがとうございました。
あなたのお陰で、今があります。
合掌
今日、誕生日を迎えた。
「幾つになったの?」と聞かれ、「50までは数えたけれど、あれから何年経ったかな?」とか言って失笑を買っている。。
以前書いた、紳助の本にこんな事が書かれていた。
思い出、、、特に恋愛に関しての思い出は、6割が思い出したくない恋。 3割が忘れたくない恋。 後の1割はどうでも良い恋に別れるそうだ。
そして、その割り振りは、全て個人の思いによる割り振り方である。
思い出したくない6割の恋の思い出を半分、自分の気持ちで良い思い出に変えてみませんか?
そうすれば、思い出したい(忘れたくない)恋は、6割の良い思い出として、あなたの心に残って行きます。
と・・・・。
恋に限らず、思い出したくない失敗談も多々ある。。
そっか・・・・楽しい失敗談として受け止めればいいんだ・・・。
6割が楽しい思い出となりますように・・・・。。
今日の夜、ブログ仲間の「ひみこさん」http://blog.livedoor.jp/himikoqueen/が書いていたお店「ボン・ファン」に行って来ま~~す。
http://www.bonne-femme.co.jp/dinner.html
世間で言う所の「ゴールデンウイーク」も終え、いつもの週初めが始まった。
一般企業では、10連休。とか言っていたが、相変わらずチョコボに連休は無い。。
29日、30日と私用で名古屋に出掛けたが、それでも午後に帰り次第、配達が待っていた。
この10日間、毎日数時間は配達で出ていた気がする。
しかし配送が終わると、その後ゆっくり出来るのも、世間は休み。と言う気の緩みがあるのかも知れない。
焦りも、後ろめたさも無くゆっくり出来た。
まだ明るいうちからでも、堂々と居酒屋へ出掛けた。
明日は、息子からゴルフに誘われた。。
常日頃お世話になっている市議の先生とゴルフの約束をしたらしい。
しかし、さすが我が息子・・・・・、、日にちの約束はしたものの、ゴルフ場のエントリーをしていない。。
急遽エントリーしてやったのだが、あいにく明日は雨模様・・・・・。
「明日はキャンセルして、来週の天気の良い日に行こうか?」 に、、、
「とりあえず行ってみようよ。」との返事。。
チョコボ、先週行ったけど、実際半年振り。
息子に至っては、2~3回目のラウンド。。
しかも、、、雨・・・・って。。
どうか息子が、「今日は止めようか?」と言ってくれますように・・・・。。
豊川の実家に隣接して住む姉から親父の世話を頼まれた。
週に2~3度は顔を出してくれと・・・。
5月5日から5月17日までの12日間、船旅で東地中海へ行くのだそうな・・・。
去年も行ったような気がする。
なんと羨ましい事か。。
年に2回は、外国旅行をしている。
姉夫婦には子供がいない。
そのせいかどうかは知らないが、馬鹿に優雅である。
姉は出たがり性で、ゴルフ、テニス、料理教室、英会話・・・と家に居た事が無い。
しかも、結婚してから一度も働きに出た事がないから、正しく、優雅な奥様状態。
ところが、この姉、、チョコボに会うと、必ずと言って良いほど説教が始まる。。
こちらにしてみれば、たとえ姉だと言っても、結婚してから40年間も働いた事の無い温室育ちの女に対して「ふん!何を言ってやがる・・・。」と思っているから喧嘩が始まる。
母と子同様、幾つになっても2つ年上。。と言う意識があるのだろう。
(還暦を迎えるジジイが説教されるのもなぁ・・・。)
しかし、、話を聞いているお局に言わせると、姉が正論だそうな・・・。。
「え~~~っ!」・・・還暦を迎える、不良ジジイって・・・・
ヤバくない・・・?。。
結婚式の締めの挨拶に定期預金の話をした、とブログに書いた。
(娘は、定期預金のようなものだ。と・・・。)
その話を2次会で息子の同級生に取り上げられ、良かったですよ。と誉めてくれた。
そして、列席者の皆さんを見送る時、新婦の友人の方からも、「定期預金の話、すごく良かったです。感激しました。」の言葉も頂いた。
先日、その話が我が家で話題になった。(と言っても、お局と友人が居た時の話。。)
お局曰く、、、「私はね、、、おとーさん(チョコボの事です。。)の挨拶の時、先方のお父さんは号泣していたけど、私は、白けていたんだよ。。。」 と・・・・。
「何で??」と聞くと、
「娘は、父親にとって定期預金のようなものだ。。 そのお宝を奪い取ったのだから、一生家宝として大切に扱って行かなければならない。と言ってたじゃん。。」
「それなら私だって、定期預金だったんだよ。。だけど、ちっとも大切に扱ってくれてないし。。」と・・・。。
ふ~~~ん、、、そんな事を思ってたんだ。。
馬鹿だな。。。
確かに、額縁に入れて飾ってはいないけれど、”お前は、チョコボの大切な、自慢のお宝なんだよ!”
と呟いてみた。。
結婚式に永久の愛を誓う。
「ラブラブだね」とか、「うらやましい~」とかの声が飛び交っている。
全てのカップルが、こんな場面を経験して来ている。
そして、10年、20年経ち、、その愛の形は崩れて行く。。。
披露宴の最中、甥っ子にお酌をしに行った時の会話。
「おじさん、おめでとうございます。素敵なカップルで羨ましいですわ・・・。」
と・・・。
チョコボ、「あのね、、全ての夫婦が、こんな形で始まるんだよ。で、我々夫婦は今年で35周年を迎える。 そして、結婚した後の愛の形をどれだけ維持してるかが大事なんだよな・・。 そして、、うちは、未だに愛の形をそのまんま維持しているんだよ。」
とノロケてみた。
するとその甥っ子、「おじさん!うちはまだ結婚して10年しか経っていませんけど、その10年前より、今の方が、愛の形は深いのですけど。」と返された。。
ふん!・・・・一本取られちゃったじゃないか・・・。。
まだカメラが帰って来ない。。
SNS(ソーシャルネットワーク)のTomaに息子が参加しているバンド、「ARTOWN」のページにこの写真が貼ってあったから、ちょっと拝借。
披露宴の最中、二人のサプライズに泣かされっぱなしだった。。
最後に挨拶をせねばならないし、涙で話が出来ないのも・・・。。
(それも良いけど、寡黙なおとーさんなら納得してもらえるのだろうけど、チョコボ、、そんなキャラではないし・・・しかも、、、挨拶の始めに噛んじゃったし・・・。。)
話はこんな話。
チョコボには娘いません。
だから娘を嫁に出すと言う父親、母親の気持ちは推し量るしか出来ません。。
以前娘を嫁に出したという友人からこんな話を聞きました。
娘は定期預金のようなものだ。
産まれたその日から、毎日毎日コツコツと楽しみに貯めて来た。
20数年経ち、もうそろそろ満期かな?と思っていたら、ある日、見ず知らずの男がやって来て、その通帳と印鑑を持って行ってしまったようなもんだ。。。
と・・・。 面白いような、切ないような話である。
しかし、そこで息子には義務が生じた。
先方から奪って来た宝を、これからは我が家の家宝として守って行かなければならない。。。
と・・・。
そして最後に息子のスピーチ。
いつもは、ポツリポツリとしか話さない息子のスピーチが、チョコボをはるかに上回る饒舌さ・・・・。。
本当!・・・・ビックリ!!
ライブハウスで、多少のMCは聞いてはいたが、まさかまさか・・・
あんな立派にまとめるとは・・・・。
挨拶が終わって、横に居た姉がポツリ。
「寡黙だと思っていたけど、やっぱり、、あんたの子なんだね・・・。」と・・・。
これって、、、けなされたの?誉められたの??・・・・・。。
息子の結婚式も無事終え、一日経った朝。
GLIDEと言うバンドを組んで活動していた時も、屋外でのイベント時は、ほとんど雨だった。。
余程、雨男が揃っているのだろうと思っていた。
Vo.のK之の結婚式は晴天。
後の二人の結婚式は、これから・・・。
「誰が雨男なんだろうね?」なんていっていた会話に結論が出た。
今のシーズン、10日に一度降るか・・・と言う季節に、、、朝からの大雨・・・。。
そして、今日は嘘のような晴天。。
結婚式の雨は、「雨降って 地固まる」と、こじつけのように縁起が良いとされていた。
でもね・・・。。
結婚式用にと持って行ったカメラを知人に託したのだが、カメラを預けたまま帰宅してしまいアップ出来ず・・・。。
今日の写真は、披露宴の最中、サプライズでプレゼントされた色紙。
名前のつづりが、そのまま詩になっている。
色々な場面で、何度もらい泣きをしたか・・・・。。
最後の父親の挨拶時には、横で新婦の父が号泣している。。
”泣いていも良いよ”と言われたら、一緒になって号泣するところだった。。
でもね、、、たくさんの結婚式に出させて貰ったけど、贔屓目も含め、、、
とっても素敵な結婚式だったよ。
おめでとう貴昭。
六三(ロクサン)と読む。
http://tobifudo.jp/newmon/kigan/63yoke.html
中学の頃だったろうか、、、反抗期を迎えたチョコボに手を焼いた母が、お祓いをしてもらおうと、神主さんのような格好をした霊媒師のような所へ連れて行かれたことがあった。
まともには聞いていなかったはずだが、五分位の説法があり、おもむろにペティナイフを持ち出し、二つ折りにした和紙に当てた。
その紙を引っ張れと言うのだ。
確かに引っ張っても切れない。。
そして、そのナイフに気を入れ、お祓いをし、再度紙に当てると、スッっと紙は切れた。
何の事はない、、、、水平に紙を当てて思い切り引っ張っても切れないし、少し角度を付けて切ればスッっと切れる。。
どや顔をして説法するお祓い師に、チョコボは思わず腹の中で吹き出していた。。
時は過ぎ、息子が4歳になった頃だっただろうか、夜中の3時頃になると決まって腹痛を訴え、泣き出した。
病院に行っても、中々そのグズリは消えなかったし、それどころか、見る見るうちに痩せて行った。。
ある日の事、又夜中の三時くらいに腹が痛いと泣き出した。
いつもと違い、かなりの痛がり様に夜間緊急医の元へ連れて行った。
心拍、熱を計り、血液を採り、その医師がこう言った、「これはですね、幼年期における育児の不満と言うか、要するに、わがまま病ですね。どこも悪くないですから、ほっておく、と言うか、薬を飲ましても駄目ですし・・・」との事。
「え~~~っ!・・・・でも、こんなに痛がってるし、時を測って泣き出すのも子どもには不自然ですし、、、実際食欲も落ち、痩せてしまって来てますから・・・」と言うと、「どこも異常がない!と言ってるのですから仕方が無いでしょう!!」と叱られた。。
何だか、言い表せないやるせない気持ちで帰路に付いた。
それから2~3日後、知り合いの紹介で、俗に言う”霊媒師”の所へ行った。
そのお婆さん、息子を見るなり、「あ~~~・・・これは、腹六三(はらろくさん)だね・・・。虫除けをしましょう」と言いながら、鍾馗様(しょうきさま)だか、何か書いてある紙を息子の腹に当て、「えい!」とか気合を入れている。(チョコボ、、、本当は、半分白けていた・・・。)
そしてその紙をせんじて飲め。と言ったか、お守りで持ってろ。と言ったか覚えていないが、その日を境に息子の痛い痛い病はピタリと止んだ。。
もう二度と夜中に、腹が痛いと泣き出す事はなかった。
http://tobifudo.jp/newmon/kigan/musifuji.html
食欲も元に戻り、見る見るうちにふっくらした元の元気な子供になった。
元々、霊媒とか神とかをを信ずる方ではない。
しかし、あの事件だけは、未だに不思議でならない。。
そうだ!!・・・チョコボも一度、お祓いをしてもらって来ようかな・・・・。。。
(悪霊が憑いているかも知れない・・・。)
今週末、息子が結婚式を挙げる。
正直な所、特別な感慨があるわけでもないし、”ちょっとしたお祝いのパーティがある。” 位の感覚だろうか・・・。。
目出度いには違いないが、今の互いを思いやる気持ちを、40年、50年経っても持ち続けて欲しいと願う。
我々夫婦も今年で35年を迎えた。
あと何年一緒にいられるか、、、、
狐とたぬきのばかし合い。 これも又、、縁。
もし、人生の終わりが来た時、チョコボが先なら、ベッドでお局の手握り、「色々ありがとう。お前で良かったよ。楽しかった。」と言って終わりたい。
もし、お局が先に逝く様な事があったら、ベッドのお局の手を握り、同じように「色々ありがとう。お前のお陰で楽しい人生だったよ。」と言いたい。
金婚式まであと15年。。
「金婚式には、イタリアでも行こうか・・。」と言っていたが、50年振りにハワイにでも行こうか・・・。。
追伸・・・この写真を見たk子が「おかぁさん、ぜんぜん変わらんのに、、おとーさん、、、なんだね・・・ありぁ・・・・。。。」と言われた。
普通だってば、、、普通・・・・。
以前、小牧にあるメナード美術館に行った時、美術館入り口近くにショーケースに入れられたこの鼠志野焼の皿が目に入った。
焼き物の趣味はないし、詳しくもない。
ただ、この皿にだけは、何故か釘付けになった。
桃山時代の作とあったから、きっと国宝級の皿なのだろう。
人間国宝の加藤唐九郎も、荒川豊蔵も、魯山人も鼠志野を焼いているが、少し趣が違うように思える。
落語にこんな話がある。
ある骨董商が江戸へ行く途中、峠の茶屋に立ち寄った。
ふと見ると、「子猫売ります。一両。専用餌皿付けます。」と立て札がある。
(ふん!誰が小汚い子猫なんか一両も出して買うものか!)と思っていた。
しかし、そこに置いてある皿に目をやると、何と、、唐津焼の名品ではないか。
一両どころか、この皿は三十両は下らない。。
早速一両を払い、猫は兎に角、皿に手をやると、茶屋の主人が、「旦那さん、専用皿はそれじゃありません。こっちの皿です。」と奥から安物の皿を持って来た。
「いやいや、、わしはこの皿が欲しいのだが・・・。」と言うと、茶屋の主人、「いやぁ~~この皿は売れませんよ。。なんせね、この皿をこうして置いておくだけで、、この小汚い子猫が一両で売れるんですよ。」 と・・・・。
お後が宜しいようで・・・・。
庭に咲いた「馬酔木」
(チョコボ、”あしび”と読んでいましたが、本来”あせび”と読むらしい・・・。まぁ、”あせび”でも良いのらしいですが・・・)
これを食べた馬がフラフラになったと言う、毒性を持った花らしい。。
(でも、何で馬を持ち出したのだろう・・・他の動物でも良かったのでは? と思うチョコボは、やっぱりへそ曲がり??)
昨日、息子の高校時代からの友人、shigeoから電話があった。
23日の結婚式の受付を務めてくれるのだが、もう一人の友人、功三も受付をしてくれる。
この功三、千葉在住で、結婚式の当日は豊橋の実家へ泊まるらしい。
折角豊橋でゆっくり出来るのだから、翌日飲みましょうか?との連絡。
彼らはまだ若いし、結構酒豪・・・・。
このチョコボ、二日酔でなければ良いが・・・。。
でも、すごく楽しみにしてるよ。
で、その時の電話でshigeoが、「おやっさん、、大丈夫ですか?」と聞く。
「何が?」 と聞き返すと、「ブログを読んでたら、大丈夫かな・・・と思ったので。。ちょっと心配で」と言う。
「え~~っ!・・・そうかな・・・。全然大丈夫だけど・・・。」と怪訝そうな返事をすると、「そうなら良いですけど、ちょっと心配だったもんですから・・」との事。
電話を切り終えて、考えてみた・・・。
そんな変な事書いたかな・・・?
失恋したのをバレタのか?(嘘)
夫婦仲の悪いのを見透かされた?(ちょっと嘘)
人生に悩み抜いているのを見抜かれた?・・・・?(これは本当かも・・。。)
あれぇ??と思いながらブログを読み返してみた。。
おかしいなぁ・・・・そんな感じはないのになぁ・・・。
あれっ?・・・ひょっとして、糖尿予備軍だよ。との話の事だったのかな・・・?
(体の事でなく、情緒不安定な事書いたかな・・・と思ってた。。)
きっとそうだろうな・・・。
そうだとしたら、shigeo、ありがとうね。
全然元気だよ! この爺や・・・。
23日、24日と、思い出の一杯詰まった17年間の話をしようぜ!
玄関アプローチに咲いたクリスマスローズ。
このブログを始めた頃に、”もし、水害であなたが一人丘の上に助かり、人々が流れて来る。 その時に一本の竹竿を持っていて、一人だけ助ける事が出来る。
二人助けようとすると、その竿は折れて、二人とも流されてしまう。 あなたは誰を助けますか?”
のような記事を書いたことがある。
一人安全な丘へ泳ぎ着いた所、妻が、(又は旦那さんが)母が、父が、そして子ども達が流されて来る・・・。
そして、たった一人だけ・・・・。
チョコボの友達に聞いてみた。
奥さんとは喧嘩別れのようにして離婚した。故にこれは問題外。
彼には、長男と3人の娘がいる。
即答で、「長男!」と答えた。
チョコボは即答出来なかった。。
でも、やはり、、、お局を当たり前のように助けるだろう・・・。
(これは、それぞれ人が過ごして来た経年にもよるのだろうが・・・。)
究極の選択。
一ヶ月前、実際にこんな場面を目の当たりにした方がいたのだろう・・・
と思うだけで、心が痛む・・・・。
先週末、個人的なお願いがあり、旧知の開業医の所へ行った。
お互い学生だった頃からの付き合いだから、もう40年になるのだろう・・。
お願いも快く受けてくれたが、「お前なぁ・・・検査しとらんだろう、、、はい!早速採血!」と言って無理矢理採血させられた。。
「結果は来週な!」と言って、「絶対に悪い所を見つけてやるからな・・・。」とニヤリと笑う。。
今週初め、お局が行くと、もう結果は来ていたようで、「まぁ思ったより良いけど、中性脂肪が基準値の4倍、γGTPが10~47の所、85。 糖尿病ね。 明日からビール一本、焼酎1杯で我慢して、1ヶ月後に再検査ね。 あいつに言っておいて。 まぁ、あいつの事だから守らんとは思うけど・・・。」と言われたそうだ。
(先生、、よくご存知で・・・。)
今から10年程前、風邪を引いたのか夜中に咳が止まらない事があった。
夜中の3時頃になると決まって咳き込んで、息が出来ずにそのまま死んでしまうのではないか・・・と言う程の咳が出た事があった。
一週間ほどして、一向に良くならず、呼吸器官系の医者へ行った。
当日、早速レントゲンを撮り診察してもらったのだが、先生、、開口一番「無理をしましたねぇ・・・。」と言うではないか。。
「えっ!・・・・肺癌ですか?・・・。」と聞くと、「イヤ・・・詳しく検査しないと分かりませんが、とにかく、このレントゲンの肺・・・・真っ白でしょ・・・。」と言う。
確かに、見せてもらったレントゲン写真に写っている肺は、真っ白だった。。
意気消沈して家へ帰ったのを覚えている。
(俺の人生は50年だったのか・・・と。)
3日後、検査の結果を聞きに行った。
今度は大先生(兄弟で医院を経営されていてた。)の診察&報告を受けた。
「癌ではなかったですね。。 え~っと、、マイコプラズマ肺炎と言う肺炎です。入院しなくても通院で治せますから、今日は点滴をしておきましょう・・。」と言う事であった。
少しホッとした。
翌日、いつも行く居酒屋へ行き、その話をした。(そこのママ、若い頃看護婦さんだったのだ)
病名が出て来ず、「え~っと・・・何とか肺炎。って言われたな。。通院で治るんだって」と言うと、そのママ、「ひょっとして、マイコプラズマ?」と聞く。
「そう!その肺炎!! で、やっぱり知ってるんだ。」と言うと、怪訝そうな顔をする。
「何?何でそんな顔?」と聞くと、 「うん・・・・。マイコプラズマ肺炎ってね、子どもがかかる肺炎じゃんねぇ・・・」と言う。。
チョコボ、「はぁぁ~~?・・・。」であった。
翌日からは病院へ行かず、貰った薬だけ飲んで、いつもの放埓な生活に戻ったのは、言うまでもない。。
110号(110週間)掛けて出来上がった「安土城」。
城内の部屋は元より、細部に至るまで装飾品で飾られている。
例えば、各部屋の襖の豪華さや畳の細かさ、階段に至っても漆が塗られていて、忠実に再現されている。
半分に開くのだが、各階も一階ずつ外す事が出来、天井からその緻密さを見る事が出来る。
お局に「ここがね、こうなっていて・・・・」と説明しても、「ふ~~~ん・・・。」とまったく興味がなさそう。。
(そう言えば、お城見学に行っても「何で私がこんな所を歩いてなきゃぁいけないのよ・・・。」とブツブツ言ってたなぁ・・・・。)
出来上がるまでは楽しみで、出来上がったら「出来た!!」で感激なのだが、一度見てしまうと、ただの城の置物・・・・。。
祭りの後の淋しさ・・・ってこんな感じだったっけ・・・・。。
チョコボ4歳の頃。息子4歳の頃。
56年前と、30年前・・・。
左上に「30,5」とある。
昭和30年5月。丁度チョコボが4歳を迎えた頃だろう。
この写真を撮った時の、うっすらとした記憶が残っている。
豊川の実家の前に飯田線が走っている。
そこに踏切があり、当時は手動でバーを上下させていた。
そこに”踏み切り小屋”と呼ばれる、小さな詰め所があり、そこのおじさんが(当時まだ24~5歳だったのだろうか・・・。)撮ってくれた覚えがある。
昼間、日向ぼっこと、おやつ代わりにリンゴをかじっていると、「ボク、一枚撮ってやるよ」と声を掛けられた。と記憶している。
息子の写真は、どこかへ出掛けたときのものだろう。
やはり、シャイな感じは幼少の頃から変わらないものなのだと、改めて感じた一枚。
あと20日足らずで結婚式。
式の最後に父親のスピーチがある。
短い簡単な挨拶くらいどうって事はないし、安堵感の方が強いのだろうと思っていた。
しかし、こんな写真をスライドで見せられ、成長の過程を思い出し、「ありがとうございました。。」なんて言われたら、涙もろいチョコボの事、、、、言葉にならないのかも知れない。。
(花嫁の父だったら号泣だろうな・・・。。)
そう、、、、我々にも、幸せな時があったのです。
それはチョコボが、まだ4歳だった頃・・・。